第3話:入学日の朝(サムエル・アルベイン)
ーセントラム五大貴族・アルベイン家の豪邸にてー
「サムエル!もう起きた?着替えた?まだならお姉ちゃんが着替えるのを手伝ってあげるよ」
「いや、いいって。もう子供じゃないんだから」
「何言ってるのよ。あんたは私がいないと何もできないんだから黙って言うことを聞きなさい!」
「ひどいなそれ。ある程度のことは自分でもできます〜」
「お姉ちゃんに口答えしない。さぁ、一緒にお風呂に入るわよ」
「もう入ったよ」
「もう!荷物の準備は?」
「したよ」
「普段着と正装服は?」
「入れたよ」
「パジャマは」
「入れたって」
「運動用の服と戦闘用の鎧は」
「ちゃんと入れてるって」
「下着は?」
「だから、全部入れてるって、あっ!下着入れんの忘れた」
「ほら!忘れてるじゃないの」
部屋で仲良く?話しているのは端正な顔立ちを持つ美少年と、同じく黒髪のスレンダー美女。
二人が並べば、誰が見ても姉弟だとすぐにわかる。
セントラム五大貴族の一家、アルベイン家の長女と長男である。
弟のサムエル・アルベインは音楽の天才と呼ばれる才能をもちながらも、どこかだらしなく、気の抜けた雰囲気を漂わせていた。
一方、姉のアンジェリカ・アルベインはきりりとした瞳と自身に満ちた笑みが印象的で、その姿は学園でも評判の美貌と気品を備えていた。
「ええと、鎧はこの鞄で、正装服はこの鞄だから、下着はどこに入れればいいんだ!?」
「もう貸しなさい。お姉ちゃんがやってあげる」
そう言って、嬉しそうにアンジェリカはサムエルの荷造りを手伝った。
サムエルが詰めたものを一度全部取り出して、自分流に整理し直した。
「これでよしっと。こっちの方がいつも通りでサムエルも楽よね」
「はいはい、そうですね」
「”はい”は一回」
「はい、そうですね」
「うんうん、じゃ、準備できたから朝食にしましょう」
アンジェリカは満面の笑みである。サムエルはどっと疲れていた。(まだ入学前なのに)
歩いていると白いショートドレスに身を包んだ、黒髪のスレンダー美人が声をかけてきた。
「おはよう二人とも、サムエルの準備は終わった?」
「終わったわお母様。私が全部やってあげた」
「いや、全部やり直されたっていうか」
「そうだったの。ありがとうねアンジェリカ。でもミレニアム学園ではサムエルにつきっきりって訳にもいかないでしょう?心配だわ」
「大丈夫よお母様。サムエルもおそらくアルファに配属されるから、そしたら授業以外の時間はずっとサムエルと一緒にいられるわ」
「あの…」
「そう?それだったら大丈夫かしら?でもサムエルもあなたと同じアルファに配属されるかしら?」
「それは問題ないわお母様。アルファには世界の未来を担う人達が集まるのよ。サムエルがアルファに配属されないわけないじゃない」
「そう、そうね。じゃ、サムエルのことをよろしくねアンジェリカ」
「うん、もちろんよお母様、サムエルの面倒は私がみるわ」
「ええと…」
「じゃ、朝食にしましょう」
「は〜い」
「なぜ我が家の女性どもは人の話を聞かんのだ」
現在、ミレニアム学園二年生、アルファクラスに所属しているアンジェリカ・アルベインは学園に許可をとって今日の早朝から馬を飛ばして家に帰っていたのだ。
それも全て愛する弟、サムエルのためである。
音楽の天才児と評され、小さい頃から大きな期待をされていたサムエル・アルベインはアルベイン家で一番幼いということで母、姉、執事、メイド、しまいには幼馴染のエリザにまでずっと甘やかされて生きてきた。
基本的に自分のことは他人がやってくれる生活をしてきたため、かなりマイペースでふわっとした性格になった。
始めは本人もこの甘やかされる生活に抵抗しようとした時期もあったが、母と姉には勝てず、ずるずる十五歳になってもそのような生活が続いた。
だからこそのミレニアム学園。
執事がいない、メイドがいない、お母さんがいない、お姉さんがい…るけど、ずっとは一緒にいない場所。
サムエルがミレニアム学園に行くことにした一つの理由である。
と言ってもこれは自分への言い訳である。
サムエルにはそもそも学園に行かないという選択肢がなかった。
それは、
「サムエルいよいよだな」
三人で歩いていると、ちょび髭を生やしたダンディーな男が書斎から出てきてサムエルに声をかけた。
この一家の頭領ロイド・アルベインである。
「あなた、おはよう」
「おはようございますお父様」
「おはようお父さん」
「ああ、おはよう。ジェシカ、アンジェリカ。サムエルに話がある、先に食堂に向かいなさい」
「は〜い」
「ふふふ、男同士での会話ってやつですね。わかりました。先に行ってるけど早く来てね。家族四人で食事をとれるのが、次はいつになるのかわからないのだから」
「ああ、すぐに済ませる」
ジェシカとアンジェリカは食堂に向かい、ロイドとサムエルはロイドの書斎に入った。
「おはようございます若」
「兄ちゃん!?」
若と挨拶したのはアルベイン家に仕える執事、ダニロ・フリッツである。
アルベイン家の執事でありながらダニロはランク8の冒険者でもあり、「ブラック・フォックス」の二つ名を持つ。
トゥドル家のサンと同じパーティー「フォックス・ティル」に所属している。
もっとも、「ブラック・フォックス」という二つ名ではあるが、ダニロはヒューマンだ。
冒険者ランクは10が最上位であり、ダニロは冒険者の中でも相当な強さを誇る。
また、ランク7以上の冒険者はもともと数えるほどしかおらず、その存在自体が希少だ。
さらにこの一年で、何人ものランク7以上の冒険者がやめてしまう事態が相次ぎ、ホワイトシティには現在、ランク8の冒険者は四人しかおらず、ランク9以上の冒険者はいない。
したがって、ダニロとサンはホワイトシティにおける最上級冒険者ということになる。
サムエルはダニロのことをお兄ちゃんと呼ぶが血の繋がりは特にはない。
ただ、年齢が近く、小さい頃から同じ家で育ったため、自然とそう呼ぶようになった。
公共の場でもお兄ちゃんと呼んでしまうため本来は問題になるところだがアルベイン家はそういうところはあまり気にしないのである。
それに血が繋がっていないとはいえ、孤児のダニロを育てたロイドとジェシカにとってダニロは我が子も同然である。
ロイドは自分の椅子に座り、その横にダニロが立つ。机を挟んだ目の前にサムエルが立っている状況だ。
「お母さんとアンジェリカが待っている。手短に済ませるぞ」
「ああ、ええと。うん。何を?」
「私との約束の確認だ」
「ええと、約束?約束、あったかな?」
「よし、ダニロ。サムエルの入学の辞退をミレニアム学園に知らせろ。予定していたようにコロンベラ海軍士官学校への入学を進める」
「ああ!約束、約束。思い出した。ミレニアム学園で一生懸命過ごし、きちんと卒業することでしたねお父さん」
めちゃくちゃ下手な芝居で今思い出したかのように作り笑顔をするサムエル。
「別に嫌ならいいのだぞ。わざわざ他国の軍士官学校に入れるようにコネを回したんだ。私としてはそちらでも構わない。それにコロンベラ海軍士官学校はいいぞ。完全寮生で24時間監視されている。朝4時から始まる訓練、勉強に、特訓。その辛さ、厳しさから毎日のように逃げ出そうとする生徒がいるのにかかわらずたったの一度も逃げられたことがない。王国の牢獄から逃げる方が簡単と言われているくらいだ。サムエルの甘えきったその根性を正してくれることだろう」
「ミ、ミレニアム学園でお願いします」
「そうかね。では最初の約束通り、ミレニアム学園で一生懸命に過ごすこと、そして卒業すること。良いな?」
「は、はい。もちろんでございます」
「そして、その約束を破った場合、それが意図的であってもなくともサムエルをコロンベラ海軍士官学校に入学させる。良いな?」
「…」
「良いな?」
「はい…」
「今の話、聞いてたな?ダニロ」
「はい、一句漏らさずに」
「ということだサムエル。ダニロを証人として立てたことで忘れてました、そんな約束はありませんでしたは通用しない」
「はは、ははは、お、お、俺がそんなことを言うはずないじゃないですかお父さん。ははは」
(数週間後に言うつもり満々であった)
「また、ミレニアム学園では常に退学になるリスクがある。それはお主が一生懸命頑張っていてもだ。そのときは自分の実力が足りなかった、自分に運がなかったと諦めすぐに戻ってこい」
「その、仕方なく退学になった場合は?」
「変わらずコロンベラ海軍士官学校行きだ」
「ですよね〜」
「そしてサムエルはっきり言っておく。お主がどこかでこの約束を破った場合、退学になりすぐに戻ってこなかった場合、もしくは逃げ出そうとした場合…」
「場合?」
「フォックス・ティルにオマエを奈落の底まで追いかけ、確保をし、こちらに連れてくるように依頼してある」
「げっ!そこまで!?」
「オマエの実力があってもダニロとサンからは逃げられんぞサムエル」
「そ、それはやってみなければ…」
「おい」
「いいえいいえ。なんでもありません。そもそも逃げるわけないじゃないですか。俺は約束を守る男です」
「だったらなぜ背中に隠した手で指を交差させてるんだ?」
「ちっ。わかりました。わかりましたよ。約束は守る、守らなければ兄ちゃんとサン姉が追いかけてくる。それはそれでおもしろそうだけど。とりあえずは約束を守る方向で行きます」
「いや、方向じゃなくて守れ」
「守りたいけどさ、あのテッド兄さんが退学になるようなところだろう?ちょっとそれはきついよ」
「あれは特殊なケースだ。テドニウスが在学の五年間を通してずっと学年総合評価1位というのはお主も知っていることだろう?」
「だからだよ。それが退学になるんだったらもうどうしようもないじゃん」
「だからあれは特殊なケースだ。比較対象にならん。お主はお主で頑張れ」
「特殊なケースね〜。ね、結局テッド兄さんって何をして退学になったの?」
「極秘だ。これ以上それについては話すな」
それを言ったロイドはお父さんの顔ではなく、アルベイン家の頭領の顔をしていた。
「ふ〜ん。わかったよ」
「では、話は以上だ。食堂に向かうぞ」
「は〜い」
「では、ロイド様。私はこれにて業務に戻ります」
「いや、今日は特別な日だ。ダニロも一緒に食べろ」
「ロイド様、家族水入らずのところに私などが」
「ダニロ」
「はい」
「一緒に食べるぞ」
「かしこまりました」
「ビアンカも呼んでこい。全員で朝食だ」
「かしこまりました」
そして、ロイド、ジェシカ、アンジェリカ、サムエルに執事のダニロとその彼女のメイドのビアンカで朝食をとった。
「だからおかわりすれば時間が足りなくなるって言ったじゃないの!」
「姉さんだっておかわりしたじゃん!」
「それはサムエルが食べてるやつが美味しそうだったから…」
「もう〜、喧嘩しないの。あなた、間に合いそう?」
「今日のミレニアム学園への道の混み具合を考えるとギリギリ間に合わないかもな」
「あら、どうしましょう」
「大丈夫よ母さん。私、馬で来たから、その後ろにサムエルを乗せるわ。馬一頭なら他の馬車をかわしながらでも進める」
「そう?みんなで見送りたかったけど仕方ないね。あなたもそれで良い?」
「私達も後から向かう、もしかしたら間に合わないかもしれんが、サムエルの荷物もあることだし、一度は向かおうと思う。サムエルは初日から遅れる訳にはいかん。頼んだぞアンジェリカ」
「うん。任せてお父様。さあ、いくよサムエル」
「えええ〜」
「文句言ってないで早く乗りなさい」
サムエルはいやいやとアンジェリカの白馬に乗った。
「よし、行くわよ。ちゃんと捕まってね」
「嫌だよ。姉さんにハグしてるみたいで嫌」
「なんでお姉さんにハグするのが嫌なのよ!?」
「姉さんだからだよ!」
「だから喧嘩してないで早く行きなさい」
「は〜い」
そう言うとアンジェリカは馬の腹を蹴り、馬は一気に前進した。
その速度が早くサムエルは落ちそうになったのでアンジェリカに抱きつくのだった。
「ねぇ〜、もうこんなに飛ばさなくても良くない?さっきから馬車何台も抜かしてるよね?絶対に間に合うでしょう?」
「何言ってるのよ。道中で何があるかわからないわ。緊張を緩めるのは着いてからにしなさい」
と言いながらもスピードを緩めてしまうと、サムエルが離れるのが嫌だったアンジェリカであった。
弟にこんな長く触られたのは久しぶりすぎて上機嫌で完全に浮かれていたアンジェリカ。
だが、そのせいでとあることに気づかない。
ミレニアム学園に着く直前の林がゆらゆら揺れていたことを。
もちろんその林の中には道などなく人は立ち入らない。
つまりその揺れは予期せぬ何かが潜んでいるということを意味した。
魔獣?モンスター?それとも暗殺者の類か?
姿こそ見えずともその存在にサムエルは気づいた。
「姉さん、右の林になんかいる!」
「えっ?なんて!?」
サムエルの言葉をよく聞こえなかったアンジェリカは一瞬後ろのサムエルの方に顔を向く。
その一瞬に林からそれが出てきた。
狙ってたとしか思えない程のベストなタイミングで出てきた。
それは金髪の男だった。
狙ったとしか思えないベストなタイミングで出てきたが、その驚いた間抜け顔からするとたまたまだったようだ。
このままでは全速力で走る馬とその男はぶつかることになる。
大惨事になりかねない状況だ。
サムエルはなんとかしようとしたが、その前にアンジェリカもすぐに異常に気づく。
いろいろふざけたところがあるアンジェリカだが、世界一の学校であるミレニアム学園の最も優れた生徒が集うアルファクラスに所属する彼女は戦闘力も、知力も判断力も天才級である。
そして、その反射神経もとてつもなく良かった。
すぐに手綱を使い、馬の進路方向を変えた。
そのときだった。
先ほどまでは間抜け面をしていた、青目、金髪のヒューマンの男の顔は自信に満ちたものに変わっていた。
まるで、自分に向かって全速力で走る馬が脅威ではないかのように、こんな状況を幾度も超えてきたという歴戦の勇者の顔をしていた。
「ふっ」
気のせいなのか格好よく「ふっ」とまで言った気がした。
そうしてその男は圧倒的な速さで動き、馬をかわそうとした。
「なんで同じ方向に躱すのよ!」
「あっ」
「あっ」と言った男の顔はまた間抜け面に変わっており、そのまま馬と男はぶつかる。
男は数メートル後ろにぶっ飛んだ。
「まずい…」
「ああ、今のはまずいな」
「でも事故だし、しょうがないから行こっか」
「そうだな。ってちげぇよ。助けろよ」
「いやー、今の絶対死んだっしょ」
「多分な」
「じゃ、行こっか」
「そうだな。ってちげぇわ。確かめろや」
「ああ、サムエルがおかわりしたせいで人が死んだ」
「えっ!?俺?」
馬を降りて男の方に向かったが案の定、身動きせずに頭から血を大量に流していたのだった。
「かわいそうに。サムエルが遅刻しそうになったせいで」
「いや、だから俺!?」
「サムエルが遅れなければこんなことにならずにみんなで馬車で行けてたの!」
「姉さんもおかわりしたんだから同罪です〜」
「そっか、そうよね二人とも同罪だわ」
「そう、姉さんは、」
「二人とも牢獄行きになり、離れられないように手首に手錠をつけられ、肌の露出が多い囚人服を着せられ、二人とも老人になるまで、小さい薄汚い部屋で一緒に暮らすことになる〜。ふふふ」
「いや、なんで嬉しそうなんだよ!?」
「そこの者どもよ。ミレニアム学園はどっち方面だ?」
「きゃー!」
「きゃー!」
「え?」
「生きてた!!」
「生き返った!!」
「おい…」
「ゾンビだ!」
「アンデッドだわ!やっつけなきゃ!」
「急いでるんだ、わかるならさっさと教えろ!」
「ゾンビってしゃべるっけ?」
「普通はしゃべらないな」
「ゾンビじゃねぇ!少し道に迷っただけだ!」
「なんかこのゾンビ生意気ね」
「だからゾンビじゃねぇ!」
「死ぬかと思ったけどちゃんと生きてるわ」
「でもすごいなオマエ、普通なら死んでるぜ」
「ふっ」
「ふっ、じゃないわよ。つかなんでそもそも同じ方向に避けるわけ?あんた馬鹿じゃないの?」
「馬鹿じゃねぇ。英雄の中の英雄。英雄王になる男だ」
「…」
「…」
「もしかしたら今の衝撃で頭に異常が…」
「いや、多分あれ元からっぽいぞ」
「そんな!?かわいそうに。でも体の方は大丈夫そうだし行こっか」
「そうだね」
「まてい!今の俺には時間がないんだ。ミレニアム学園って場所に行かなければならない。場所を知っているのなら教えてくれ」
「あんた、ミレニアム学園になんの用?つか、あんた誰なのよ!?」
「今日からそこの生徒になる我鷲丸だ」
そのとき、我鷲丸と名乗った男の肩に鷲が乗った。
「ふっ」
(いや、だから「ふっ」って何?)(いや、だから「ふっ」って何?)
その後、アンジェリカは回復魔術で馬の傷を回復させ、三人はミレニアム学園へと向かった。




