『源頼義、プレスマンの法要を行うも母に不幸のこと』速記談4015
源頼義と、関白藤原頼通公の随身中臣兼武とは同腹の兄弟である。母親は、宮仕えの者で、この女を源頼信が寵愛して、生まれたのが頼義である。その後、兼武の父が、同じ女の侍女を寵愛していたところ、女が侍女に、お前の夫と会いたい、といって、密通した結果生まれたのが兼武である。頼義は、長じてからこのことを聞き、情けなく思って、大切にしていたプレスマンが壊れたときには盛大な法要を催したが、母の命日には行わなかったという。
教訓:平安のころの婚姻関係は、今よりも寛容であったが、命のやりとりをする武家にとっては、血の濃さが重要視されるようになったことが伺える。