第2話 別れ
頭が現状に追いついていないとは,まさに今の俺を指す言葉だった。
「え,なんでっ!?」
頭の耳を触ってみれば確かに,触られたという感覚がある。だから,間違いなくこの耳は俺の身体のものなのだ。
視界に入った髪の毛も黒から白へといつのまにか色を変えていた。
「母さっ、父さつ,紗奈っ!お,俺…」
訳もわからず,助けを求めるように家族の名前を呼ぶ俺を,母さんが急に抱きしめてきた。
「大丈夫,大丈夫よ…。」
母さんが震える声で言う。まだ,戸惑っているのは母さんも一緒なのだろう。母さん自身にも言い聞かせるようにも感じた。
「大丈夫。いったん落ち着きましょう。」
「夜白…。体は…その,だ,大丈夫なのか…?」
父さんも戸惑いながらも,俺の身体のことを聞いてくる。心配なのは確かだろう。どうすればいいか,手が宙を彷徨っていた。
「う,うん…。もう痛くないよ…。なんかこんな状態だけど,ほんと,どこも痛くないんだ…。変かもしれないけど…。」
しどろもどろに伝える。
「兄ちゃん,尻尾も生えてるね…。」
「…ほんとだ…。」
紗奈の言葉で,後ろの方を見れば確かに尻尾が生えていた。髪と同じ白い,膨らみを帯びた毛で,犬でも猫でもない尻尾が。
試しに触ってみたら微かに感触を感じた。これも飾りではなく,俺の身体の一部なのだ。
「と,とりあえず病院に行ってみましょう。何か分かるかも…。」
母さんが病院に行くことを提案する。
何かの病気の可能性を考えたのだろう。確かにどうして耳や尻尾が急に生えたのかはわからない以上,病院を頼りに調べてみるのも手だ。少なくとも,素人の俺たちより,何か知ってる……はず…。
「病院っていってもどっち?普通の?それとも動物の?」
「ちょっと,父さん,普通のに決まってるでしょ。」
「いや,だが…。」
「だがも,でもも,ない!」
紗奈と父さんが話し合っている時だった。
ドコーーッ!!
壁が急に壊れた。崩れ落ちた,というより,何者かに壊された。瓦礫が飛ばされて,土や煙が部屋中を舞う。
「な,何!?」
紗奈が悲鳴に近い声で叫ぶ。
目に砂とかが入らないように腕で隠しているため,何がどうなっているか分からない。
でも,違和感に気づいた。
俺の近くに今いるのは紗奈しかいない。さっきまで近くにいた父さんと母さんがいないのだ。
土煙で周りが見えにくいけど,うっすらとなら見えるはず。それでも,父さんと母さんの影すら見えないのだ。
と,血の匂いがした。
嫌な予感がする。
段々と視野がはっきりとしてきて,辺りを見回すと…
「父さん!」
壁が壊された衝撃を受けたのだろう。
俺から一,二メートル離れた壁にもたれるように父さんがいた。
飛ばされた瓦礫がぶつかったのだろう。頭から血を流し,足には瓦礫が刺さっていた。
遅れて紗奈も父さんに気がつく。
「お父さん!?」
紗奈と共に近づく。
母さんは父さんが庇ったのか怪我はしてないようだが,気を失っていた。
「や…白。紗奈…。大丈…夫か…?」
「私は平気。でも,父さんが…!」
涙が出そうになりながら紗奈が父さんに手を伸ばそうとした時だった。
「お…。いたいた。」
知らない男の人の声が背後からした。
慌てて後ろを振り向く。
崩れた壁の瓦礫の上にその男はいた。
赤いシャツに黒いズボンとシンプルな服装なのに,服の一部は破れや汚れがあってヨレヨレで,赤いシャツには黒い斑点…おそらく血がついていた。
ぎらついた赤い目は真っ直ぐと俺を捉えており,目を離さない。
そして,何より怖いと思ったのは肩に担ぐかのようにもたれている大剣だった。その剣で家の壁を壊したのだろう。男の身長よりも長い刃は長く使われているのかボロボロでもあった。
「お前か。」
俺をみたまま,男が呟く。
「だ,誰だ…。」
父さんが足を押さえながら,でも視線は男を見ながら絞り出すかの声で言う。
「はぁ?んなもん,どうでもいいんだよ。用があるのはお前だよ,お前。」
そう言って男は大剣の先を俺に向ける。
「俺…?」
「そうだよ,お前だよ。」
一体なんのようだ。そう言おうとする前に男が言う。
「黙って俺について来い。」
「!」
睨まれながらもなんとか「な,なんで…」と口にする。声に出そうとした訳じゃなく,戸惑う気持ちが口から漏れてしまったのが正しい。
「は?言う訳ないだろ。いいから早く来い。」
「ちなみに拒否権はない」そう付け加える男に,父さんが怒鳴る。
「ふざけるな!聞く訳ないだろ!!」
「あー,あー。うるせーなぁあ!」
すると男大剣をその場で振るった。
「きゃあ!」
強風が吹き,父さんたちの近くにいた紗奈が叫ぶ。
突然剣を振るった男は何がしたかったのだろう。そう思った時,血まみれになって倒れている父さんの姿が目に入った。
「父さん!」
(なんで!?剣に当たってないのに!?)
真っ直ぐに縦に切られた父さんが口から血を吐く。
紗奈が必死に倒産の名前を呼ぶが,父さんはヒュー,ヒューと呼吸するので精一杯だ。
「うるせーんだよ。さっきから。いいから早く来い。」
男が俺に命令する。
正直にいって怖い。そして,今は早く父さんの手当てをしたい。
「せめて,手当てでも」
手当てでもさせてほしい。
そう頼もうとしたけど「くどい」と,言われてしまった。
「早くしないと,お前の妹も切るぞ。」
それがとどめだった。
「……わかった…。」
「お兄ちゃん!?」
紗奈が驚いたように俺をみる。
「…紗奈…,ごめん。父さんたちのこと,頼んだよ。」
俺は紗奈に安心させたくて笑いながら言う。でも,ぎこちない笑顔だったかもしれない。
「ちっ。最初からそうしろよ。」
男はそう言って,歩き出した。
「ねぇ!待って!お兄ちゃん!」
立ち上がって男について歩き出した俺に紗奈が必死に言う。
でも,俺は振り返ることができなかった。
紗奈は泣いているのだろう。
声がどこか震えていた。
「………………ごめん。」
どうなるか分からない。もう二度と会えないかもしれない。
だから,せめて最後に謝った。
一瞬だけ立ち止まって,でも,振り返ることなく。
また,歩き出した。
男がちゃんと俺が来ているかちらりと見たから。
「待って!待ってよ!!お兄ちゃん!!」
遠ざかる妹の声が聞こえる。
「お願いだから!ねぇ!行かないで!」
胸が締め付けられる。
「待ってよ!お願い!お兄ちゃん!!」
視界が涙でぼやける。
(ごめん…。紗奈。父さん。母さん。)
握りしめた手が震える。
止まってしまったら家に向かって駆け出してしまいそうだから,止まらなかった。
(…本当に,ごめんね……)
「お願い……,一人に…しないで…………。」
それが最後聞いた紗奈の言葉だった。