ユルンデールとガバマンディ
女騎士が治めるアヘール王国の裏手には、広大な森が広がっていた。
そして森を二分するように、モラシー川と呼ばれる大きな川が流れており、他国や魔物からの侵略を塞ぐ役目を担っていた。
「……む~、ん」
女騎士隊の軍事的存在を務める才女、ユルンデール。
彼女はアヘール城近郊の地図を広げては、頭を悩ませていた。
「どうしました?」
自らの仕事を終えた、補佐官のシマリワルスが声をかけた。
「決まってる。ガバマンディの件だ」
「……やはり難航してますか」
「ああ」
アヘール城裏手の森の所有権を有するガバマンディ商会。その二代目が森を売却したいと申し出て来たのは、今から三ヶ月前の事だった。
「万が一に備え、森の国有化はかねてから最優先の課題だった。自然愛好家の初代が亡くなり、経営が傾いた会社を立て直すために二代目が森を手放す決意をしたまでは良かった。が──」
ユルンデールが指先で地図を小突いた。
そして、上を向き、大きくため息を漏らした。
「値段が、な」
「相手も譲りませんか」
「三十億イグスの一点張りだ」
森の国有化に備え、国家予算も積み立てられていた。その額およそ二十五億イグス。しかし、相手の要求を呑むのなら、後十年は待たねばならない額だ。
「指折りの美人女騎士を接待させたがダメだった」
「分割では?」
「最初に申し出たら突っぱねられた」
「一部の売却では?」
「それも突っぱねられた。買うなら全部買えとの事だ」
予算には限りがある。そして値切りも分割も出来ない。予算の前借りをするにはいくつかの会議と採決が欲しくなる。
「さて、どうしたものか」
ユルンデールは渋く俯かせた。
──一方、ガバマンディ商会では二代目社長であるクサマンが、落ち着きなくコーヒーを頻りに口へと運んでいた。
「クソッ! 三十億イグスすら出せない貧乏国家め!」
「社長。そのように大きな声を出されては、聞こえてしまいますよ?」
ムッチリとした女秘書がそう声をかけると、クサマンは腕を組んで貧乏揺すりを始めた。
「自然が何たらとか言って、親父はあの森を手放さなかったが、いつ何時オークの侵略や山火事に逢うとも限らん! 売れるときに最大限ふっかけるのが俺のやり方なのに……メスブタどもめ!!」
クサマンは荒々しく立ち上がると、秘書の腰に手を回した。金に物を言わせ雇った秘書は、どの女騎士よりも美しく女盛りであった。
リモコンでブラインドを下げネクタイを外すクサマン。が、その時社長室の電話が鳴った。
「誰だタイミングの悪い!!」
ぶんどる様に受話器を取るクサマン。かかとを震わせながら怒りを滲ませ返事をした。
「──なんだと!?」
ガバマンディが血相を変えた。
「オーク共が森に火を放ったぁぁ!?!?」
想定していた最悪のケースが発生した。
女騎士は後方の逃げ道を失い、ガバマンディは森を失う。
が、クサマンが慌てたのはその時だけで、すぐにその顔は冷静へと戻った。腐っても二代目社長。その才覚は少なからず受け継がれていたのだった。
「むしろ今がチャンスか……?」
何かを察知した秘書は、すぐに交渉用書類を準備した。
「これはわざわざ軍師様自らおいで頂きまして」
クサマンはサングラスを上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「城がアレだからな。こちらの方が良いと判断したまでだ」
ガバマンディ商会社長室に緊張が走っていた。
オークの侵略に対する指揮は補佐官に概ね既に体制を伝えている。何かあれば早馬がこちらへやって来る段取りとなっていた。
「山火事の方は良いのか社長?」
「私設消防隊に任せてある……が、鎮火まで時間がかかるようだ」
ユルンデールは眉をひそめた。
国家の一大事に置いては私有地であろうが容赦なく女騎士隊が介入するのだが、山火事はまだ城から遠く、出だしが出来ないでいた。
クサマンは敢えて山火事を放置している。ユルンデールはそう睨んだ。
「では早速本題へ移ろう」
秘書が書類をユルンデールへと差し出した。
書類に目を落とし、ユルンデールは懐から印を取り出した。取引に応じる意思の表れだ。
「四十億、か……」
「国家の安全と引き換えならば、決して安くはないと思いますがね」
四十億も捻出すれば国の何処かが傾く事くらい、クサマンにも軽く察しが付いていた。
だが、それでも彼には自信があった。奴等には出せる、と。
「失礼!!」
突如、社長室の扉が開いた。戦場の様子を伝える伝令だ。そして、伝令の後ろから、ガバマンディ商会の社員も一人入ってきた。
「ユルンデール様──」
ユルンデールに耳打ちをする伝令。
「社長──」
クサマンに耳打ちをする社員。
「……分かった。すぐに行く」
「……ほほぅ」
ユルンデールは表情を崩すことなく、一枚のメモを伝令に手渡した。
クサマンはサングラスを上げ、より一層笑みを強めた。
「失礼。交渉はまた今度ゆっくり──」
「次にお会いするときは、値が変わっているかもしれませんが……宜しいですかな?」
退室しようと歩み出したユルンデールの動きが止まった。
四十億ですら大出血だというのに、次は更に値上げをする。その事に多少なりとも焦りを感じた。
戦況は思わしくない。オークの侵略が想定よりも激しかったのだ。既に被害も広がりつつある。
「…………」
ユルンデールは無言でガバマンディ商会を後にした。
アヘール城へ戻ると、補佐官が泣きつくようにユルンデールに声をかけた。
「すみません私が至らぬばかりに……!!」
「道中概ねの状況は把握した。至急伝令を飛ばせ!」
オークの侵略は城より南東。そして山火事は城の北。明らかな陽動作戦だが、オークの戦力は想定の三倍と多く、既に女騎士隊の七割が戦場へと駆り出されていた。
「第四部隊から第七部隊へ伝令。その場に留まりオークの侵略を防げ。いいか、防ぐだけだ」
早馬が飛んだ。戦闘狂の第四部隊は些か不満げであったが、王女の印が捺された伝達書に刃向かう事はしなかった。
「そして第一部隊から第三部隊はオーク共を分断し北へと誘導しろ。山火事へと誘え」
同じく早馬から伝令を聞いた部隊の動きは速かった。迷うことなくオークを北へと誘導し、戦場を森へと移しだした。
「第八部隊は嘘を流せ。王女が消防部隊の激励に参ったとな」
オーク部隊に王女の嘘が流布された。
ワザと捕らえられた第八部隊の女騎士が流したのだ。
王女が北の森に居ると知ったオーク達の動きは、ユルンデールの思惑通りとなった。
「どうだ?」
「やはり私設消防隊は最小限の消火活動だけでした」
侵略による山火事を取引の好材料にしようとしていること位、ユルンデールにはお見通しであったが、ユルンデールは更に自分に有利になるよう働きかけた。
「そろそろか」
オーク達が燃える北の森へと現れ始めた。
ガバマンディ商会の私設消防隊は恐れをなし、次々と退却を始めてゆく。
そして火を止める者は誰一人として居なくなった。
「このまま全て燃やし尽くすのも、悪くはないか?」
「何を言っておられるのですかユルンデール様!?」
シマリワルスが慌ててユルンデールを諫めようとするが、ユルンデールは笑ってそれを無視した。
「なあに、すぐに来るさ」
「!?」
ユルンデールの思惑通り、彼は血相を変えてやって来た。クサマンである。
「私設消防隊は何をしている!!」
「全て逃げたようだな」
「何故オークが森に!?」
「さあ?」
笑うユルンデールに青ざめるクサマン。先程までとは真逆の構図がそこにはあった。
「すぐにオークを何とかしろ!!」
「しかし私有地ゆえ……ねえ?」
「えっ!? あ、はい! そうです、ね!」
とぼけた顔のユルンデールに、シマリワルスがようやく顔色を合わせた。ようやく見えてきた。そんな顔だった。
「このままでは森が!! 我が土地が──!!」
「ある程度まで火が近付けば国家命令で消化できるんだがなぁ……うん、残念だ」
「貴様ぁぁ……!! オークの討伐は国家の仕事だろ!! 早く何とかしろー!!」
「うん。やってる。やってるが……ねぇ?」
「え、あ、はい! 数が多くてアレです時間がかかってます!!」
シマリワルスが口を合わせた。
「焼け野原を買う理由は無い。管理などしなくても遠方まで良く見えるからな、ハハハ!」
「ぐぬぬ……!!」
「さて、ここから話すことは憶測、いや推測だが──」
ユルンデールはしばし、真面目な顔をした。
が、すぐに笑い燃え盛る森を見た。
「恐らく彼はオークが森に現れることを想定していなかったんじゃないかな? オークが居たんじゃ値上げ交渉どころではない」
「…………」
「想定……いや、そういう段取りだったんだろな」
「……!」
「オークが火を付ける。森の値を上げる。交渉が終わればオークは撤退する。そして多額の資金がオークに流れる。そんな感じだな」
「……」
「あの日以来、ずっと南向きの風を待っていたんだろ。だから交渉は進まなかった」
「…………」
「調べればすぐに分かることだ」
身なりの良い、貴金属を身につけたオークが縛られ口を封じられたまま運ばれてきた。太い指には金の指輪がいくつも着けられている。
クサマンはオークと目が合うと、すぐにそっぽを向いた。
「連れてけ。ああ、それとその指輪を削ってみろ。きっとメッキだろう」
メッキと聞き、オークの目付きが変わった。
クサマンの方を向き、何かを訴えるようにもだえ始めた。
「彼はケチだからな。だが私は優しいぞ? 本当のことを言えば本物をやろう。そして無事に巣に帰してやる」
オークが運ばれてゆくと、クサマンは項垂れるように崩れ落ちた。
「こいつも連れてけ」
女騎士達がクサマンを連行した。クサマンは抵抗すること無く、無言で歩いた。
「本当に主犯のオークを逃がすんですか?」
「何を言ってる。巣まで後をつけて巣ごと焼き滅ぼせ」
笑いながらそうこたえるユルンデールの顔を見て、シマリワルスの背に冷たいものが伝った。
「悪いオークは生かさない。後悔しないための決まり事だ」
女騎士隊が消火活動を始めた。
ガバマンディ商会所有の森は、国家反逆罪の罪でお取り上げとなり、国有化となった。
ユルンデールは一円も払うこと無く森を手にし、最低限の整備にだけ予算を使い、残りは自然保護として活用した。
ガバマンディの森と名付けられた自然保護区には、今でも数多くの野生動物が暮らしている。