第七話
「ん……あれ、開かんばい……?」
「下手くそじゃねぇか。貸してみ」
執拗にノブがガチャガチャと動かされる。お前も下手くそだよ。
やがてひずんだ音とともに、いつものメンツが飛び込んできた。
「わ、もう二人ともおるやんね!」
「だから言ったろ? 堀川たち家近いからもう来てるってよぉ」
挨拶代わりのやり取りを交わし合う四条&日暮。これまでの空気感をまるごと払拭するような異分子二人である。
「円花ちゃん、昨日ぶりばい! はいこれ、うちのお姉ちゃんのおさがり!」
「え? これは……?」
唐突に紙袋を渡されて、音海はしどろもどろになっていた。
「うちの高校の夏服ばい♪ こい着とけば、ぜんぜん違和感なかと!」
「しかしよ四条。お前の姉貴のおさがりってことはつまり……ちょいと大きいんじゃねぇの?」
「やってみらんと分からんばいっ。さっそく更衣室へレッツゴー!」
「へっ⁉ あ、あの、わたし……」
「いいからいいから~っ♪」
ニコニコ笑顔の四条に背中を押されて、音海はいったん部室の外へと消えていった。
「ウキウキだったな、あいつ」
「そりゃお前、あんな美少女アイドルに自分の高校の制服着させるんだぜ?」
「お前もウキウキしてんな」
「そりゃそうよ。ただまあ、『最適解』でないのが悔やまれるぜ」
くっと拳を握りしめ、虚空に向かって目を細める日暮。
「なにがだ」
「そりゃ制服が、だ。あれは体型に合ったサイズを着こなすことで、シワの陰影、適度なハリ、腹チラといったとんでもない化学反応を生み出すもんだかんな。オーバーサイズなど邪道! 断じて許容することはできねぇ!」
知るか。そもそもお前二次元専じゃなかったのかよ。
くだらない会話をしばらく交わしていると、ようやく二人が更衣室から戻ってきた。
「じゃーんっ! 夢が丘バージョンの円花ちゃんの誕生ばいっ! どがんねどがんね⁉」
音海の小さな肩に手を置いて、四条はこれ見よがしに言った。
真っ白なシャツに、胸元には赤いリボンが垂れている。紺色のスカートから伸びる足はとんでもなく細くて色白だ。スリッパではなくて純白の上履きなのも、かなり相乗効果を生み出しているように思える。
「わ、あのこれ、ちょっと、大きすぎないですか……?」
「大丈夫ばい! ちょっとオーバーサイズのほうが可愛く見えるけんね!」
確かにサイズ感はゆったり目だ。しかし日暮が危惧したほどのミスマッチ感はない。むしろどことなく残るあどげなさが強調されている。
「なるほどな……こいつは素晴らしい。なあ堀川?」
流れるような手のひら返し。今度からこいつが語る理論には一切耳を傾けないことにしよう。
「にしても、やっぱい可愛かね~! ぱっつんショートもピッタリばい!」
「い、いえ。そんなことは……」
謙遜する音海だったが、褒められると素直に嬉しいようだった。
「ちょっと照れとうところも可愛かっ!」
お人形さんのような音海をちょこんと座らせてから、四条はいろいろな角度からその可愛らしさを再認識している。
その隣に座る日暮が、なにかを思い出したようにふと顔を上げた。
「そういや俺、昨日【シークレットシーク】調べたんだけどさ。円花ちゃんって、いつもはまさにアイドルって感じのロングヘアだよな?」
「はい……実はこれ、ちょっとした変装のつもりで」
「有名税たい」
「そうそうバレないとは思いますけどね。念のためです」
……本当にそうだろうか。音海はああ言っているが、俺は少し懸念している。
【シークレットシーク】――シクシクは、確かに誰もが知っているほどのアイドルユニットではない。だが、先日俺が観た売上ランキングでは、シクシクの最新シングルは週間3位にランクインしていた。初週2万8千枚という数字を見るに、かなりの「根強い」ファンがついているのは間違いない。
ここが佐賀という辺境の地であることを加味しても、「この顔にピンとくる」レベルのファンが潜んでいる可能性は十分にあるのだ。
「どうしたよ堀川、そんな難しい顔して」
「……いや、なんでもない」
目をそらした隙に、音海と少し視線が交差する。……なんだろうな。やはりすぐに以前のように、とはいかないもんだ。
「なんね、ゆーくん。借りてきた猫みたいになっとるばい?」
「いつもそんな感じだろ」
「そうやっけ? ……あ、今からお茶淹れるばってん、円花ちゃんも飲むね?」
「それなら、せっかくですし……いただきますね」
音海はといえば、思いのほかにこの空間にも馴染んできている。俺はともかくとして、四条や日暮のノリにも柔軟に対応している。
人数分の嬉野茶が注がれ、四条の手によってそれぞれの席の前に置かれる。
「ありがとうございますっ」
「どういたしまして! ……円花ちゃんも、もっとくだけたってよかとよ? ここにいる間は、もうドル研の一員みたいなもんやけんね」
「そうそう、もっとフランクにいこうぜ円花ちゃん。そもそも俺ら同学年だしなー」
こいつらなら絶対に言い出すとは思っていた。俺からはなかなか訊きづらい質問だったので、ある意味ありがたい。
俺は平静を保ちつつ、音海の返事に耳をそばだてる。
「あー……」
力なく笑いながら。
音海は、とんでもないことを口にした。
「すみません……わたし、くだけ方を忘れちゃって、ですね。あはは……」
その後に流れる変な空気を取り払うように、慌てて言葉を重ねた。
「いやあの、変な意味じゃなくってっ。ただその、やっぱりユニット内でもわたしが一番年下だし、芸能界だと先輩や上司ばかりなので、目上の人と話す機会がとくに多かったって話で。後は……その、今までこういう高校生っぽいことをやったことがなかったっていうか、だからちょっと緊張して、こんな感じになっちゃってるところがあるというか……すみません」
「…………」
その場にいる全員が、しばらく言葉を失っていた。
そうか。こいつが敬語で話している理由。どことなく一線を引いているような、妙な違和感。それはつまり――。
俺なりにかみ砕いた音海の発言を、慎重に口にする。
「普通の高校生活を知らない。だから俺たちとの打ち解け方も、よく分からないってことか」
「……そうですね。そうだと……思います」
肯定とともに、音海の口元が自嘲気味に曲げられた。
そのとき。
「――もし、もしもね。そうやとしても」
「え……っ⁉」
素っ頓狂な音海の声がする。
四条はいつの間にか背後に回り、その豊満な胸で、音海の小さな肩を優しく抱き留めていた。
「今だけは、ちょっとアイドルお休みしたらよか。普通の女の子に戻って、普通の高校生っぽいことばしてさ。円花ちゃんの望む普通かどうかは、分からんけど……」
少しだけ間を置いて、四条は心に溶け込むような言葉を紡ぐ。
「難しいことなんて、今は忘れてもよかと。円花ちゃんには、そういう時間も必要ばい」
「ああ。俺たちもなに一つ、難しいことはするつもりねぇさ。だろ? 堀川」
「……そうだな」
普通のことを、普通に……か。
俺たちみたいな田舎の高校生と、都会でアイドルやってきた音海と。
なにもかもが違うものだと考えていた。
常識も、生活も、それこそ日常そのものが。
だけど今――四条の腕のなかで、大粒の涙を浮かべている音海を見たとき。
その認識は間違っていたのかもしれないと、俺は強く思った。