第六話
夏休み期間中はさすがに人気も少ないが、それでもトレーニングウェアを身に着けた学生などかちらほら校門を出入りしている。
「だ、大丈夫でしょうか」
「堂々としてろ。運悪く先生と鉢合わせても、適当に誤魔化してやる」
とは言ってみたものの、実際まったく心配する必要はなかった。
すれ違う生徒はそれなりにいたが、こちらの様子には目もくれない。どうやら、ただの部活生としか思われていないようだ。そのうえ隣にはきちんと制服を着た俺がいるわけで、そうそう怪しまれるはずもない。
下駄箱で校内用のスリッパに履き替える。音海はこれも高校のものを持ってきたらしい、真っ白な上履きだった。
「ぜんぜん形状が違いますね……」
「スリッパがぼろぼろになったから、代わりに履いてますとでも言えばいい」
音海はなんだか不服そうだった。お前、物持ちめちゃくちゃいいもんな。
「こっちだ」
昇降口の大階段を昇り、二階にある文化系部室棟へ。ほとんど同じ間取りの部室が七つ、ずらりと並んでいる。
手前から四番目のドアに手をかける。上方向に少し持ち上げるようにしてから、右肩を入れるようにドアを押すと、がちゃりと音を立てて扉が開いた。
「鍵かけてないんですか⁉」
「このドア、建付け悪くてな。今の開け方を知らないと、開いたままでも施錠してるようなもんなんだよ」
「えぇ……」
「ま、入れよ」
「し、失礼します」
こわごわとした足取りで、ドル研の根城へと侵入する音海。
そして壁一面に広がるポスターの海を見て、ぽかんと口を開けたまま絶句。
「……なんですか、ここ……⁉」
「俺たちの部室だ」
一見カオスなように見えて、どこか統一性の取れた空間。
歴代の部員たちがせっせと収集し、オタク心に飾り立てていた品々の多くが、今もまだ当時のままに残っている。
「アイドル研究部、とは聞いてましたけど……がちなんですね」
「ちなみにがちなのは先代たちな。俺らはこのへんのコレクションとかにはほとんど関わってないぞ。たまに模様替えしてるぐらいで」
「そ、そうなんですか」
音海は感心したように、CDラックから本棚、ところどころ痛んでいるポスターの一つひとつを眺めて回る。
「……あ、これって……!」
とりわけ目立つところに貼られていた一枚の宣材ポスター。音海はそれに強く目を惹きつけられたようだった。
【シスター・リリー】の硬質なロゴマークとともに、三人のアイドルたちが肩を寄せ合い、それぞれがカメラを見上げている構図。真っ白な背景部分には、まだ筆跡がおぼつかない三人分のサインが記されていた。
「もしかして、このサインって……」
「ああ、本物だ。シスリリメンバー直筆のな」
「どど、どうやってこんなの手に入れたんですかっ⁉」
目をくるくるとさせながら訊いてきた。珍しく気が動転しているらしい。
「手に入れたっていうか、向こうが勝手に送ってきたんだろ」
「……は……?」
理解が追い付かないのか、音海はきょとんとはてなを浮かべている。
「シスリリのセンター、天川詩音が佐賀出身なのは知ってるだろ」
「それは、まあ……わたしにとっての憧れでしたから」
「この部活を創設したのが彼女だ」
「…………」
みるみるうちに音海の目がまんまるになっていく。
「えええっ、そ、そうなんですかっ⁉」
「ぜんぜん知られてない話だけどな。俺も高校に入るまでは知らなかったし」
俺が天川詩音の高校時代を知っているのも、それが夢が丘高校の伝説として語り継がれているからに他ならない。当然ながら、彼女がドル研として活動しているところを直接見たわけでもないしな。ただ状況証拠的にも、天川詩音=ドル研の創始者でほぼ間違いない。
「最初は純粋にアイドル活動をしていたそうだけどな。天川詩音が卒業してからは、部員もまたたく間に減っていったらしい。今となっては、よく分からんドルオタ二人と俺だけだ」
定位置に腰かけた俺のことを、音海は複雑な表情で見つめてくる。
「……悠くんは、どうしてここに入部したんですか?」
「とくに目的もなく。一種の暇つぶしだな」
「……そう、ですか」
そうだ、と念押しに言おうかとも思ったが、なぜか喉の奥で押しとどめてしまう。
再び気まずい沈黙が下りるよりも先に、俺は先手を打つ。
「そこの席、座っていいぞ。空席だからな」
「は、はい」
素直に音海が腰を下ろす。それと同時に、賑やかな足音たちが近づいてくるのを感じる。
正直これ以上は間を持たせられる気がしなかったので、俺は心底あいつらに感謝を捧げた。