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幼なじみの都落ち  作者: なつまつり
第三章
32/53

第三十一話

 店内へ入る。日曜日の朝方ということもあり、それなりに客足はあるようだった。店内の四割ほどが既に埋まっていた。


 値はそこそこ張るが、その分かなりボリュームのあることで有名なチェーン店だ。

 窓際の空いている座席に座る。目的は時間潰しなので、とりあえずアイスコーヒーとホットミルクをレギュラーサイズで注文しておく。


 ときおり聞こえてくる他の客の話し声。そうでなければ、すぐ脇の市道を通る車の走行音。

 そういう雑多なものをBGMに、俺たちの間にはやたら重い空気が立ち込めていた。


「……まぁ、こうなっちゃうよね」


 体面にちょこんと座った円花は、手元にある呼び鈴に手をかけながら苦笑する。


「天罰、かな。わがままが興じちゃって、とんでもないことやってるもんね。わたし」

「…………」


 健気に笑いかけてくる姿を見ていられなくて、俺はテーブルの木目をひたすら追った。


 ……少し状況を甘く見すぎていた。

 最初の頃こそ、懸念はしていた。


 シクシクほどの知名度なら、どこにファンが潜んでいてもおかしくないと。

 だが……時間が経っていくにつれ、少しずつ警戒心が薄れてしまっていた。


 バレないだろう。バレるはずがない。


 ほとんどの生徒が登校しない夏休み期間。全盛期もとうに過ぎ、存在自体がほとんど認知されていないアイドル研究部。

 通行人が不意に立ち止まる程度のイベントスペースで、ひっそりと開かれるミニライブ。


 この条件なら、まず問題ないだろう。そういう思考が、いつの間にか芽生えていた。


「活動休止したアイドルが、生まれ故郷の高校で部活動体験。それもアイドル! ……なんて、笑っちゃうよね。意味不明すぎるもん」


 久々に会った友達に笑い話をするときのようなトーンで、円花は言った。


「こんなことファンが知ったら、びっくりするよね。きっと裏切られた気分になっちゃうね」


 そんな空元気も、少しずつトーンダウンしていく。


「……あはは、なにやっちゃってるんだろう。こんなことして、わたし、なんだかおかしくなっちゃったみたい――」


 両手で頬を包んで、その肉をむにゅ、と押し出すように動かしていく。やがて顔の前面が覆われると、それきり円花はなにも発しなくなった。


 やがて注文の品が運ばれてきて、俺たちは覇気のない会釈でコーヒーカップを受け取る。

 ちろちろとスプーンでコーヒーをかき混ぜる。円花もずっと同じ動きをしていた。


「ね、悠くん」

「……おう」

「わたしはここにいるのは、宙ぶらりんだからだよ」


 唐突に抽象的な話になった。俺は両目をすがめて、改めて円花を見つめ直す。


「アイドルにはなれたけど、シクシクでわたしがやってることはね、アイドルの真似事なの。すべては売り上げのため。メンバーとの競争、センターの取り合い。どんどん狭められていくお仕事の選択肢……」


 そこで初めてかき混ぜる手を止めて、円花はホットミルクに口を付けた。


「でも、それはしょうがないことだって分かってるの。でもね。ずっとこのままだと、ダメになるなって気がしてた。最初の気持ちを忘れちゃうんだろうな、って」


 最初の気持ち。


 ――『誰かの心を盗んでみせる』。そんなアイドルに、わたしもなってみたいんです!


 公民館で熱く語っていた姿が、まざまざとよみがえってくる。


「どうすればいいかずっと考えて。そしたら、なぜか悠くんのことばっかり浮かんできちゃって。なんでだろ……ずっと謝りたいと思ってたから? それとも、悠くんなら正解を教えてくれるのかもしれないって、そう思ったからかな……?」


 過去の自分を見つめるように、円花は果てしなく遠く、目の前の俺を見ていた。


「ごめんね……ほんと、嫌な女だよね」

「いや、そんなことは……」

「だって、こんなにわがまま放題やっちゃってるのに……また悠くんに縋ろうとしてるんだよ」


 柔らかそうな唇を、悔しさを押し付けるように噛む。

 昔からの癖だった。悔しくて腹立たしくて、どうしようもないときの。


「悠くん、わたしは……どうすればいいのかな? アイドル辞めて、夢が丘に転入して、アイドル研究部に入ったら――そしたら、幸せになれるのかなぁっ⁉」


「お前――ッ」


 震える円花の声が、俺のコーヒーにまで細かな波を立たせる。


「わたし、今とっても楽しいの! これまでの人生でいちばん、今が楽しいのっ! 芸能界でアイドルなんてやってても、ぜんぜん楽しくないッ! 昔はあんなに憧れたのに、恋焦がれたのに――全部嘘っぱちだったもんっ!」


 その声はとっくに、周囲の客の顰蹙を買っていたようだった。

 だけど今の円花には、そんなものは見えてすらいない。

 大粒の涙をたたえるそのまなざしは、ただ俺だけを捉えている。


「ねぇ、どうなの悠くんっ⁉ わたし、そうしていい? もうアイドル辞めていい? アイドル研究会でさ、普通の女子高生しながら、楽しくアイドルごっこしてもいい⁉ こころさんや京太郎さんと、そして悠くんと一緒に、残りの高校生活をッ――」


「お客様、もう少し静かにお願いいただけますか?」

「は――ッ」


 すかさずウェイターが円花に駆け寄っていた。

 我に返ったように、円花は茫然と口を開けたまま硬直する。


「他のお客様のご迷惑になりますので。どうか……」

「……ご、ごめんなさいっ……」


 最後は、ポトリと落ちて消え入る線香花火のような――かすかな声だった。


 俺は席を立ち、突っ伏した円花の背中をそっとさする。

 ぴく、と小さな反応が返ってくる。


 声を押し殺して泣く円花の、荒い呼吸音をどうにかなだめたいと思う。

 ……でも、どうしても言葉が出てこない。


 ほんとうは俺だって言いたかったのだ。


 アイドルなんてすぐに辞めればいい。

 こっちに帰ってこい。夢が丘なら、そう苦労することもなく編入できるだろうから。

 ドル研に入って、まあもう一年と活動はできないだろうけどな。


 夜が更けるまで部室でダラダラして、それから一緒に帰るんだ。

 眠れない夜には、いつもの公園でだべればいい。

 寝起きの悪い朝には、お前に玄関のチャイムでも押してもらうとするか。


 ……今すぐにでも言ってやりたいことは、いくらでも湧いてくる。


 だけど、ひとたびそう言ってしまえば――こいつは躊躇いもなく、アイドルを辞めるだろう。


 あれだけ熱心だった、アイドルへの道。

 こいつは確かに、並大抵ではない努力と決心の末に、ステージまでたどり着いた。


 そして今でも、『最初の気持ち』は確かに残っている。

 こいつの心のなかで、まだ燦然とした光を宿している。


 まだ諦めたくはない。……そんな想いもまた、俺にひしひしと伝わってくるのだ。

 だからこそ、俺は成し遂げてほしいのだ。


 このドル研で精いっぱい、自分の思い描くアイドルというものを。

 わざわざミニライブをやるのも、そこに意味があるからだ。

 あるべき自分に迷い悩む音海円花という少女が、いまだ見えない正解をたぐり寄せるために。


「……ゆっくり考えないか」


 俺はつとめて穏やかな声で、円花に語りかける。


「まだ時間はある。……俺でよかったら、一緒に悩む。考えてやる」

「……」

「ここですぐに結論を出すのは得策じゃない。分かるだろ」

「……っ、うん……」


 小さな声と共に、わずかなうなずきが返ってくる。

 ようやく落ち着きを取り戻しつつあるだろうか。


 それでも俺は、しばらく円花のそばを離れなかった。最低でも、その意思表示だけは続けておきたかったのだ。


「……ん」


 ふと、スマホが鳴り響く。

 ワンコールで応答すると、揚々とした日暮の声が聞こえてきた。


『お手柄だぜ。四条が例の女の子をしょっ引いてきた』

「……名前は合ってたのか?」

『おうよ。早坂ひなた、っていう子だ。円花ちゃんの盗撮に関しては、容疑を認めてるぜ』


 ――()()()()()()()


『動画の転載元はユーチューブみたいなんだがな。そっちには一切アップしてないんだとさ』

「シラを切ってるだけじゃないのか」

『いちおう、アプリ利用の履歴なんかも見せてもらったぜ。まあ、隠蔽しようと思えばできなくはないんだろうが……それだけは断固として否定するもんでな』

「……分かった。とりあえずそっちへ向かう」

『ああ。道中気を付けろよ』


 ……まったく。次から次へと。


「円花、動けるか?」

「……うん……」


 赤くなった目元を腕でこすり、円花はのそりと顔を起こした。


「しんどかったら、家まで送っていくぞ」

「ううん。悠くんと一緒に行く」

「……分かった。少し待っててくれ」

「お金、払うよ」

「いいから!」


 今日はおごる日だ。

 誰が決めたわけでもないが、そういう日なのだ。たぶん。

 なんとなく意地を張りたくなって、俺は伝票をつかみ取る。


「もう……悠くんってば」


 こんな場面でカッコつけたがる男を、円花はどう思うのだろうか。


「……ありがとね」

「別に。普通だろ」

「なにそれ。普通って」


 くしゅくしゅと円花が笑っている。


 千円弱の伝票にちらりと目を落とす。

 普段ならなかなかの痛手だが、今日に限っては痛くもかゆくもないのだった。


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