第二十六話
八月十三日。練習十日目。
世間はこれから数日間の盆休みに入る。夢が丘高校は私立高のため、今日からしばらく完全休校になる。当然ながら立ち入りはできない。
代わりに練習場所となるのは、高校からほど近い場所に位置する夢が丘公民館。いくつかの会議室と研修室を備えており、申請すれば誰でも利用することができる。
鏡張りの一角もあるらしく、まさに練習にはおあつらえ向き……なのだが。
「重いな……」
スピーカーとジュラルミンケースが積みあがった台車を、おそるおそる押しながら進む。
前方では、音海が誘導係を担っていた。
「正面から自転車です」
「……了解」
高価な機材が積みあがったそれを、俺はゆっくりと路傍に寄せた。
学校以外で合同練習を行うとなれば、どうしても機材を移動させなければならない。しかも今は休校中のため、俺の家がもろもろの仮置き場と化しているのだった。
家が近いと、それはそれで大変な不利益をこうむることもあるってもんだ。
普通に歩けば十分と少しでたどり着けるはずなのだが、高価な機材を運搬する役目を負った以上、時間と神経を多分に消費しなければならないのだった。
「悠くん……大丈夫ですか?」
心配そうに音海が訊いてくる。だがここで「大丈夫じゃないから代わってくれ」なんて口が裂けても言えない。こういうのは俺の仕事だからだ。
「ああ、問題ない。音海は引き続き誘導を頼む」
「わ、分かりました」
引き続き注意深く先行していく音海の背姿を見て、俺は小さくため息をついた。
数日前、四条に言われた言葉がよみがえってくる。
――これは日常じゃなかとよ。円花ちゃんのための、日常のような非日常やけん。
日常のような非日常。言いえて妙だ、と思う。
音海と過ごしているこの日々は、確かに普通ではない。
音海のために、普通を作り出している。……その言い方が適切かどうかは分からないが、俺はいつの間にか、その見せかけの日常に騙されていたのかもしれない。
なんとなく、この日々は続いていく。そんな感覚。
二度と顔を合わせることはないと思っていた。そんな幼なじみが、ある日突然、俺の前に姿を現した。
にわかには信じられなかった。――俺はとっさに彼女を「音海」と呼んだ。
呼んでしまった。
思春期の四年間。その重要な時期に、離れ離れになってしまった心の距離は、いざ実体として身体が近づいた瞬間に――猛烈な違和感を残したのだ。
だから、俺は。
――円花ちゃん、ずっと心配しとうよ? 『悠くんは、やっぱり許してくれないのかな』って。
俺はべつに、怒りを覚えているわけじゃない。そこにも音海の誤解がある。
あいまいな心の揺れ動きを差し置いて、俺はとりあえずの日々を送ろうとした。
案外、なんとかなった。以前のようにとまではいかずとも、普通にコミュニケーションを取ることはできる。ドル研のいちメンバーとして、音海を仲間として、見ることができる。
……だけど。そんな俺のあいまいさにいち早く、気づいた奴がいた。
――このままじゃダメばい、ゆーくん。
人を見る力があるというのは、ああいう人間のことを指すのだろう。
そして、その気づきを遠慮なく当人に突き立てる勇気。
四条こころという人間に、俺は心から感服する。それに比して、自分がいかに未熟な存在であるかを、改めて実感する。
ハンドルを握りしめる拳に、俺はぐっと力を込めた。




