第二十五話
校門から出てすぐ右手にあるドラッグストア『コスモ』で買い物を済ませた俺は、レジ袋両手に来た道を引き返す。
俺と日暮で協議を重ねた結果、音響勢は午後の買い出しを日課とすることに決めた。
水やスポーツドリンク、アイスクリームなどを買い込み、練習に取り組む音海たちへ差し入れするという趣旨だ。言うまでもなく自腹である。
……まあ、アイドル勢の過酷な練習を見れば、このくらいなんということはない。ただでさえ暑いなか、夏休みを潰してひたすら練習に時間をつぎ込んでくれる音海と四条のことを思えば、このくらいの働きは当然ともいえる。
今も涼しい部室でだらけているだろう日暮の顔を思い浮かべると多少腹は立つが、きっちりとジャンケンで負けてしまったのだ。文句は言えまい。
校舎の四階まで昇りきるころには、既に俺の額にも汗が浮かんでいた。
さっさと渡して帰ろうと思い、俺は足早に練習場所となっているラウンジへと急ぐ。
「……あ、ゆーくん!」
そこにいたのは、ひとりでターンの練習を続けていた四条だった。
「音海は? いないのか」
「いま、部室に戻っとるばい。なんか、作業があるって」
「そうか。ほれ、今日の差し入れだ」
俺がレジ袋を掲げると、四条は生まれたての子犬みたいに目を輝かせて駆け寄ってくる。
「わ、ブラモン買ってきたとね⁉」
ブラモンというのは、九州でメジャーな棒付きアイスだ。濃厚なミルク味のアイスクリームに、チョコ味のカリッとしたクランチがまんべんなくまぶされている。かなりうまい。
「先着順だからな。欲しけりゃくれてやる」
「じゃーいただくばい♪ ゆーくん、ありがと!」
「あとスポドリもあるから、喉が渇いたら飲めよ」
「はーい!」
言いながら、四条はさっそくブラモンの包装を開けている。
壁に背中をあずけて、ずり落ちるようにぺたんと尻もちをつく。最終的には体育座りだ。
どうやらこの体勢、休憩時のスタンダードらしかった。
クランチがこぼれやすいから、一度下向きにして袋のなかにカスを振るい落とす。ブラモンの食べ方を知る猛者でなければ、とてもできない芸当だろう。
「音海の分、ここに置いとくからな」
いちおう言い残して、俺はすぐにその場を去ろうとした。
「待たんね、ゆーくん」
のんびりとした四条の声が、動き出そうとした俺の足を引き留める。
「なんだ?」
「……円花ちゃんのこと、ばってんね」
意外と小ぶりな一口をしっかりと味わってから、四条は続ける。
「ゆーくん、円花ちゃんとさ。なんか、あったと?」
「……なぜだ?」
「普通じゃなかもん」
俺の怪訝な思考を断ち切る、鋭い一言だった。
「幼なじみに普通、『音海』とか、言わんもん」
「……そういう人間だろ、俺は。現にお前らのことも名字で呼んでる」
「あたしらと円花ちゃんじゃ、違うばい」
そんなことはない。そんな言葉が喉まで出かかって、俺は急ブレーキをかけた。
四条の目は、まるで俺を見つめているようで――その先の、もっと別のところを見ていた。
「それは、分かっとるやろ?」
「……ああ」
いくら取り繕った言葉を探しても、四条の前には無意味だ。
そんな気がした。
「円花ちゃん、ずっと心配しとうよ? 『悠くんは、やっぱり許してくれないのかな』って」
「……お前……」
それはきっと……音海が練習の合間、ふっと漏らした一言なのだろう。
「あたしだって、ちょっとおかしかなーって思っとったとよ。なんとなくばってん、ゆーくんは……円花ちゃんのこと、少し避けとるって」
「べつに、避けてるわけじゃ」
「会話を避けてる、って意味じゃなかとよ?」
……まったく。
お前ってやつは、どうしてそうも洞察力が高いんだ。
「円花ちゃんは、精いっぱいゆーくんに寄り添おうとしよるよ。ばってん、ゆーくんはそうじゃなかよね? 円花ちゃんの気持ちに向き合おうとは、しよらんよね?」
「…………」
なにも言い返せない。
いつもなら、適当なことを口にするだけで躱せるのに。
四条の言葉は、視線は、表情は。
決して俺を逃がそうとしない。逃がしてはくれない。
「円花ちゃんがここまでして頑張ってくれる理由。ゆーくんはそれを、しっかり考えたほうがよか。だって――」
ひとつ呼吸を置いてから、四条はその宣告をする。
「あと二週間しか、なかとよ」
「…………ッ!」
なだれのような衝撃が、真正面から俺にぶつかってくるようだった。
二週間。日数にして十四日。
あと三日もすれば、とっくに折り返し地点を越えてしまう。
既にそこにある日々が。明日も続く毎日が。
それでも……二週間後には。
「これは日常じゃなかとよ。円花ちゃんのための、日常のような非日常やけん」
惑う俺の退路を塞ぐように、次々と言葉の柵が降り落ちてくる。もう既に袋小路だ。
「このままじゃダメばい、ゆーくん」
その一言が、自分のなかに深く、深く落ち込んでいく。
そうだ。このままでは、俺は。
なにも清算できないままに、音海がいる日々をなんとなく過ごすだけ。
そうなれば――すべて、終わりだ。
だから、そうならないように。
俺には、やるべきことがあるはずだ。
「……ああ。分かってる」
「……うん。なら、大丈夫ばいっ」
破顔した四条は、ブラモン最後のひとかけらをぱくりと平らげた。
「……んー、10点当たりばい。まあまあラッキーって感じやね」
当たったらしいアイススティックを片目で眺めている四条に、俺は小さくつぶやいた。
「……ありがとな、四条」
きちんと彼女の耳まで届いたかどうかさえ、分からない。
ただ、わずかに――彼女の口の端が曲がった。そんな気はしたのだった。




