第二十話
この日も一通り機材をいじくり回した結果、当然のごとく暇をもてあそぶ時間帯へと移行していった。
アイドル組と違い、俺たちは時間に追われるということはない。技術的にも難しいことをするわけではないため、ひたすら正確さと迅速さを向上させていくことになる。
とはいえ、基本は同じことの繰り返しだ。どうしてもダレてきてしまう。
午後の練習開始から二時間も経つと、俺たちはそれぞれ勝手に時間を潰し始めていた。……俺はつれづれなるままに、硯に向かう要領で日暮のほうを見やった。
「なにしてんだ、さっきから」
ルーズリーフにひたすら文字を書きつけている。その様子は真剣そのもの。
「ああ。ちょっとMIXでも作ろうかと思ってな」
「……あれか。わけの分からん掛け声みたいなやつか」
「アイドル界隈にいるなら常識だろ。歴史もあるし、なかなかどうしてコイツは奥が深ぇんだよなぁ」
MIXは確か、地下アイドルを中心に浸透していった文化だ。
曲のイントロや間奏など、ボーカルが入らない隙をつき、脈絡のない語感だけで選ばれた単語を叫ぶ行為だと認識している。
「あれはなにが楽しいんだ」
「楽しい楽しくないは置いておけ。MIXっつーのはな、アイドルから無類のパワーを受け取った俺たちが、己の根幹から湧き上がってくるパッションを解放するためにあるんだぜ」
「普通に歓声を送るのじゃ駄目なのか」
「それも一つの手段。MIXはな、その場にいる戦友たちと高揚感を分かち合うのに最適ってワケよ。なぜなら、きちんとした型があるからな」
日暮はさらさらと流れるような筆致でなにかをしたため、
「これがすべての基本となるアレ。そう、英語MIXだ」
そこには、次のような不可解な文字列が。
よっしゃー! 行くぞー!
タイガー! ファイヤー! サイバー! ファイバー! ダイバー! バイバー!
ジャージャー!
「怪文書かこれは?」
「とんでもねぇ。これこそが始祖であり原典だ。そしてこっちは日本語MIX」
ジャージャー!
虎! 火! 人造! 繊維! 海女! 振動! 化繊! 飛! 除去!
「そもそも最初のこれはなんだ。ジャージャー麺か?」
「アホか。さっきの英語MIXと対応させてみろ。それが答えになる」
「……英語と日本語が対応してるってことか」
言葉をそのまま当てはめれば『化繊/飛/除去』=『ジャージャー』。
「まったくもって意味が分からん」
「つまりこうだ。『心の有るがままに【化】身し、本来【繊】細な心を/【飛】ばし/刹那に思ふがまま【除】き【去】る』――ドルオタに宿る崇高な心緒を、端的に表現したのがMIXちゅうモンなのよ」
少しでも真面目に耳を傾けようとした俺がバカだった。
「ただし、MIXはしかるべき状況、現場で発動するのが鉄則だ。場にそぐわなければ、即座にして単なる迷惑行為と化しちまうからな」
「お前、まさかそれ音海のライブで発動させる気じゃないだろうな」
「俺はそんなわきまえのないことはしねぇさ。カラオケで思う存分、楽しませてもらうけどな」
「それはそれで、お前の語るMIXの意義から外れているような気もするが」
「まぁな。要は騒いで楽しけりゃいいんだよ」
結局それが答えじゃねえか。
呆れた俺が絶句しているところに、とたとたと足音が近づいてくる。
――俺たちは非常事態をすぐに察知した。
乱暴にノブが動かされている。部室のドアは建付けが悪く、手順を踏まなければ開けることができない。
「……円花ちゃんだ。様子がおかしい」
「すぐに開けてやってくれ」
日暮が内側からドアを開けると、青ざめた顔の音海が立っていた。
「こ、こころさんが……こころさんがっ!」
冷たい汗をかき、息も絶え絶えに、救いを求める目で訴えかけてくる。
「いきなりうずくまって、動けなく、なって……‼」




