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98 ミアのキスの意味は〝私はあなたのもの〟


「お兄様……もしかして、私のことが……好き?」


「え?」



 マリアからの質問の意味が、グレイにはわからなかった。




 好き? マリアのことが?

 ……そんなのは当たり前だろう。




 グレイの中で、他人とは〝嫌いな者〟と〝嫌いではない者〟しかいない。

 エドワード王子やべティーナは〝嫌いな者〟に入り、レオやガイルは〝嫌いではない者〟に入る。


 しかし、マリアだけはグレイの中で唯一〝好きな者〟に入っていた。


 他人に興味のないグレイが、マリアのためならば行動に移す。

 マリアに対するこの特別な感情に、グレイ自身も気づいていた。



「マリアのことが好きなのは当然だろ?」


「!」



 何を言っているんだと言わんばかりのグレイの答えに、マリアの顔が嬉しそうに輝く。

 けれどすぐにハッとしてまた顔を引き締めた。



「あの、家族としての好きじゃなくて、その……女性として好き……なのかなって」


「女性として?」


「うん。あの、ほら。恋愛……っていう意味で」


「恋愛……?」



 グレイは聞き慣れない単語に顔を顰めた。

 今までの人生の中でその単語を見たのは、ガイルに強制的に読まされた小説の中でだけだ。


 当時13歳のグレイは、1人の女性を執拗に想い愛について語る男を心底気持ち悪いと思っていた。

 



 あの気持ちの悪い感情を、俺がマリアに……?




 一瞬で自己嫌悪に陥りそうになったとき、マリアが意を決した様子でグイッと顔を近づけてきた。



「私はっ! 私は……お兄様が好き。恋愛の意味で」


「…………」


「だから、お兄様も同じ気持ちだったら嬉しい……!」



 ギュッと目を瞑り、少しうつむくマリア。

 小さな肩や布団を握りしめている手が震えていて、マリアが緊張しているのが嫌というほど伝わってくる。




 恋愛の意味で俺が好き?




 見目麗しく若き伯爵であるグレイは、これまでに何度も女性から好意の言葉をもらったことがある。

 偶然会った際に直接伝えてくる者、他人を介して伝えてくる者、手紙をしたためてくる者と様々だったが、そのどれもがグレイにとっては不快であった。


 しかし、今は違う。

 好意を向けられているというのに、心が温かくなっていることにグレイは気づいていた。



「…………」


「あ、あの、違ったならごめんなさ……」



 グレイからの返答がないため、マリアは不安そうにゆっくりと顔を上げた。

 言葉を途中で止めたのは、グレイがクックッと軽く笑い出したからだ。


 肩を震わせながら静かに笑うグレイを、マリアはポカンとしながら眺めている。



「お兄様?」


「……悪い。俺にもこんな感情があったのかと驚いてた」


「?」


「おそらく、俺は今これまでで1番喜びを感じてる」



 そう言いながら、グレイはマリアの髪に触れてやわらかく笑った。

 作った笑顔ではなく、自然と顔が緩んで笑ってしまったのだ。


 

「他の男といるだけで苛立ったり、自分の目の届くところにいてほしいと思ったり、好きと言われて喜んだり……そんなのはマリアに対してだけだ」


「え……」


「俺は妹じゃなく、女としてマリアのことが好きだったんだな」


「…………っ!」



 マリアの目からポロッと涙が溢れる。

 その瞬間、グレイはマリアを優しく抱きしめていた。

 すぐにマリアの腕がグレイの背中に回され、服をギュッと掴まれたのがわかる。


 今までに感じたことのないほどの幸福感に包まれて、グレイは目を閉じた。




 いつから……いつから俺は、マリアを女として見ていたんだ?

 こんな大切な存在に、気づいているようで気づいていなかった。




 今ならあの恋愛小説の内容も少しは理解できる。

 そう考えて、グレイは自分自身を心の中で笑った。


 生意気王子にマリアと結婚すると言われて動揺したのも、アドルフォ王太子に対してあんなに嫌悪感を持ったのも、全部マリアが好きだったからだ。



「アドルフォ王太子……」



 そうボソッと呟きながら、グレイは目を開けた。

 記憶から消したいくらいの忌々しいものを思い出したからだ。



「ん? 王太子?」



 抱き合っていた体を離すと、マリアが不思議そうに尋ねてきた。

 頬を紅潮させながら自分を上目遣いに見るマリアは非常に愛らしい。


 グレイはそんなマリアに顔を近づけ、頬にキスをした。



「!? えっ!?」



 マリアの顔が一瞬で真っ赤になる。


 先ほどアドルフォ王太子に同じことをされたとき、マリアはこんなに動揺していなかった。

 自分にだけこんな反応をしてくれるマリアを見て、グレイは勝ち誇ったような気持ちになった。



「なっ、なんで突然……?」


「……さあ」



 

 そこ、さっき王太子にキスされたところだから。



 

 そんな本音を言うのは躊躇われて、グレイはニヤッと笑って誤魔化した。

 困った顔で赤くなっているマリアが可愛い。

 その様子を見て楽しんでいると、マリアが座っていた体勢から膝立ちの体勢になった。


 グレイの両肩に手を置き、少しだけグレイより高い目線から見つめてくる。



「マリア?」


「じゃあ……私からもしていい?」


 

 そう言うなり、マリアはチュッとグレイの左頬にキスをしてきた。

 グレイがその意味を一瞬で悟ったことに気づいたのか、口を離したマリアが照れくさそうにニコッと笑う。



「ミアのキス……?」


「うん。女性は男性の左頬にキスをするのがミアのキスなんでしょ? 意味は、〝私はあなたのもの〟」



 私はあなたのもの。

 その言葉が、グレイの心に温かく響いていく。




 ミアのキスなんて、俺とは一生縁のないものだと思っていたのに……。




 自分がされたいと思うことも、誰かにしたくなることも絶対にないと思っていた。

 そんなミアのキスをされてこんなに嬉しくなるなんて……と、グレイは自分自身に驚いてしまう。



「私はあなたのもの、か」



 そうボソッと呟いたグレイは、マリアの左手を掴むとその甲に優しくキスをした。

 男性から女性に送るミアのキスだ。


 キスをした瞬間、マリアの手がビクッと小さく震えた。

 その手を離さないまま、グレイはまだ膝立ちの状態だったマリアを軽く見上げる。



「なら、俺はマリアのものだ」


「…………っ!」



 マリアの瞳にまた大粒の涙が溜まった……と思ったときには、もうその瞳からボロボロと涙が溢れてきていた。


 なぜこのタイミングで泣き出すのかわからず、グレイは戸惑ったまま泣いているマリアを抱き寄せた。

 

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