92 フランシーヌの策略
「マリア! もう俺から離れるなよ!」
「……はい」
グレイや王太子から離れ、フロア内にある階段横までやってくるなりエドワード王子が怒鳴った。
アドルフォ王太子と一緒にいたことが気に入らないらしく、いつも以上に目が吊り上がっている。
いつの間にかうしろにいたんだもん……という言い訳は胸にしまい、マリアは素直に返事をした。
正直、今マリアの心の中はグレイとべティーナのことでいっぱいで、言い返す気力もなかったのだ。
はぁ……わかっていても、やっぱり目の前で見るのはつらいなぁ。
先ほど見た2人の姿が頭から離れない。
グレイの腕にくっつき、嬉しそうに笑うべティーナの姿。
そんな2人を思い出すたび、マリアの胸にはジリジリと引きちぎれそうな痛みが走る。
「……あの2人はパートナーなんだから仕方ないだろ。別に婚約してるわけじゃないんだし、あれくらいで落ち込んでどうするんだ」
「うん。わかってるんだけど…………って、えっ? な、なんでわかったの!?」
何も言っていないというのに、落ち込んでいた理由をズバッと言い当てられてしまった。
マリアが驚いて顔を上げると、呆れ顔の王子と目が合う。
「はあ!? そんなのマリアの顔見たらすぐにわかる。昔っからわかりやすいんだよ」
「そんなに……?」
ドキッパリと言いきられ、マリアは無性に恥ずかしくなった。
そういえば、少し前にレオにも似たようなことを言われた気がする。
自分はそんなにもわかりやすかったのかと、マリアはあまりの不甲斐なさに両手で顔を覆った。
このままじゃ、私の気持ちお兄様にバレちゃう!
……って、さっきのお兄様は何もわかってなさそうだったけど。
焦りと同時にレオの『グレイは底抜けの鈍感男』という言葉も思い出し、マリアはひとまずホッとした。
先ほどのグレイを見る限り、絶対に何も気づかれてはいないだろう。
嬉しいのか不満なのか、よくわからない感情にマリアは眉をくねらせた。
そんなマリアの様子をずっと見ていたエドワード王子が、はぁーー……と大きなため息をつく。
「ほんとに昔から兄のことばっか考えてて腹立つな」
「あ……ごめんね。エドワード様」
「謝るな! なんか余計に虚しくなるから!」
エドワード王子がガァッと小さな声で文句を言ったとき、こちらに近づいてくる男性に気がついた。
王子の眉がピクッと反応する。
一目で高位貴族だとわかるほどのオーラを纏った40代後半の男性──フランシーヌの父、ロッベン公爵だ。
「エドワード殿下、聖女マリア様にご挨拶を申し上げます」
「……何か御用でしょうか。ロッベン公爵」
睨みつけはしないものの、真顔で言葉を返すエドワード王子。迷惑だと思っているオーラが嫌というほど滲み出ている。
それに気づいているであろうロッベン公爵は、気にする素振りもなく半笑いで王子に話しかけた。
「実は、ガブール国の方々にロッベン公爵家からも贈り物を用意いたしましてね。一応王家の方にご確認していただきたいと思っているのですよ」
「贈り物? そんな話は俺ではなく──」
「マリア様っ」
エドワード王子の言葉を遮り、誰かがマリアの名前を呼んだ。
慌てた様子でこちらにやってくるのはフランシーヌだ。ドレスの裾を捲り上げ、足早に歩いている姿を見る限り急を要するものだと察せられる。
フランシーヌ様?
マリアが返答するよりも早く、ロッベン公爵が口を開いた。
「フランシーヌじゃないか。そんなに慌ててどうした?」
「お父様! 実は、先ほどご令嬢が1人倒れてしまったのです。意識がなくて、すぐにマリア様を呼ばなくては……って」
「えっ? それはどこですか?」
「控え室です! もしかしたらどこかのお部屋に移動されてるかもしれませんが……」
「案内してください!」
意識がないなんて大変だわ! すぐに行かないと!
フランシーヌに続いて走り出そうとしたマリアの腕を、王子がパシッと掴む。
「待て! 俺も行く!」
「殿下、申し訳ございません。体を楽にするために、今そのご令嬢のドレスを緩めているのです。男性は入れません」
「!」
眉を下げて謝るフランシーヌに、王子は何も言い返せない。
医者や家族でもないエドワード王子がその部屋に入ったなら、ご令嬢の尊厳が失われてしまうからだ。
悔しそうに顔を顰めたあと、王子はマリアをチラッと見て手を離した。
「……わかった。マリア、頼んだぞ」
「はい!」
フランシーヌと共に会場を出る際、ここぞとばかりに王子に話しかけているロッベン公爵の姿が目に入った。
王子に同情しつつ、マリアはフランシーヌのあとに続いて王宮の廊下を進んでいく。
控え室ってどこだろう?
マリアが周りをキョロキョロしていると、太い柱の影にガブール人のメイドが立っていた。
マリアたちに気づくなり、ペコッとお辞儀をしている。
ん? この人……私たちを待ってたの?
「倒れたご令嬢はガブール国の方なのです」
「あ。そうなのですね」
マリアの考えを読んだかのように、ピッタリのタイミングでフランシーヌが説明してくれる。
そのご令嬢はすでに控え室から移動しているらしく、マリアたちを案内するために待っていてくれたようだ。
「こちらデス。聖女様ダケお越しくだサイ」
「え……でも」
「わたくしは大丈夫ですわ。あまり無防備な姿は人に見せたくないものですのよ。マリア様だけで行ってさしあげて」
「……わかりました」
そういうものなのかな? と思いつつ、2人に言われたならそれに従うしかない。
マリアはフランシーヌに軽く挨拶をしてメイドに案内してもらうことにした。
色々な部屋を通り過ぎ、ガブール国の方々に用意された部屋に向かう。
パーティー会場からは離れたこともあり、マリアたち以外には誰もいないし廊下はとても静かだ。
落ち着いて歩くメイドの背中を追いながら、マリアは変な違和感に襲われた。
この人……なんで急がないんだろう?
意識不明の方がいるなら、一刻も早く部屋にマリアを連れて行きたいはずだ。
それなのに、ゆっくりと歩くメイドがマリアには不思議だった。
「こちらのお部屋デス」
「あ、はい」
カチャ……と丁寧に開けられた扉の先には、先ほど挨拶に行った王太子の部屋の半分もない狭い部屋が見えた。
まるで騎士や使用人の部屋みたいで、ここにご令嬢がいるのかと一瞬戸惑ってしまう。
しかし、ベッドの布団が盛り上がっていることで本当に人が横になっているのだとわかり、マリアは慌ててベッドに向かった。
「大丈夫ですか? 失礼しますね」
意識がないと聞いていたので、頭まで被っていた布団を軽く持ち上げる。
その瞬間、マリアは驚いて大きな声を出した。
「えっ? な、なんで……」
女性が寝ていると思われたそのベッドには、なんとアドルフォ王太子が寝ていたのだ。
マリアと目が合った瞬間、王太子はニヤッと嬉しそうに笑った。
「騙してゴメンネ。聖女様」
「どうしてアド……きゃっ!」
アドルフォ王太子はマリアの腕を掴み、無理やりベッドに引き入れた。
突然のことで頭がついていかず、ポカンとしているマリアを王太子の夜空のような瞳が真っ直ぐに見下ろしていた。