91 憂鬱なグレイ
パーティー会場のシャンデリアを見上げながら、グレイは「はぁ……」と大きなため息をついた。
仕事の話で盛り上がっている貴族男性たちも、ドレスや宝石の自慢をしているご婦人たちも、めずらしいガブール人たちも、何もかも興味がない。
ここに到着してから、グレイはずっと腕を組んで壁に寄りかかっている。
早く帰りたい。……マリアを置いては帰れないが。
グレイは明るく賑やかな場が苦手だ。
笑顔の貴族たちを見ても何がそんなに楽しいのかと理解できないし、ジロジロと見てくる令嬢たちの視線は鬱陶しいし、マリアの隣で嬉しそうにしているエドワード王子を見ると無性に腹立たしい。
それに──。
「グレイ様。私たちも踊りませんかぁ?」
グレイはすぐ隣に立っているピンク髪の令嬢を冷めた目で見下ろした。
会場で会ってからずっとグレイの腕にまとわりついているこの令嬢。
本当ならすぐにでも振り解いてやりたいが、それだけはしちゃダメだとガイルとレオがしつこく言っていたため我慢している。
はぁ……本当に面倒だ。
この女、なんという名前だったか……。
どんなに待ってもダンスに誘ってこないことに痺れを切らしたのか、ピンク髪の令嬢は上目遣いに見つめては甘い声で誘ってくる。
グレイは吐き気を催したがなんとか耐えた。
ねっとりとした視線も、わざとらしく作られたような高い声も、語尾を伸ばした話し方も、そのどれもが気持ち悪い。
「足を怪我しているから踊れません。他の男性とどうぞ」
「えっ……!?」
グレイがあからさまな嘘をつくと、その令嬢は一瞬だけ表情を歪めた。
「け、怪我って。さっき普通に歩いていらっしゃいましたよねぇ?」
「歩くことはできますが、踊ることはできません」
「でも……少しくらいは……」
「申し訳ございません」
まったく取り合おうとしないグレイの様子を見て、ピンク髪の令嬢は黙った。
最初こそ納得できないような顔をしていたものの、よく考えたら〝踊ってもらえない可哀想な令嬢〟と思われるよりはマシだと判断したのだろう。
「わかりましたぁ。怪我しているならダンスは無理ですわね。私のことは気になさらないでください〜」
と、やけに大きな声で言い訳がましいことを言うなり、カツカツとヒールの音を響かせながらダンスホールに向かっていった。
やっと離れたか。ったく、なんて面倒な女だ。
違う男性と踊るつもりなのか、どこか違う場所へ向かったのか、グレイにはどうでも良かった。
彼女を目で追うことなく、グレイは会場のどこかにいるであろうマリアを探した。
どこだ?
どうせあの生意気王子の隣にいるだろう。
そんなところを見ても苛立つだけだ。
そう頭ではわかっていても、マリアの姿が見えないと気になってしまう。
ここから見える範囲にはいないことがわかり、グレイは壁から離れゆっくりとホール内を歩いた。
意外にも早くマリアを発見できたのは、周りをたくさんの令嬢に囲われて目立っていたからだろう。
美しい聖女がただ注目されているのだと思ったグレイは、マリアの近くにいる人物たちを見て目を細めた。
「……あ?」
マリアの前に立っている2人の令嬢。
その令嬢が、さっきまで自分と一緒にいたピンク髪の令嬢と、フランシーヌ公爵令嬢だったからである。
なんであの2人がマリアと話しているんだ?
あまり令嬢の顔と名前を覚えないグレイだが、フランシーヌのことだけはよく覚えていた。
エドワード王子の筆頭婚約者候補だからだ。
これまでに何度、彼女と王子の婚約を王宮に勧めたかわからない。
マリアを諦めない王子がその話を進めることはなく、グレイはいつも苛立っていた。
そして、マリアの背後に立つ男。
褐色肌で、少し長い銀色の髪を一つに縛っている。
他のガブール人よりも派手な装いをしているため、きっとガブール国の王太子だろう。
大の女好きで注意すべき相手だと聞かされていた王太子が、まさに今マリアのすぐ近くにいるのだ。
「マリア……!」
なぜあの男がマリアの近くに!?
生意気王子は何してやがる!
グレイが駆け出した瞬間、金髪の青年が血相を変えてその場に向かって走っているのが目に入った。
今頃来たのかと舌打ちしそうになりながらも、グレイは足を止める。
本当はすぐにでもマリアのところへ行きたかったが、王太子の相手はエドワード王子に任せたほうがいいと判断したからだ。
……あいつが噂のアドルフォ王太子か。
マリアは生意気王子の婚約者だと嘘を伝えているはずだが、あの顔を見る限りまだマリアを狙ってるな。
文句を言っているであろうエドワード王子に笑顔で返しているものの、その目はマリアを常に意識しているように見える。
イライラしながらグレイがその場に歩を進めると、マリアと目が合った。
わかりやすいくらいにパァッと顔を輝かせたマリアを見て、苛立っていたはずのグレイの心も浄化されたように軽くなる。
これも聖女の力なのだろうか、とグレイはずっと不思議に思っていた。
「お兄様っ」
険悪な雰囲気の中発せられた嬉しそうなマリアの声に、その場にいた全員がグレイを振り返った。
エドワード王子はわかりやすいくらいに顔を歪め、アドルフォ王太子は興味深そうに目を輝かせている。
「聖女様には兄がいたんですネ?」
「はじめまして。アドルフォ王太子殿下。ヴィリアー伯爵家のグレイと申します」
「はじめまして! 聖女様には似てナイですネ」
「血は繋がっておりませんので」
「なるホド!」
遠慮なくジロジロと見てくる王太子にげんなりしていると、グレイの右腕に何かが掴まってきた。
さっきまで一緒にいたピンク髪の令嬢だ。
まるで自分を迎えにきてくれたとでも思っているのか、ニヤニヤと嬉しそうにグレイを見上げている。
「あ。その方がお兄様のパートナーなのですネ」
「……ええ。まあ」
なんでお前に『お兄様』なんて呼ばれなきゃいけないんだ。
そんな暴言は心にしまいマリアに視線を送ると、なぜか頬を少し膨らませたマリアが涙目で下を向いていた。
ついさっきまで笑顔だったはずなのに!? と、グレイはギョッとして目を見開く。
「マリア、どうした?」
「……なんでもない」
「いや。だが……」
泣きそうな顔をしているのに、怒っているような態度。
マリアの心情がわからず戸惑っていると、エドワード王子がマリアの肩を抱き寄せてグレイとの間に割り込んできた。
「マリアがなんでもないって言ってるんだからそれでいいだろう。マリア、あっちに行こう」
「……うん」
エドワード王子はそのままマリアの背中に腕を回し、グレイやアドルフォ王太子から離すかのようにその場からいなくなってしまった。
残されたアドルフォ王太子は2人のあとを追う気配もなく、どこか楽しそうにグレイとマリアの後ろ姿を交互に見ている。
「なるホド。血の繋がらナイ兄妹……ネ」
「……なんでしょうか?」
「イエ! なんでもナイです」
意味深な言い方をしたアドルフォ王太子に、グレイはジロッと鋭い視線を向ける。
そんな不躾な態度に苛立つ様子もなく、王太子はニコッと微笑むなりホールの真ん中に向かって歩いていってしまった。
顔の整った異国の王太子に、令嬢達は頬を染めながら熱い視線を送っている。
なんだ、アイツ……。
すぐ近くにいたはずのフランシーヌはいつの間にかいなくなっていて、この場にはグレイとピンク髪の令嬢の2人だけが残された。
アドルフォ王太子と話している間も、彼女はずっとグレイの腕にくっついたままだった。
グレイはげんなりとした顔でため息をつく。
ああ……マリアがいなくなると、また心が暗く淀んでくるな。
なんとも気持ちの悪いこの右腕を切り落としてやりたい……。
そんなことを頭の中で考え、グレイは右腕を錘のように感じながらまた壁際に向かった。