90 言い争う2人の令嬢に怯えるマリア
マリアとエドワード王子に早く結婚してほしい──そんなことを言い出したべティーナを、フランシーヌがギロリと睨みつけた。
「……なんですって?」
獲物を狩るような鋭い目に、喉の奥から絞り出したような低く恐ろしい声。
こんなフランシーヌに問われたなら、怖くて震えあがっていたことだろう。
マリアがそう思うほどに、この場にはピリッとした殺気のような空気が流れている。
しかし、実際にその視線を向けられているべティーナはケロッとした態度でニコニコしていた。
「えっ? だって本当のことじゃないですかぁ。この国の王子様と聖女マリア様が結婚されることは全国民の望みですし、お2人は並んでいてもとってもお似合いだわ〜。私……何かおかしなことでも言いましたぁ?」
わざとらしく語尾を伸ばして話すべティーナを、苛立った顔で睨みつけるフランシーヌ。
フランシーヌがエドワード王子にご執心なことは有名なのできっとベティーナも知っているはずだ。
それなのに堂々とこんなことを言うなんて、とマリアは驚いた。
だ、大丈夫なの?
フランシーヌは眉をピクピクと動かしていたが、不自然にニコッと笑顔を作った。
笑顔なのに、なぜか冷や汗が出るほどに恐ろしく感じる。
「ご存知ないのかしら? マリア様は殿下との結婚を望んでいらっしゃらないのよ」
「あら。知っていますわ〜。でもエドワード殿下はとても素敵な方ですし、そろそろ前向きに考えてみてはいかがでしょうかとお伝えしたくてぇ」
「あなたはマリア様のご友人なのですか? 余計なお世話かと思いますわよ」
「友人ではないですが、将来マリア様の義理の姉になるかもしれない相手ですものぉ。無関係とは言えないですわ〜」
「!」
義理の姉って……それって、お兄様と結婚するかもしれないってこと?
マリアは不満そうに眉をくねらせたが、2人はお互いを見つめ合っていてそれに気づいていない。
フランシーヌは至極不快そうな顔で話を続けた。
「だとしても、マリア様と殿下のことはあなたに関係ありませんわ」
「それが、あるんですぅ。マリア様が結婚しないと、いつまで経ってもグレイ様がご自分の結婚に興味を持ってくださらないみたいなんですものぉ」
べティーナの言葉を聞いて、さらにフランシーヌが軽蔑の色を濃くする。
「……何よ、それ。そんな理由で殿下とマリア様を結婚させようと? なんとも自分勝手な理由ですこと」
「あら。フランシーヌ様が反対される理由だって、自分勝手なものではないのですかぁ?」
バチバチバチッ
なぜか、マリアにはその場で火花が散るような音が聞こえた気がした。
ここは華やかなパーティー会場だというのに、まるで魔物と戦う森の中のような緊張感が漂っている。
こ……怖いっ!
助けを求めて周りを見回したけれど、いつの間にかマリアたちの周りからは人がいなくなっていた。
関わりたくないけど気になる──そんな人が多いのか、少し離れたところからこちらをチラチラ見ている。
どうしよう……私も離れたいけどダメだよね?
早くこの話を終わらせたほうがいいのかな。
2人の間に入るのは怖いけれど、終わらせるためには仕方ない。
マリアは勇気を出して静かに睨み合っている2人に話しかけた。
「あの、私は……」
エドワード様とは結婚しません。
そうマリアが言いかけた瞬間、睨み合っていた令嬢2人が勢いよくマリアを振り返った。
わっ!
そのあまりの迫力と見開かれた目の圧に、マリアはビクッと肩を震わせる。
「マリア様はエドワード殿下との結婚は考えていらっしゃらないのですよね!?」
「え、あ、は……」
「でもっ。いつまでも結婚しないわけにはいかないでしょう? だったら早くエドワード殿下と婚約されたほうがよろしいですよぉっ」
「い、いえ。でも……」
「マリア様が望んでいないのでしたら、無理に結婚される必要はございませんわっ」
「あ、あの……」
「女の幸せは結婚ですよぉ! マリア様っ」
「え、えぇ……」
マリアが何かを答える前に、もう片方の令嬢が口を出してくる。
肯定も否定もできずに困っていると、令嬢2人の頭の上からひょっこりと男性が顔を出した。
褐色肌に銀色の髪をしたアドルフォ王太子だ。
ハリム! じゃなくてアドルフォ王太子!
どうしてここに!?
「聖女様はもう王子と婚約してるんジャなかった?」
「!」
突然の声に振り返ったフランシーヌたちは、アドルフォ王太子を見て慌てて頭を下げた。
その風貌で、一瞬でアブール国の王太子だと悟ったらしい。
咄嗟のことだというのに正しい判断力で美しく礼をしている2人を見て、マリアは純粋にフランシーヌ達を尊敬した。
すごい……!
あっ、マリアもやったほうがいいのかな?
あわあわとしているマリアに、アドルフォ王太子がもう一度同じ質問を繰り返す。
「聖女様は王子と婚約してるんだよネ?」
「あ……」
その質問で、マリアは今日エドワード王子の婚約者として挨拶をしたことを思い出した。
そうだった! ウソってバレたら大変!
「し、してます!」
「!?」
マリアの返事を聞いて、フランシーヌとべティーナがギョッと目を見開く。
何か言いたそうな視線をマリアに送りつつも、王太子と聖女の会話を邪魔するつもりはないらしい。
2人は黙ったままその場におとなしく立っている。
アドルフォ王太子は眉を下げて至極残念そうな声を出した。
「そっか。まるでまだ婚約してないような話に聞こえたから、期待して思わず話しかけちゃったヨ」
「期待?」
「ウン。聖女様が王子と婚約してなかったら、僕が聖女様を王妃に迎えたかったからサ」
「!」
アドルフォ王太子の言葉にフランシーヌがピクッと反応する。
遠回しの申し出を受けたマリアは、動揺することなく笑ってそれを聞き流した。
アドルフォ王太子が女好きであることを事前に聞いていたため、ただふざけて言っているのだと思ったからだ。
うーーん。まさか本当にこんなこと言ってくるなんて。
エドワード様と婚約してるってことにしておいて良かった…………あっ!
そこまで考えて、マリアは自分の前にエドワード王子の婚約者の座を狙っている令嬢がいることを思い出した。
慌ててフランシーヌを見たけれど、彼女はマリアではなくアドルフォ王太子を凝視していた。
睨まれていないことにホッとしつつ、何かを観察するような鋭い目に違和感を覚える。
良かった……怒ってなさそう。
でも、なんであんなにアドルフォ王太子のことを見てるんだろう?
不思議そうに首を傾げるマリアの横で、同じようにフランシーヌの様子を見ていたべティーナがフッと鼻で笑った。
まるでフランシーヌの考えがわかったかのような、得意げな顔をしている。
「?」
そんなべティーナに気を取られていると、突然大きな声で名前を呼ばれた。
「マリアッ」
「! エドワード様!」
マリアが振り向いたときには、すぐ後ろにエドワード王子が立っていた。
走ってきたのかゼェゼェと苦しそうに息をはずませ、マリアの両肩に手を載せている。
眉の吊り上がっているエドワード王子を見て、アドルフォ王太子はニコッと笑った。
「ヤァ、エドワード様。そんなに慌ててどうしました?」
「……いえ。別に。俺のパートナーを迎えに来ただけですよ」
〝俺のパートナー〟という部分だけやけに強調しながら言った王子を、フランシーヌが複雑そうな表情で見つめている。
なんだろう……さっきのフランシーヌ様とべティーナ様の時みたいに、ちょっとピリピリした空気になってる気が…………あっ。
そんな不安を覚えたマリアの目に、こちらに向かって歩いてくるグレイの姿が目に入った。
すでに一度見たとはいえ、まだ見慣れない正装姿のグレイに再度胸が高鳴る。
その瞬間、この少し気まずい空気や気難しい令嬢2人のことは、マリアの頭から綺麗さっぱり消え去った。
今はただ、だんだんと自分に近づいてくるグレイを静かに見つめているだけだ。