9 洗脳されていくエマ
ジュード卿の屋敷に足を踏み入れたエマは、その広さに口を大きく開けたままポカンと立ち尽くしていた。
貴族の屋敷の中に入るのは初めてであった。
街のホテルよりも部屋数が多く、窓枠や扉や飾られている花瓶までもが凝ったデザインをしていて、平民のエマから見ても高級品だというのがわかる。
エマはそれらに触れないように気をつけながら、ジュード卿の後について歩いた。
玄関や廊下では、数人の使用人がエマと赤ん坊をジロジロと見ていたが、ジュード卿は紹介や説明をすることもなくスタスタと進んでいく。
ジュード卿が入っていった部屋について行くと、そこには6歳くらいの男の子と、その母親と思わしき綺麗な女性がソファでくつろいでいた。
エマは2人を見た瞬間に、足を止めた。
その女性も、エマと同じくらい驚いた顔で固まっている。
えっ……まさか、ジュード様の奥さんと子ども!?
結婚していたの!?
何も聞かされていなかったエマはかなり動揺した。
しかし、旦那が突然知らない女と赤ん坊を連れて帰られたこの女性のほうが、もっと動揺していることだろう。
他人事のように、エマはジュード卿の妻に同情した。
私は愛人ではないけど、それでもいきなり女を連れてこられていい気はしないわよね……。
そんなことを考えながらその場に立ち尽くしていると、男の子がエマに近づいてきた。
顔立ちの整った少年……それがエマが彼に抱いた第一印象である。
「だれですか?」
男の子がエマを見上げながら尋ねてきたが、エマはなんと答えていいのか分からなかった。
ジュード卿の妻や子どもだけでなく、使用人までもがエマに不審そうな視線をぶつけている。
「その赤ちゃん、寝ているのですか?」
「え? ……えっと……」
男の子からの純粋な視線に耐えきれず、エマはジュード卿に助けを求めるような視線を送った。
その様子を見ているにもかかわらず、ジュード卿は何も言わない。
ポカンとしている妻達に何か説明することもしないまま、ジュード卿はまた歩き出し、部屋から出ていった。
エマは慌てて彼のあとを追う。
「あの、さっきの女性って奥様ですよね? 何か説明しなくていいんですか? 誤解されたのでは……」
「構いません。貴女の姿を一目見せておきたかっただけですから」
そう冷たく言い放つジュード卿の後をついて行くと、なぜか全ての部屋を通り過ぎて外に出てしまった。
このまま返されるのではと不安になったエマは、恐る恐るジュード卿に声をかける。
「あ、あの……どこに行くのですか?」
「貴女と聖女様の家ですよ」
「私達の……家?」
ジュード卿は足を止めることなくエマの質問に答えた。
彼の答えの意味が分からなかったエマは、暗闇の中に見えてきたもう一つの屋敷に気づき、目を丸くした。
私達の家って……まさか……まさか本当に!?
その屋敷は、先ほど行った屋敷よりは小さかったが、平民のエマにとっては十分豪邸と呼べるほどの大きさはある。
ジュード卿はその屋敷の鍵を開けて、エマが入れるように扉を開けてくれた。
「さぁ。ここが今日から貴女たち母娘の家です。好きに使って構いません」
「そんな……こんな大きな家なんて、私には……」
「貴女は聖女を産んだ素晴らしき女性です。このくらいの家に住むのは、当たり前なのですよ。なにせ、聖女様の母なのですから」
「聖女様の母……。このくらい当たり前……?」
「そうです。自分を卑下してはいけません」
「そう。そうね……」
突如与えられた素晴らしい待遇に、エマの心はついていくのに必死だった。
私は聖女の母……。
もう、ボロボロの屋根裏部屋に住むような平民の頃とは違って、これが私がいるべき本当の場所……。
エマはこの時すでに、ジュード卿に洗脳され始めていた。
彼の言うことをそのまま聞き入れ、疑うことなくその通りだと信じるようになっている。
なぜなら、彼はエマの求めていたものを与えてくれる唯一の人なのだから。
「定期的に掃除はさせているのですが、普段あまり使っていないため行き届いてないところも……」
そうジュード卿が話していると、突然赤ん坊から黄金の光が溢れ出た。
ジュード卿は驚き、口を開けたまま赤ん坊を凝視する。
瞳の色と同じ黄金の光。
輝きを放っているというのに、不思議と眩しく感じない。
なんという美しい光なのだと、ジュード卿は目を奪われていた。
だんだんと光が小さくなり突然フッと消えると、ずっと使われていなかった部屋の中がピカピカになっていた。
「これが……浄めの力……! 素晴らしい!」
掃除が必要ないのであれば、この屋敷に使用人はいらないな。食事を運ぶ者……執事が1人いれば十分であろう。
使用人の中で、聖女のことを知る人物は1人でいい。
ジュード卿はそう考え、ニヤリと笑った。
それから6年後。
ジュード卿からマリアと名付けられた赤ん坊は、6歳の誕生日を迎えた。