88 波乱のパーティーの始まり
王宮に到着するなり、レオは騎士団のところへ、グレイはパーティー会場へ、マリアはエドワード王子のいる部屋へと案内された。
王子にエスコートしてもらうため、会場には入らずにそのまま来たわけなのだが──マリアが部屋に入るなり、王子は片手で自分の顔を覆った状態で黙り込んでしまった。
「……エドワード様? 体調でも悪いの?」
「……いや。別に」
王子の近くに立っている執事に困った視線を送ると、執事は大丈夫ですよというかのようにニッコリと微笑んだ。
「殿下。準備ができましたら、アドルフォ王太子に挨拶に伺わなければなりません」
「わかっている! ……少しだけ待て」
顔を覆ったまま執事にピシッと言う王子。
なぜ王子は顔を隠しているのか、マリアにはわからない。
グレイに比べてわかりやすいタイプのエドワード王子だが、こうしてたまに理解不能な言動をすることがある。
「先に挨拶に伺うの?」
マリアの質問に、執事が答えてくれる。
「はい。この国では、パーティー会場での挨拶が主流なのですが、ガブール国ではパーティーは楽しむもの……という考えらしく、堅苦しい挨拶は事前に済ませてしまうそうです」
「そうなんだ」
そういえば、今回の親交パーティーはガブール国のやり方に合わせてるってレオが言っていたっけ。
そのせいで、グレイもパートナーを用意しなければならなくなった──ということを考えると、マリアは複雑な気持ちになった。
今頃はもうパートナーの令嬢と一緒にいるのかと想像するだけで、胸がひどく痛む。
お話ししてるのかな?
笑ってるのかな?
腕組んだりしてるのかな?
……好きになったりしてないかな?
ズキズキと痛んだり、モヤモヤと気持ちが暗くなったり、とてもこれから楽しいパーティーが待っているとは思えないほどの精神状態の悪さだ。
やっとで顔を上げたエドワード王子が、そんなマリアの顔色に気づいて近づいてきた。
「マリアこそ大丈夫か? 顔色が悪いぞ?」
「エドワード様……」
なんて答えていいのかわからず、ただ名前を呼んで王子を見上げる。
バチッと目が合った瞬間、王子は「うっ」と言ってマリアから少し距離を空けた。
「そ、その……マリア。そのドレス……」
「あっ。お礼を言うのが遅くなってごめんなさい。素敵なドレスをありがとうございます」
「ああ。……いや、じゃなくてだな。その……すごく似合ってる……ぞ」
「えっ」
王子にドレスを褒められたマリアは、頬を赤く染めて王子を見上げた。近い距離で見つめ合う2人──という展開を想像していた執事は、次に続いたマリアの言葉を聞いて肩をガクッと下げた。
「このドレスを着ているの、もう見てるじゃない」
「…………」
頬を赤く染めるどころか、何を言っているんだとばかりにキョトンとしているマリア。
そんなマリアの様子に、照れていたはずの王子もスンッと真顔になった。
「たしかに見たけど、髪とか飾りとかその時と今とじゃ違うだろ!?」
「そうだけど……それ、そんなに変わる?」
「…………はぁ。もうやだ、コイツ」
最後には半泣き状態になったエドワード王子が、プイッとマリアから顔をそらす。
同情の目で執事が見守っていることに、王子もマリアも気づいていない。
「で、では、アドルフォ王太子に挨拶に伺いますか」
この空気に耐えられなくなった執事がそう切り出すと、王子がすぐに「そうだな」と返事をした。空気を重く感じていたのは王子も同じだったらしい。
特に何も感じていなかったマリアは、黙って2人について行く。
そういえば噂の王太子に会うのは初めてだわ。エドワード様は、変わり者って言ってたけど……どんな人なんだろう?
ふと頭に大型犬のようなハリムの姿が浮かぶ。
ガブール国民特有の褐色肌に綺麗な銀髪、逞しい身体。そして夜空のような瞳の色──。
コンコンコン
ハッ! いつの間にか王太子の部屋の前に……!
考え事をしている間に到着していたらしい。しかもノックまで終えている。
マリアはピシッと背筋を伸ばして美しく見える腕の形を作った。本当ならば、移動中もその姿勢でいなければいけないのだが、レディとしてのマナーを学ぶより聖女として国の為に働いてきたマリアには、まだ完全に身についていないのだ。
失礼のないようにしなくちゃ! 聖女らしく!
キィ……と扉が開けられ、王子とマリアの2人は中へと案内された。
この部屋は、陛下が王太子のために用意させた広く立派な部屋である。中にいる人達はみんな褐色肌に銀髪。入口から遠い窓際に立っている、1人だけ派手な服装をした男性が王太子なのだとマリアはすぐにわかった。
そして、それが誰なのかも──。
「聖女様!」
ニコニコと笑いながら駆け寄ってくるのは、間違いなくあのハリムだ。
驚く気持ちよりも、マリアはやっぱり……と呆れる気持ちが多かった。
「ハリム……いえ。アドルフォ王太子殿下……」
「!?」
王太子とマリアの反応を見て、エドワード王子がギョッと目を見開いた。
そんなエドワード王子の反応に気づいていないのか気づかないフリしているのか、王太子はマリアにニコッと微笑む。
「騙してごめんネ」
「いいえ。こちらこそ、失礼な態度をとってしまって申し訳──」
「ああっ! やめてよ! 今までみたく、フツウに話して」
「ですが──」
「あの! お二人は知り合い……なのですか?」
マリアと王太子の会話に、少し青ざめた顔のエドワード王子が入ってくる。王子の眉はヒクヒクと動いていて、この状態を不満に思っているのがマリアにはわかった。
自分が説明したほうがいいのかと迷っていると、王太子が悪びれた様子もなしにエドワード王子に答える。
「毎日会っていマシタ! 聖女様、とてもカワイイ! 私は聖女様が大好きデス」
「なっ……!?」
素直な王太子の返事に、エドワード王子がカッと眉をつり上げる。
あ、あれ? 今この状況で、それ言う必要あるかな? エドワード様すごく不機嫌そうな顔してるし、何か誤解してるんじゃ……。
「あの、たまたま通路で出会って、それから毎日挨拶をかわしただけですよ」
そう説明すると、エドワード王子がジロッとマリアに視線を向けた。
ここに他国の方々がいなければ、きっといつものように怒られていたことだろう。
「相手がアドルフォ王太子殿下だと、気づいていなかったのか?」
「はい。騎士の格好をしていたので」
「…………ああ、それでか」
思い当たることのあるエドワード王子は、今度は王太子に向き直った。おそらく睨みつけているつもりはないのだろうが、元々目つきの悪いエドワード王子の眼光は鋭い。
「あなたはマリアが聖女だと知っていて近づいたのですか?」
「もちろん。黄金の瞳を見れば、スグにわかるよ。あっ、でも変なことはしてないカラ、安心してください」
「当たり前です!」
変なことはしてない──にエドワード王子がすぐに反応する。
そしてグイッとマリアの肩を抱き寄せるなり、警告するかのように真剣なトーンで王太子に言った。
「マリアは私の婚約者です。絶対に手を出さないでくださいね」
「!」
王太子殿下に対する失礼な物言いに、部屋にいるガブール国の人達がムッと表情を曇らせる。
しかし、言われた本人である王太子は目を丸くしたままエドワード王子とマリアを交互に見た。どこか楽しそうな顔だ。
「へぇ〜。そういえばそうだったネ。残念だ」
「…………っ。よろしくお願いしますよ」
「はいはい」
もっと何か言いたそうなエドワード王子と、軽く流しているアドルフォ王太子。
軽いようで重い空気を感じながら、マリアは黙ったまま2人を見つめることしかできなかった。
あれ? 挨拶に来たはずなのに、こんな感じでいいの?
もっと話がしたいというアドルフォ王太子の誘いを断り、マリアとエドワード王子は王太子の部屋から出た。
エドワード王子から溢れ出る不穏なオーラに気づかないフリをして歩いていると、部屋から離れたところで王子が口を開く。
「マリア! あの王太子には気をつけろって言っていただろ!?」
「だって、今さっきまであの人が王太子だなんて知らなかったんだもん」
「本当に何もされていないんだな!? 手を握られたり、部屋に連れていかれそうになったり……」
「ないよ。会う時にはいつもレオがいたし」
レオもいた──という言葉を聞いて、王子の表情が少し緩む。どうやら2人きりで会っていたと勘違いしていたらしい。
「ああ……そうか。レオが一緒だったのか」
「うん。だから大丈夫! それより、早く会場に行こう」
「ああ。そうだな。人の多い場所のほうが安全な気がする」
話をすり替えたくて会場へと促してみたのだが、王子はあっさりと了承した。王太子にあまり近づきたくないという理由だとしても、早めに会場に行けることにマリアは安堵した。
エドワード王子が王太子のことを気にかけているのと同様、マリアもずっとグレイとパートナーの令嬢のことが気になっていたのである。
見たくない……けど、気になる!
2人が仲良くしていないかと不安だが、もし会話もしていない様子なら安心できる。複雑な感情を抱えながら、マリアは足早に会場へ向かった。
王子のパートナーということもあり、名を呼ばれみんなに注目されながらの入場。
第2王子の仮面を被ったエドワード王子が堂々と爽やかに歩く中、マリアはチラチラと会場を見回した。
お兄様、どこだろう……?
パッと目に入った黒髪。部分的にシルバーの色が混ざっているグレイの髪は、黒髪の中でも見つけやすい。
そして、そのグレイの腕にピッタリとくっついているピンク色の髪の令嬢──。
「!!」
その姿を見た瞬間、マリアは自分の胸に矢でも刺さったのかと思った。そのくらいの衝撃と、胸の痛み。そして突然の息苦しさ。
こんなに明るく眩しいパーティー会場が、一瞬真っ暗になったような感覚もした。
腕……お兄様の腕にくっついてる。……やだ。やだやだ、どうしよう。
「マリア、どうした?」
「えっ」
エドワード王子の心配そうな声に反応すると、王子がギョッと目を見開いた。
「顔色が悪いぞ!? 気持ち悪いのか?」
「…………」
気持ちが悪いといえば、悪い。最悪な気持ちだ。
でも王子が聞いている気持ちの悪さとは、たぶん違う。
マリアはなんて答えていいのかわからず、黙ったままうつむいてしまった。
「マリア?」
王子の問いかけに答えられずにいると、今度は横から女性に声をかけられた。
「マリア様、どうかされたのですか?」
「! フランシーヌ様……」
エドワード王子の婚約者候補として筆頭の人物──公爵令嬢のフランシーヌ様だ。
少しきつい顔をしている彼女は、偶然なのか必然なのかマリアのドレスと非常に似た色のドレスを着ている。
王子はあからさまに顔を歪ませて嫌悪感を出していた。
「顔色が優れませんわ。休まれたほうがよろしいのではなくて?」
「あ、あの……」
「お部屋を用意させますわ」
「いえ。あの……」
「ご心配なさらないで。エドワード殿下のエスコートなら、わたくしが代わりに引き受けますわ」
「あのぉ……」
マリアの返事を聞く前に、フランシーヌ様はどんどんと話を進めていく。
エドワード王子のことが大好きなこの令嬢のことが、マリアは昔から苦手だった。