87 胸がときめいて苦しいです
親交パーティー当日。
7着も試着をさせられたマリアのドレスは、最終的に淡いブルーのドレスに決まった。
王子自身としてはピンク色を1番気に入っていたそうだが、それだと可愛すぎてしまう! と声を荒げブルーに決まったとマリアは王宮の執事から聞いていた。
「マリア様! とてもお美しいです! まるで妖精だわ!」
「ありがとう、エミリー」
ふわっと軽く広がるスカートは、長さの違う薄い生地が何層にも重なっているため見る場所によって色が変わって見える。ボディス部分の白いレースには、ビーズも一緒に刺繍されていて上品で華やかなデザインだ。
とても綺麗で、マリアも気に入っていたドレスだった。
エドワード様がこのドレスを選んでくれてよかった。それに……。
「エミリー。お兄様のパートナーの方に送ったドレスは、確か黄色って言ってたよね?」
「はい。ピンクがお好きとは聞いていたのですが、やはりその色のドレスを贈るのは抵抗がありまして……。グレイ様にも一応確認はしていただきましたが、黄色でいいと。もちろんクリームイエローの淡い色にしましたが」
「副団長のお兄様が少し不貞腐れていたって、レオが言ってたわ」
「まぁ、気になった令嬢に贈る色ではないですからね。はっきりと興味はないと言っているようなものですし」
相手の好きな色や、相手の髪や瞳の色でない限り、あまり黄色は贈らないとされているのがこの国のレディにおける裏事情だったりする。
まさかその色のドレスを贈られてしまったパートナーの方には同情してしまうものの、どこかホッとしている自分がいることにマリアは驚いていた。
喜んだら失礼よね。でも……よかった。
「さあ、マリア様。あとはこのティアラをつけたら完成です!」
「ティアラだなんて……まるでお姫様みたいね」
キラキラと輝く宝石のたくさんついたティアラを見て、マリアはため息混じりに呟く。
とても可愛いとは思うのだが、ここまで豪華なティアラはいかにも王族関係者しかつけられないような代物だ。それを自分がつけることの意味を考えると、マリアは気が重くなってしまう。
「今回、マリア様はエドワード殿下の婚約者として紹介されますから……」
マリアの心情がわかっているエミリーは、遠慮気味にそう言うなりティアラを丁寧に手に取る。
頭にのせてもらうため、マリアはドレッサーの前にある椅子に座った。
「うん。仕方ないよね」
「……マリア様を守るための嘘ですから」
「……ねぇ、エミリー。私ね、エドワード様に言ったの。お兄様が恋愛の意味で好きだって」
「えっ?」
驚いたエミリーが手元を震わせたので、2人で慌ててティアラを押さえる。ティアラが無事でフーーと安堵のため息をつくと同時に、エミリーが話の続きを促してきた。
「すみません。それで、その……エドワード殿下はなんと?」
「……諦めないって」
マリアの返答に、エミリーは特に驚いた様子もない。でしょうね、とでも言いたそうな顔をしている。
そんな落ち着いたエミリーを見て、マリアは自分の心の痛みを打ち明けることにした。
「あのね、私……そう言われた時すごく胸が痛かったの。私はきっとエドワード様を好きになることはないんじゃないかなって思うと、なんだか申し訳ないっていうか……悲しいっていうか……」
「マリア様……」
「私が悲しいって思うのはおかしいよね」
好きになってもらえないほうが──エドワード王子のほうがずっと悲しいはず。それなのに、なぜ気持ちを拒否した自分が悲しくなるのか、マリアにはわからなかった。
マリアのたどたどしい説明で理解してくれたのか、エミリーはニコッと優しく微笑んだ。
「おかしくないですよ。マリア様がエドワード殿下のことを大切なご友人だと思っているからこそ、傷つけてしまうことに胸を痛めてしまうのです」
「私が傷つけた張本人なのに?」
「そうですね。それが恋愛の難しいところです。たった1人しか受け入れられない。どんなに人として好きでも、大切な方でも、そのたった1人以外の方にはお断りしなければいけないんですから」
「…………」
たった1人の好きな人以外は……受け入れられない、かぁ。
「……恋愛って残酷だね」
「そうですね」
エミリーはそう頷きながら、マリアの頭にティアラを合わせている。どの位置に置くかの調整をしているようだ。
マリアは頭の上をいじられている間、ボーーッとしながらグレイを思い浮かべる。もしも自分とエドワード王子のこの状態が、グレイとの関係に置き換えたらどうなるのかを想像していたのだ。
もし私がお兄様に「他に好きな女性がいる」なんて言われたら、エドワード様みたいに「諦めない」って言えるのかな? その場で泣いてしまいそう……。
想像するだけで胸が苦しくて、マリアはそんな状態に自分が耐えられるのかと本気で心配になった。
そして、それと同時にエドワード王子の強さに感心してしまう。ずっと前からマリアの兄へ対する恋心を知っていたという王子は、どんな気持ちだったというのか──。
「はい! できました! マリア様、髪に引っかかってるとか痛みとかはありませんか?」
「大丈夫……って、うわあ……! 綺麗……!」
鏡を見たマリアは、自分の頭上で輝くティアラを見てそう呟いた。
ティアラに対する褒め言葉だったのだが、エミリーはマリア自身に対する感想だと思ったらしい。うんうん頷きながら、「本当にマリア様は女神様のようです!」なんて言っている。
コンコンコン
「マリア。俺だ。準備はできたか?」
扉越しに聞こえたグレイの声に、マリアの心臓がドキッと跳ねる。
「で、できたよ」
マリアの返事を聞くなり、グレイが扉を開けた。その後ろにはレオも立っている。
「うわあ〜〜〜〜!! マリア!! めちゃくちゃ綺麗!! すごいな!」
「…………」
レオが目を輝かせながらそう言ってくれているが、マリアは返事ができなかった。
自分の目の前に立っているグレイの姿に、心を奪われていたからだ。
な……何これ……お兄様、素敵すぎる……っ!!
普段は長めの前髪で目元が隠れていることが多いグレイが、今日はしっかりと髪をセットしている。綺麗な碧い瞳の目力が全面に出ていて、とても直視できそうにない。
なぜか無性に胸がぎゅーーっと締めつけられて、マリアは胸を押さえながら「ううっ」と苦しそうな声を出してしまった。
「どうした、マリア?」
グレイがマリアの身体を支えて顔を覗き込んでくる。
余計に胸が苦しくなったマリアは、目をつぶってグレイから顔をそらした。
「マリア? 大丈夫か? レオ、すぐに医者を──」
「大丈夫だよ、グレイ。慣れれば落ち着くはずだから」
「はあ!? 何を言ってるんだ。こんなに苦しがっているのに。エミリー、医者を──」
「あ、あの、私も大丈夫だと思います」
「!?」
苦しがっているマリアを見ても平然としている2人の返答に、グレイは理解不能といった顔をした。
まさか『ただときめいているだけ』とも言えず、レオは困った表情を浮かべてからグレイとマリアの間に割り込んでいく。
「とりあえず、落ち着かせるためにも1度離れようか」
「支えていないと倒れるかもしれないだろ。どけ」
「グレイが支えてるほうが倒れちゃうよ」
「はあ?」
そんな2人の会話を聞きながら、マリアは必死に呼吸を整えていた。
落ち着いて、落ち着いて……!
レオのおかげでグレイが離れてくれたので、なんとか深呼吸ができる。
恋とは尊いものではなく、早死にさせるものではないかとマリアは思った。心臓の動きが激しくて、心も身体も一気にグッタリと疲れてしまう。
「あの、ごめんなさい。もう大丈夫……」
「本当か? 無理しなくてもいいぞ」
「ほ、本当に大丈夫だから。早く行こう」
レオの背中に隠れるようにして言うマリアを、グレイが訝しそうな目で見ている。
不機嫌な顔をしているのはわかっていても、マリアにはどうすることもできない。今普通でいられるのは、このレオという壁のおかげなのだから。
レオなしでグレイと向き合うには、まだ少し時間がかかりそうだった。
「ほら。もう行ったほうがいいんじゃない? 俺もそろそろ集合時間に間に合わなくなっちゃうし」
レオのさりげないフォローのおかげで、グレイはやっとマリアから視線を外してくれた。
「……じゃあ行くか」
「そうしよう! ほら、マリアもエミリーと一緒に」
「うん。ありがとう、レオ」
「いいけどさ、馬車では2人きりだってこと忘れないでね」
「あっ」
護衛騎士のレオは、馬車には乗らずに馬に乗って移動をする。馬車の中ではグレイとマリアの2人きりの空間になってしまうのだ。
自分の前を歩くグレイをポーーッと見つめながら、マリアはなんとか気持ちを整えるのだった。
「じゃあ、行ってきます」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
使用人達に見送られながら、馬車は王宮に向けて出発した。
狭い空間にグレイと2人きり──。
マリアは外を眺めるフリをしながら時間を潰そうと思っていたが、予想した通り先ほどの件をグレイに尋ねられてしまった。
「……で、さっきのはなんだったんだ? 体の具合が悪かったんじゃないのか?」
「…………え、と」
眉を寄せて、ムスッとしているグレイ。
おそらく自分だけがマリアの状態を理解していないことに不満を抱いているのだろう。
それをわかってはいるが、マリアはなんて答えればいいのか言葉に詰まった。
お兄様があまりにも素敵だったから、胸が苦しくなった……って言っていいのかな? そ、それはあまりにも正直すぎるかな?
初めての恋に、マリアはどう行動するのが正しいのかわからない。
何冊か恋愛小説を読んではみたが、恋の駆け引きというものは自分には無理──という結論が出ただけであった。
んんーー……よくわかんないけど、もう正直に言っちゃえ!
「あ、あのね、正装姿のお兄様が素敵でドキドキしちゃって、胸が苦しくなっちゃったの」
「…………は?」
グレイがポカンとした顔で呟く。
本気で理解できていない顔だ。
「だって、いつもと違うから慣れなくて……」
「……素敵だと思ったから、胸が苦しくなったのか?」
「う、うん」
「……それは病気ではないんだな?」
「違うよ」
これは恋だから──と言うのはやめておいた。
グレイはふむ……と少し考えこんだあと、妙に納得した顔でマリアに向き直った。
「それなら、俺も同じかもしれない」
「…………え?」
「さっき、部屋に入ってマリアを見た瞬間にあまりに綺麗で驚いた。そのあとなぜか、胸が締めつけられるような痛みを感じたんだ。何か病気なのかと思ったが……マリアと同じ症状なのかもしれないな」
ふっと柔らかく笑うグレイを、マリアは呆然としながら見つめる。
私と同じ症状って……それじゃ恋ってことになっちゃうけど……!? ま、まさかね……!?
とんでもないことをしれっと打ち明けてくるグレイに、マリアの心は翻弄させられっぱなしだ。
顔に照れが一切感じられないので、自惚れていいのか勘違いしているのか判断がつかないところも厄介である。
と、いうか……今、お兄様に綺麗って言われた? 綺麗って……! あれ? 今まで綺麗なんて言われたことあったっけ??
「……マリア。顔が真っ赤だが、熱でもあるのか? やはり病気──」
「違うっ。だから、これもお兄様のせいなのっ」
「え???」
グレイの本気で何も理解していない顔が、憎らしくもあり愛おしい。
マリアは赤くなった頬を両手で隠すようにして、真っ直ぐに見つめてくるグレイから視線を外した。