86 変な騎士と王子への返事
大量に治癒の薬が必要となり、マリアは毎日王宮の研究室へ通った。
親交パーティーに参加するための来賓も増え、エドワード王子はとても忙しいらしくずっと会えていない。その代わり──。
「聖女様。今日モお疲れサマ」
「ハリム。また部屋を抜け出してきたの?」
ガブール国の騎士、ハリムが毎日地下へ続く階段に立っているのだ。特に何か話をするでもなく、マリアと挨拶を交わすためだけに来ているのだという。
レオはそんな自由な行動をしているハリムを少し警戒していたが、マリアにはどうしてもハリムを警戒する気が起きなかった。背が高く体格の良いハリムだが、いつも笑顔で犬のように懐いてくる姿はどうしてもレオに重なって見えてしまうからである。
レオもハリムも、まるで大型犬みたいなんだよね。……まぁそんなこと本人達には言えないけど。
「聖女様に一目ダケでも会いたいンダ」
「ふふっ。ありがとう」
少しカタコトになる時もあるが、ハリムはこの国の言葉を上手に話している。ここに来るまでの長い道中で、必死に勉強したと言っていた。
ハリムが話しかけてくる間、レオは黙ったままだがいつもよりマリアの近くに寄っている。警戒しているのがバレバレな気もするが、ハリムは全く気にしていないようだ。
そんなに警戒しなくてもいいと思うんだけど……。
「じゃあ、また……」
その日もそんな軽い挨拶だけで終わりになるはずだったが、マリアはふとハリムの不自然な様子に気づいた。やけに左腕を隠しているように見える。
「ハリム。左腕、どうかしたの?」
「え? あーー、なんでもナイヨ」
「……ちょっと見せて」
ハリムは嘘をつくのが下手ね──はっきりとした理由はないが、マリアはそう感じた。
腕を見せようとしないハリムに対抗してマリアが覗き込むと、隠された左腕に包帯が巻かれているのが目に入った。
「その怪我、どうしたの?」
「あーー……、今日の訓練でチョット……少し切っただけダヨ」
骨折や出血量の多い大怪我でない限り、治癒の薬は使われずに普通に治療される。特に怪我の多い騎士の場合は。それをわかっていても、実際に怪我を見てしまうとマリアは放っておくことができなかった。
遠慮される前にと、マリアはスッと無言のままハリムの腕に自分の手を近づけた。
「聖女様?」
「マリアッ」
ハリムの問いかけやレオの制止にも答えず、マリアは手に集中する。
黄金の瞳が輝き、小さな光がハリムの包帯の周りを覆っていく。以前は部屋全体を明るくしていた治癒の光も、当てたい部分だけ光らせることができるようになったため、周りには気づかれていないだろう。
レオも一緒にハリムを囲うようにして、光が見えないようにしてくれている。
お兄様に簡単にこの力は使うなって言われてるから、見つからないようにしなきゃ。
他国からのお客様でもあるのに、怪我していると知っては放っておけない。マリアはコソコソと隠れるようにして、静かに治癒を終わらせた。
隣に立つレオから送られてくる不満げな視線に気づかないフリをしながら顔を上げると、瞳をキラキラと輝かせたハリムと目が合う。
「すごい! コレが聖女の力!」
「う、うん。あの、ハリム、静かに……」
「ああ、ゴメン。つい感動しちゃって。すごいヨ! もう傷がナイ! ありがとう」
「ふふっ」
大きな図体で子どものようにはしゃいでいるハリムを見て、マリアはニコッと微笑む。
もう幾度となく言われた言葉ではあるが、マリアは今でも『ありがとう』と言われることが嬉しかった。
「今のことは、できるだけ内密にお願いします。できれば、もう少し包帯で隠しておいてもらえると……」
申し訳なさそうに会話に入ってきたレオに、ハリムは明るい笑顔で答える。
「もちろんデス! 私だけ傷が治ってたら、ミンナに嫉妬されてしまうカラね」
「あ、ありがとうございます」
ハリムはニコニコ話しながら、先ほど治した腕にまた包帯を巻いていった。
もし聖女に直接治してもらったという話が広まったら、確かに面倒なことになってしまうかもしれない。マリアは機転のきいたレオに感謝した。
「じゃあ、私達はそろそろ行くわね。明日はパーティーだから、王宮内もバタバタしているみたいだし。ハリムも用が済んだなら部屋に戻ったほうがいいわよ」
「ウン、そうするよ。じゃあまた明日。聖女様」
手を振ってその場を離れると、しばらくしてハリムも戻っていくのが見えた。
ずっと複雑そうな顔をしているレオが、ボソッと小さな声で呟く。
「あの人、なんか変なんだよなぁ……」
「変って、何が?」
「騎士の格好をしているけど、騎士っぽくないっていうか」
「そう? 体格もいいし、私には騎士にしか見えなかったけど」
マリアが不思議そうに尋ねると、レオはさらに眉をくねらせて顔を曇らせる。
「体格はそうなんだけど、雰囲気というか行動というか……」
「?」
行動はともかく、人懐っこい犬のような雰囲気は騎士であるレオに似てる──と言いかけて、マリアは黙った。昔からレオの勘は変に当たるんだ、とグレイがいつか言っていたのを思い出したからだ。
「とにかく、俺がいない時に2人きりになったりしないでね」
「大丈夫よ。明日のパーティーではエドワード様もいるし」
「うん……」
顔色の悪いレオを見て、マリアもその胸に小さな不安を抱く。
その時、レオが突然何かに気づいたかのように背筋をピンと伸ばした。そんなレオの視線がマリアの背後に向いていると気づき、マリアは振り返って後ろを確認する。
「あっ」
「マリア!」
そこには、こちらに向かって走ってくるエドワード王子がいた。余程急いでいたのか、顔には汗がにじんでいる。
「よかった。まだ帰っていなくて」
「エドワード様。そんなに急いでどうしたの?」
「ちょっと……マリアにどうしても早く伝えておかなければいけないことがあったから」
王子は息を整えながら、マリアとレオを交互に見る。
何かを察したレオは、静かに2人から離れて声が届かない場所に移動した。話し声は聞こえないが、姿は見える場所だ。
どうしても早く伝えておかなきゃいけないこと?
キョトンとした顔でマリアが見上げると、王子は頬を少し赤く染めた。
そしてゴホッと一度喉を整えたあとに、マリアにしか聞こえないくらいの小声でボソボソと話し出す。
「その、前に話したガブール国のアドルフォ王太子なんだが……」
「大の女好きって言ってた人?」
「バ、バカッ! 今はどこにガブール国の人がいるかわからないんだぞ。こんな場所で言うな」
ギョッと驚いたエドワード王子は、マリアの口を手で覆いながら周りをキョロキョロと警戒している。
マリアはすぐに「ごめんなさい」と謝ったが、王子が口を覆っていたため「モゴモゴ」とよくわからない言語になってしまっていた。
「ふぅ……気をつけろよ。で、その王太子なんだが、想像以上に面倒なヤツだというのがわかった」
「どういうこと?」
「あいつ……騎士を連れて先に王宮にやって来たんだが、俺達を騙していたんだ」
「えっ!?」
エドワード様こそ、王太子をあいつ呼ばわりして大丈夫? という言葉を飲み込んで、マリアは話の続きを聞くことにした。
王子を騙していたというのはどういうことなのか、好奇心のほうが勝ってしまったからだ。
「騙したって、何を?」
「途中で騎士と服を交換したらしく、王太子であることを隠して騎士のフリして来たんだ」
「えっ? でも、その中に王太子がいたって……」
「だから、その服を交換した騎士が王太子の身代わりにさせられてたんだ。数日後にガブール国からの使者を乗せた馬車が到着して、発覚したんだよ。ちょっとしたイタズラですよ〜なんて言って、笑って誤魔化しやがった」
「えええ〜〜……」
苛立ちを隠せていない王子の話を聞いて、マリアも完全に呆れ顔だ。
まさか一国の王太子が、初めて訪れた友好国でそんな悪ふざけをするなんて信じられない。この件だけで、ガブール国の王太子が変わり者だというのがよくわかる。
「特に被害はないし、陛下はおもしろい王太子だ! なんて言って全くお怒りではないけどな。俺は騙されて腹立ったが」
「まぁ、被害がないなら……」
「ただ、ガブール国の騎士だと思って接していた使用人やこの国の騎士達は、事実を知った後にみんな真っ青になっていたがな」
「…………」
確かに、騎士と思って接していた相手が王太子だったなんて知ったなら、みんな驚いてそれまでの態度を心配することだろう──とマリアは苦笑いした。
失礼な態度まではしていないものの、同じ騎士として気軽に接していた者は少なくないはずである。
…………ん? 騎士の姿に変装してた?
マリアの頭の中に、1人の騎士の姿が浮かぶ。
褐色肌で、銀髪の長い髪に夜空のような瞳の色。レオが「騎士っぽくない」と言っていた、明るくて人懐っこいハリムの姿が──。
「まさか……」
「ん? どうした?」
「あっ、いえ。なんでも……」
話を誤魔化したマリアを訝しげに見ながらも、エドワード王子は話を続けた。
「それで、ここからが本題なんだが……その王太子はマリアを狙っているだろ? そんなヤツが、ただ俺のパートナーという理由だけで引くような男ではない、と思うんだ」
「……? それで?」
「そ、それで、だな。この親交パーティーの間は、その……マリアは俺の婚約者だということにするから!」
「えっ」
マリアの表情を見るのが不安なのか、エドワード王子はマリアから目をそらす。
予想外の報告に、マリアは自分から視線を外している王子を凝視した。
パーティーの間は、エドワード様の婚約者のフリをする……?
戸惑いつつも、マリアは王子の言っていることを理解できていた。
もしも本当に王太子に誘われることがあった場合、王子の婚約者だという立場なら断りやすい。そう頭ではわかっていても、マリアはすんなり承諾することができなかった。
パーティーにはお兄様も来るのに。お兄様の前で、エドワード様の婚約者として振る舞うなんて……。
マリアの不服そうな顔をチラッと見た王子は、ムッとして強気な声でキッパリと言い切った。
「これはもう決定事項だぞ」
「……うん」
「今回はまだ婚約者のフリだが、俺は本当にマリアを婚約者にするつもりだからな」
「!」
あきらかに落ち込んだ様子のマリアに苛立ったからか、エドワード王子は突然強引な言葉を放った。その言葉に、マリアは自分が王子に告白されていた事実を思い出す。
そして、その頃の自分はまだグレイへの恋心を自覚する前だったということも──。
どうしよう。エドワード様に、お兄様が好きだって言ったほうがいいのかな?
そんなことを伝えたなら王子を傷つけてしまう……と思うと、マリアはすぐに口を開くことができなかった。
しかし、もう自分の中で答えが出てしまっている以上、早く伝えたほうがいいのではないかとも思える。
私は……伝えたい。
だって、きっとこの気持ちは変わらないから。
「エドワード様。私、お兄様が好きなの……恋愛の意味で。だから、本当の婚約者にはなれません」
「……はぁ!?」
突然の報告に、エドワード王子は裏返った声を出した。
足の力が抜けたのか、ガクッとその場にしゃがみ込む。そして片手で頭をガシガシと掻き、目を瞑って大きなため息をつきながらボソッと呟く。
「……なんで気づいちゃうんだよ」
「えっ? エドワード様、知ってたの?」
「当たり前だろ! ずっと前から知ってる!」
「ええっ!?」
なんで、いつから、最近自覚したばかりなのにずっと前からってどういうこと、と聞きたいことはたくさんあったが、怒りながらもショックを受けているような王子の表情を見てマリアは尋ねるのをやめた。
王子は立った状態のマリアを見上げ、少し不貞腐れた顔で言い放つ。
「俺は諦めないからな」
「!」
「そんなことくらいで諦められるなら、10年前にやめてる」
「……でも」
私の気持ちは変わらない──という言葉が続くとわかったのか、王子はスクッと立ち上がった。強気な表情の中にうっすらと見える悲しげな瞳。その瞳に見つめられて、マリアの言葉が止められる。
エドワード王子はフッと柔らかく笑うと、「じゃあな」と言ってその場から去っていってしまった。
……言ってよかったのかな?
王子が去ってすぐにレオが近くにやって来たが、特にどんな話をしたのかは聞いてこなかった。会話している2人の様子を見ていたレオは、何かを察しているのかもしれない。
自分の行動に自信が持てないマリアは、レオに話すこともなくそのまま王宮を後にした。