85 褐色肌と銀髪の騎士
「マリア様っ! 溢れてますっ!」
「えっ?」
研究員達のガヤガヤした叫びに、ボーーッとしていたマリアはハッと自分の手元を見た。
聖女の力──治癒の光のかたまりを集めている大きな瓶の中から、光の粒が溢れている。
ふわふわと浮いたり落ちたりしているその光の粒を、研究員達が小瓶を持って集めているのが目に入る。
「あっ! ごめんなさいっ」
マリアは治癒の光を出すのを止めて、自身も小瓶を持って浮いた光の粒を集めた。
倒れた日から数日後、マリアはまた王宮に来ていた。
治癒の薬を大量に作ることになったので協力してほしいと、聖女研究室の室長から連絡を受けたのだ。
『親交パーティーのために集まった遠方の貴族の方々から、治癒の薬が欲しいと大量の注文が入ったのです。お忙しいところ申し訳ございません』
研究室に着いてすぐ、マリアは室長からそう説明を受けた。
部屋の中にはマリアが見たことのない人もたくさんいたため、今はこれが最重要事項として稼働しているのだということがよくわかる。
そのため、マリアは光の粒を出していたのだが……ついつい考え事をしてしまい、今に至っている。
いけない……。
幸せなことを思い返すのに、ついこの前のお兄様の言葉を反芻してボーーッとしちゃった。
グレイに「王子にヤキモチを抱いていた」と言われてからというもの、マリアは毎日それを思い出しては胸を高鳴らせていた。
特に意味のない言葉だとわかっていても、嬉しいものは嬉しいのだ。
「全部集めました! ……でも、もうこれで光の粒を保管できる瓶がなくなってしまいましたね」
若い研究員がそう言うと、奥で作業していた室長がマリアのもとにやって来た。
ここに来た時から気づいていたが、室長も他の研究員もいつも以上に目の下のクマがひどくなっている。全員寝不足であろうことがよくわかるその顔に、マリアは眉をひそめた。
「マリア様、ありがとうございました。あとはこちらで治癒の薬にしておきます。また明日もお願いしてよろしいでしょうか?」
「もちろん。また明日、同じ時間に来るね」
ニコッと疲れた顔のまま見送ってくれる研究員達を見て、マリアは両手を前に突き出した。
「本当は……ちゃんと寝てほしいんだけど、きっとみんな言っても寝ないと思うから」
「え?」
パチッと目を丸くした室長や研究員達に、今度はマリアがニコッと微笑む。
研究員達が不思議そうな顔をしていると、突然研究室が黄金の光に包まれた。光の粒ではなく、瓶に保管できない本物の光。本来の聖女が発する治癒の光だ。
明るくて美しい黄金の光は、眩しくは感じない。ポカポカと温かい空気に包まれたと思ったら、身体に感じていた不調や重さ、疲れがなくなっていくのを実感する。
「マリア様! これは……本物の……!」
「聖女様の光……!」
「身体の疲れがなくなった!」
ザワザワと、所々から歓喜の声が上がる。
目の下のクマがなくなり、顔色がよくなったことにも研究員同士で気づいていた。
「マリア様……どうして……」
今まで、マリアが研究室で本物の力を使ったことはなかった。
実験や研究のためならあるが、研究員の治癒のために使ったのは初めてである。
理由は、あまり簡単に使うなとグレイから止められていたこと。
それから、マリア自身ができるだけ彼らには使いたくなかったからだ。
「だって、聖女の力で治したらみんなずーーっと働き続けるでしょう? ちゃんと限界を感じて休んでほしかったから、今まで使わなかったの。でも……今回は、みんな本当に倒れるまで休まなそうだったから……」
「マリア様……」
少し照れくさそうに話す愛らしいマリアを見て、研究員達がうっとりとした表情を浮かべている。身体だけでなく心まで癒された彼らは、おそらく徹夜で作業をすることだろう。
身体を回復させた自分の行動が正しかったのか心配になりながらも、マリアは別れの挨拶をして研究室から出た。
「お疲れ様、マリア。体調は大丈夫?」
「大丈夫だよ。レオ」
研究室の前で待っていたレオが、マリアの顔色を確認しながら労りの声をかけてくる。
前回倒れてしまってからというもの、レオやエミリーの過保護が増してしまったとマリアは感じていた。
「今日はおそらくエドワード殿下とは会えないと思う。このまま家に帰ろう」
「なんだか王宮がバタバタしているようだけど、何かあったの?」
マリアの質問に、レオは階段途中で足を止めて周りをキョロキョロと見回した。そしてマリアに顔を近づけるなり、耳元で囁く。
「それが、昨夜ガブール国の王太子が先に王宮に来ちゃったみたいなんだ」
「先に……って、どういう意味?」
「王族用の馬車や荷物より先に、数人の騎士と馬に乗って来ちゃったらしい」
「ええっ!?」
王太子の身分でなんて危険な行動を! と言いかけて、マリアはレオと目を合わせた。お互い口には出さないが、気まずそうな顔を見る限り考えていることは同じだろう。
私達も、最後の遠征帰りに同じことしてお兄様に怒られたんだった……!
人のことを言えた立場ではないが、王太子という身分に行き先が初めて訪れる友好国の王宮となったら話は別だろう──そう思い、マリアは1度止めた言葉を口にした。
「そんな危険なことをして、何かあったらどうするつもりだったのかな。それに、本当に……その人が……その……」
「マリアが言いたいことはわかるよ。数人の騎士と現れた人物を、すぐに王太子だと信じて大丈夫なのかって心配してるんだろ? その辺は、王宮側もしっかり調べた上で受け入れてるから平気さ」
「そう……」
「予定を崩されて、王宮側は今バタバタってわけだ」
コソコソ話を終えて地下の階段から通路に出る。
いつもならこのタイミングでエドワード王子が待っていたりするのだが、やはり今日は忙しいらしい。王子がいつも立っている柱の前には誰もいない。
会えたら、この前のこともう1度謝りたかったんだけどな。
そんなことを考えながら、その柱の横を通り過ぎた時──バタバタバタと走る足音が自分に近づいていることに気づき、マリアは音のするほうを見た。
左からこちらに向かって走ってくる人物がいる。
そう頭で理解した時には、すでにその人物はマリアのすぐ近くまで来ていた。
ぶつかるっ!!
しかし、その瞬間レオに腕を強く引っ張られ、マリアはレオの腕の中に匿われた。真っ暗な視界の中、誰かが「うわっ」と声を上げたのが聞こえる。
ぶつかった音は聞こえなかったので、レオとその人物もなんとか接触せずにすんだらしい。
……大丈夫かな?
そろ〜と目を開けたマリアは、自分とぶつかりそうになった人物を見て黄金の瞳を輝かせた。
褐色の肌……!
白い肌が多いこの国で、なかなか見ることのない褐色の肌。銀色の長い髪の毛。夜空のようなネイビーブルーの瞳。
騎士の格好をした筋肉質な身体のその男性は、焦りながら謝罪の言葉を口にした。
「ゴメンなさい! 大丈夫ですカ?」
「はい……大丈夫です」
この人、もしかしてガブール国の騎士?
ガブール国民は、皆肌が褐色で銀色の髪をしている──と聞いたのを、マリアは思い出していた。
今話した言葉も、どこかぎこちない。慣れてない他国の言葉を話したような訛りがあった。
「部屋に戻りたいのに、道に迷ってマシタ。私はガブール国から来た騎士のハリムです」
「そうだったんですね。私はマリアです。レオ、お部屋まで案内してあげて」
「ガブール国の方はきっとあちらの建物の……」
案内を開始しようとした時、ハリムの異様な空気を感じ取ったレオが足を止めた。
先ほどまでは普通だったハリムの表情が、驚きの様子で固まっている。その視線の先は、ある一点から動かない。
……マリアの黄金の瞳から。
「その瞳……もしかして、アナタは聖女様ですカ?」
「あ、はい……」
目を逸らすことなく、ジーーッと凝視される。
そのあまりにも強い目力に、マリアは思わず怯んでしまった。マリアの好きな夜空のような瞳だからか、ずっと見ていると吸い込まれてしまいそうだ。
遠目からジーッと見られることはあったけど、こんなに近くでここまで見られるのは初めてかも。
みんな聖女の黄金の瞳に夢中になるが、目の前にいる状態で凝視してくる者はいない。
遠慮がないのか、好奇心旺盛なのか、自分の思うまま素直に行動する人なのか……ハリムの堂々とした行為にマリアもレオも驚いていた。
「あ、あの……」
「あっ。失礼シマシタ。あまりにも綺麗な瞳だったカラ……」
「あーーっ!! いた!!」
ハリムがニコッと微笑んだ時、彼の後ろから叫び声と共に騎士が2人現れた。1人はこの王宮の騎士で、もう1人はハリムと同じ格好をした騎士である。
褐色肌に銀髪、たくましい身体はハリムと同じだが、瞳の色は黒く髪も短髪だ。どうやら2人でハリムを探していたらしい。
「どこ行ってたんですか? なかなか戻ってこないから心配して……って、マリア様!? どうしてこちらに!?」
王宮の騎士は、ハリムの前に立っていたマリアを見て驚いている。
何か問題は起きていなかったかと、不安そうな顔でマリア、レオ、ハリムの顔を見回した。
「なんでもないわ。迷子って聞いたので、レオに案内をしてもらおうとしていたところだったの」
「そうだったのですね。お客様を迷子にしてしまったのは、担当の私の責任です。ご迷惑をおかけして……」
「私は大丈夫よ。それより、彼を早くお部屋に案内してあげて」
「はっ、はい! すみませんでした! 失礼します!」
王宮の騎士は、やけに焦った様子でバタバタと離れていった。一緒に連れられたハリムは通路の角を曲がるまでずっとマリアを見ていて、笑顔で手を振っていた。
まるで嵐の過ぎ去ったあとのように、マリアとレオは呆然とその場に立ち尽くしている。
すごく人懐っこい人だったなぁ。
なんだか変なオーラもあったし……。
「マリア、大丈夫? 強く引っ張ってごめんね」
レオが不安そうにマリアの腕に触れた。
咄嗟のことだったので、力強く引っ張ってしまったことを気にしているらしい。
「大丈夫だよ。ありがとう、レオ」
聖女の力で、身体にできた傷や痛みはすぐに治る。
それを改めて伝えると、レオは心底安心したようだった。
そして、さっき騎士達が向かった先に視線を送り、疲れた声でボソッと呟く。
「それにしても、ガブール国の騎士……ハリムだっけ? 変わった人だったね」
「うん……。ガブール国の人って、みんなあんな感じなのかな?」
「どうだろう? 相手が聖女だって知ったのに慌てないなんて、めずらしいなぁとは思ったけど」
レオの言葉を聞いて、確かにとマリアは思った。
実際に、さっき会った王宮の騎士はマリアを見てやけに焦って緊張している様子だったのを思い出す。
「でも、あの肌の色や銀色の髪はカッコよかったなぁ! 体格も良くて、すごく強そうだったし!」
急に騎士の目をしたレオが、キラキラと顔を輝かせている。マリアから見ても立派な体格が目立っていたので、同じ騎士のレオにはさらに目についたことだろう。
やけに嬉しそうなレオの様子を見て、マリアはクスッと笑った。
「そうだね。確かにカッコよかった。瞳の色も夜空みたいでとっても綺麗だったし」
「王太子もあんな感じなのかな? そりゃあ女性にも人気でるだろうね! マリアも気をつけてね」
「大丈夫! 私にとったら、お兄様が1番素敵だもん!」
「おぉ。そこまでハッキリ言われるグレイが羨ましいよ」
だって本当のことだし、という言葉を出さずにマリアはニコッとレオに微笑みかける。
それだけで、十分伝わったらしい。
「まぁ、マリアは大丈夫だと思うけど。向こうがマリアに夢中になっちゃう可能性も高いからな〜。本当に気をつけてよ。王太子だけじゃなくて、騎士とかもね!」
「大丈夫よ。今日はたまたま会っちゃったけど、きっともうパーティーまでは会わないと思うし」
「それもそうか」
……まぁ。とはいえ、なんとなくまたハリムに会いそうな気がするんだけど……言わないほうがいいかな?
なぜか胸に感じる変な違和感を隠したまま、マリア達は王宮を後にした。