81 無神経な男の失態
マリアがおかしい。
グレイは自分の前に座り、上品にパンを食べている美少女をチラリと見た。
パクパクと美味しそうに頬張る姿は、いつも通りの彼女だ。
しかし……
パチッ
「!」
グレイと目が合った瞬間、首がもげるのではないか? という速さで、マリアは顔をそらした。
そのあまりにも不自然すぎる行動に、食堂にいる使用人達は皆同じことを考えている。
(マリア様、グレイ様を避けてる……?)
(完全に避けてるわ)
(グレイ様……一体マリア様に何を?)
空気を読まないグレイですら、食堂内で感じる異様な目に気づいていた。
居た堪れないような、もどかしい状態にグレイはどうしていいのか全くわからない。
マリア……やはり、レオの言う通り俺のことを変態だと思って避けてるのか……?
グレイは、数日前にレオに言われた言葉をまだ気にしていた。マリアの態度が一向に変わらないのだから、心配になるのも無理ないだろう。
問題は、グレイはそれをマリアに聞くことができずにいることである。
ここ数日は目も合わせないし、話しかけても顔を赤くして逃げる……。
これは、完全に避けられていると思っていいだろう。
マリアの行動を尋ねることができないのは、少なからずグレイ自身が傷付いているからなのだが……もちろん、グレイ本人は自分がショックを受けていることをわかっていなかった。
*
「マリアは俺を変態だと思っているのか?」
「はあ!?」
執務室に呼び出されたレオが、呆れた声をあげる。
数日前に自分が言った言葉であるというのに、レオは何言ってんだ? という顔をしている。
その顔にイラッとしつつも、グレイは話を続けた。
「あの日以来、マリアが俺を避けている。思い当たるのはあのことしかない。お前が言ったように、マリアも俺を……」
「ちょ、ちょっと待って。俺が言った変態って言葉、そんなに気にしてたの?」
レオは申し訳ないような、どこかおもしろがっているような、口元の緩んだ変な顔をしている。
グレイはムッとしながらも、それを否定せずに会話を続ける。
「マリアの態度がおかしいから、そう思われてるのかと気になっただけだ」
「そ、そっか。なんかごめんな」
「? あの言葉は本音ではなかったのか?」
謝ってきたレオを見て、グレイはそう尋ねた。
あの言葉はただ勢いで言ってしまっただけであり、本音ではなかった。
それならば、自分は変態ではないということになる。
グレイはその結論に期待した。
自分で思ってる以上に、『変態』という言葉を気にしていたようだ。
「本音じゃなかったっていうか、あの時は俺もびっくりしちゃってさ。最低だ! 節操なし! って軽蔑して、つい思ってることをそのまま言っちゃったんだよ。ごめんね」
「…………」
つまりは本音ってことじゃねーか!
しかも最低や節操なしまで付け加えやがって……!
「でも、マリアはたぶんグレイに対してそんなことは思ってないはずだよ! 避けてるけど……まぁ、それはまた違う感情っていうか……」
「どんな感情だ?」
「いや。それは俺の口からは言えないけど……あっ!」
なんとか話題を変えようとしたレオは、何かを思い出したのか目をパチッと見開いた。
そしてすぐに気まずそうな視線をグレイに向ける。
今から話そうとしていることが、グレイにとって良くない話であることは明白だ。
「そういえば、頼まれてたパートナーの件だけど……1人、希望してくれてる令嬢がいるんだけど」
「そうか。じゃあその令嬢でいい」
「えっ? 誰だか聞かないの?」
「別に誰でもいいからな。それに、聞いたところでわからないし」
興味なさすぎるグレイの様子に、レオがオロオロと慌てだした。
話を進めていいと許可を出したのに、提案してきたレオのほうが迷っているみたいである。
「……なんだ? 何か問題でもあるのか?」
あまりにも不自然なレオの態度に、グレイはそう尋ねた。
なぜだか嫌な予感がしている。
「その……令嬢なんだけど、ベティーナなんだ。覚えてる? 元クラスメイトで、聖女お披露目パーティーの時にグレイに話しかけてきたピンク色の髪の令嬢……」
「べティーナ?」
グレイは聖女お披露目パーティーのことを思い浮かべる。
確かに、会場に着いてすぐ話しかけてきた令嬢がいた──気がする。
顔は思い出せないが、ピンク色の髪はなんとなく記憶の片隅に残っている。
「ほら。グレイにエスコートしてほしいって言ってた令嬢、いただろ?」
「ああ……そういえば、そんな奴がいたな」
そこまで言われて、グレイはやっと思い出すことができた。
直接エスコートしてほしいだなんて言ってきた令嬢は、後にも先にも彼女だけだったからだ。
あの女か……顔は思い出せないが。
そんな人物がいたという記憶はあるが、顔や会話の内容までは思い出せない。しかし、面倒で鬱陶しい令嬢だったことだけは覚えている。
グレイは露骨に顔を歪め、レオを睨んだ。
「なんであの女なんだ? 俺は『俺との婚約を求めてこない女』を条件にしたはずだが?」
確か、あの女は俺の婚約者になりたかった……とレオが言っていたよな?
グレイに睨まれたレオは、ため息をつきながらべティーナを候補にした理由を話し出した。
そのめんどくさそうな表情から、レオ自身もべティーナをよく思っていないことが伝わってくる。
「べティーナの兄が同じ騎士団にいるんだ。それで、俺がグレイのパートナーを探していることを知って、この前直接べティーナが俺のところに来たんだよ」
「なるほどな。まだ結婚していないどころか、婚約者すらもいないのか?」
「らしいね。彼女はすごく人気があるんだけど……理想が高いんだよ」
「……はぁ。他に候補の令嬢はいないのか?」
「いることはいるんだけど、べティーナの兄が副団長なんだよね」
「……?」
レオの頓珍漢な答えに、グレイは一瞬何を言われたのか理解できなかった。
他の候補がいるかどうかと、べティーナの兄が副団長だということが何か関係しているのか。
グレイからの冷めた視線を感じ取ったレオが、慌てて付け加える。
「あっ、えっと。俺は騎士団の知り合いに声をかけてたんだ。そこで他にも何人か候補が上がったんだけど、その……副団長が……」
「妹を優先させろ、と言ってるわけだな?」
「まあ……うん。そんな感じ」
……なんて面倒な兄妹なんだ。
チッと心の中で舌打ちをすると、グレイは深いため息をついた。
何かを諦めたかのような、どうでもいいと放置したかのようなグレイの雰囲気に、レオは申し訳なさそうな表情になった。
「まあ、後日婚約を迫ってこないなら誰でもいい」
「! 大丈夫! それはしっかりべティーナにも副団長にも伝えてあるから!」
「ああ。じゃあそれで話を進めておいてくれ」
「わかった! 贈るドレスはどうする? 好みが知りたいなら、俺から副団長に……」
「ドレス? ……贈る?」
なんとか話がまとまって安心した様子のレオは、キョトンとした顔でそんな質問をしてきたグレイを見て固まった。
そして、すぐに全てを理解したようで焦り出す。
「そ、そうか! グレイは今まで誰も誘ってこなかったから……!」
「なんだ?」
「パートナーにはドレスを贈るのがこの国の風習なんだよ! 毎回ではないけど、これほど大きなパーティーの場合は必ず! いくらグレイでもある程度準備はしてると思ってたのに……まさか、デザイナーの確保もしてないのか!?」
「デザイナーの確保?」
「あああ! 嘘だろ!? 間に合わなかったら、大変だぞ!?」
コンコンコン
慌てふためくレオを冷静に見守っていると、突然扉をノックされた。
グレイの返事とともに部屋に入ってきたのは、完璧執事のガイルである。このタイミングでガイルが入ってきたことで、今レオが慌てている内容はほぼ心配なくなったなとグレイは確信した。
「グレイ様、レオ様。昼食の準備が整いました」
「ああ。ガイル、今の会話は聞いていたか? デザイナーの確保についてだが……」
「すでに確保しております。カタログも預かっておりますので、こちらから決めていただければ本日中には発注できましょう」
「さすがガイル!!」
レオが歓喜の声を上げながら、ガイルからカタログを受け取った。そしてすぐにそれをグレイの机の上に置く。
グレイは害虫でも見るような視線をカタログに向けたあと、げんなりした声でレオに命令した。
「ドレスはお前が適当に決めておけ」
「ええ!? 無理だよ! 俺、ドレスとかよくわからないし!」
「俺だってわからん」
「でも、副団長に『レオは絶対にドレスを選ぶなよ』って言われてるし……」
「……どれだけ信用されてないんだ、お前は」
べティーナがどんなドレスを着ようが全く興味はないが、あまりにもセンスのないものを選ばれてもそれはそれで困る。
しかし、自分も令嬢の喜ぶようなドレスを選べるとは到底思えない。
悩んだグレイは、ハッと閃いた顔をするとカタログを持ったまま席を立った。
「食堂に行くぞ」
それだけ言うと、ガイルやレオを置いて執務室から足早に出ていく。
そして食堂に入るなり、目当ての人物に向かってカタログを放った。いきなりのことだったけれど、その人物──マリアのメイドであるエミリーは、しっかりとキャッチしてくれた。
「それを後でマリアの部屋に」
「は、はい。あの……こちらは……」
「ドレスのカタログだ」
グレイの返事に、マリアが目を丸くしてグレイを見た。驚いているからか、今はグレイから目をそらしたりはしないらしい。
少し期待がこもったような瞳を向けてきたマリアは、小さな声で問いかけてきた。
「なんで、ドレスのカタログを?」
「その中からドレスを選んでくれ」
「え……。あの、なんのドレスを?」
マリアは頬を少しだけ赤く染め、可愛らしく戸惑いながら尋ねてくる。
どこか嬉しそうなその様子に、グレイまで少し嬉しくなった。
やはり女はドレスが好きなのだな。こんなに喜ぶとは。
「親交パーティーで俺のパートナーが着るドレスだ」
マリアが嬉しそうにしている本当の理由に気づいていないグレイは、全く悪びれた感情もなく素直に事実を伝えた。
モジモジしていた動きをピタッと止め、マリアの表情が固まる。
カタログを持っているエミリーの顔は真っ青になり、オロオロとマリアに心配そうな視線を送っている。
……ん? なんだ?
「グレイッ!!」
慌てて部屋に入ってくるなり、レオが大声をあげる。
こちらもエミリー同様、顔面蒼白である。
……いや。よく見ればエミリーやレオ以外にも、この部屋にいる使用人がみんな顔を青ざめさせていた。
「ま、まさか、マリアにドレスを……?」
「選んでくれと頼んだが?」
レオが息切れをしながら尋ねてきたので、グレイは少し被せ気味に返事をする。
グレイは、皆がなぜそんなに青ざめているのか全く理解できていなかった。自分の行動がよくなかったのだと気づいたのは、次にマリアの顔を見た時だった。
「……マリア!?」
うつむいて涙を流しているマリア。
すぐ隣にいたエミリーが、マリアの背中に手を添えて何か声をかけている。マリアは何も答えずに自分の涙を拭っていた。
「どうしたんだ? なんで泣いて……」
「わ、私……へ、部屋に……もど……戻ります……!」
なんとか声を絞り出すようにそう言うと、マリアは立ち上がって食堂から出ていった。
グレイがその後を追いかけようとしたが、なぜか目の前には怒った顔のレオが、食堂の入口には無表情ながら呆れたオーラを放つガイルが立っている。
そして食堂に残った使用人達からの、なんとも言えない負のオーラ。
「な、なんだ……?」
誰もが黙っているが、全員から責められている気配を感じる。
原因はわからないが、グレイは自分がマリアを泣かせてしまった張本人であるということだけは理解できた。