77 エドワード王子のパートナーにならなきゃいけない裏の理由
コンコンコン
執務室の扉をノックする。
中から「入れ」というグレイの声が聞こえ、マリアは静かに扉を開けて顔を覗かせた。
「……ガイルさんに言われて来ました」
「ああ。俺が呼んだ。こっちへ来い……レオも」
いつも机で仕事をしているグレイが、部屋の真ん中にある1人掛けソファに座っている。
マリアとレオは顔を見合わせた後、ローテーブルを挟んで反対側にある長ソファに腰を下ろした。
先ほどまで書庫で勉強会をしていたマリア達だが、王宮からの招待状を届けに来たガイルからグレイが呼んでいると聞かされ、今こうしてレオと2人で執務室にやって来たのである。
「王宮からの招待状と、エドワード殿下からの手紙は受け取ったな?」
「うん」
「エドワード殿下はなんと言っていた?」
「……親交パーティーでは私をエスコートしたいって」
「そうか」
グレイは少し不機嫌そうな顔でふぅ……とため息をついた。
マリアの隣に座っているレオは、どこか落ち着かない様子でソワソワしながら2人の会話を聞いている。
会話が一旦止まったので、マリアもすぐに気になっていることを質問した。
「お兄様にも招待状が届いたんだよね? ……行くの?」
「ほぼ強制のような内容の招待状だったからな。行きたくないが、行くしかないだろう」
「このパーティーって、必ずパートナーが必要なんでしょ? その……お兄様は誰と行くの?」
他愛もない会話のはずなのに、なぜかマリアの心臓はドキドキと動きが速くなっていた。答えが知りたいのに、聞くのが怖い。
そんな複雑な感情の中、マリアはジッとグレイを見つめた。
いつも明るいマリアがやけに真剣な顔をしていることを不思議に感じながら、グレイはチラリとレオに視線を向ける。
「まだ決まってない。だからレオを呼んだんだ。レオ、誰か俺のパートナーとしてパーティーに参加できそうな令嬢を探しておいてくれ」
「えっ!? 俺が!?」
心底驚いたのか、レオはガバッと勢いよくソファから立ち上がった。
目を丸くして、自分自身を指差している。
「お前なら顔が広いからなんとかなるだろ。このことで婚約者になりたいなどと言い出さないような、面倒じゃない女がいい。家柄とか容姿はなんでもいい。それなら簡単に探せるだろ?」
「簡単なようで難しいよ!! 婚約者のいない令嬢じゃなきゃダメなのに、さらに婚約をグレイに求めない人って時点ですでに思いつかないんだけど!?」
「きっとどこかにいる。探せ」
「適当すぎる!!」
予想外の頼み事に慌てて言い返していたレオは、ハッ! と隣にいるマリアの存在を思い出しバッとそちらに顔を向けた。
マリアは呆然とした様子でグレイをボーーッと見つめていて、焦点があっていない。グレイがあっさりとパートナーの女性を探そうとしている事実に、想像以上のショックを受けている。
ほ……本当に、お兄様が誰かをエスコートしながらパーティーに参加するの……?
そうであるとはわかっていたが、もしかしたら参加しないかもしれないという小さな希望も持っていた。それが目の前で打ち砕かれ、マリアの頭の中は真っ白になっている。
そんなマリアの様子を見て、隣でレオがハラハラしているのも目に入ってない。
「わ……私、お兄様と一緒に行きたい!」
このまま黙っていたら、誰か知らない女性がお兄様のパートナーに決まってしまう! と焦ったマリアは、気づけば正直な気持ちを叫んでいた。
必死なマリアを見てもグレイは動揺せず、淡々と冷静に答える。
「……マリアはエドワード殿下からエスコートを申し込まれているだろ」
「そうだけど! 誰か他の人にしてくださいって、エドワード様に頼んでみる!」
「……ダメだ。マリアはエドワード殿下と一緒に行くんだ」
「!」
グレイにはっきりと断られたことで、マリアはさらにショックを受けた。
しかし、この場で1番驚いた顔をしているのは、マリアではなくレオであった。
目をまん丸くし、今のは聞き間違いか? という疑わしそうな視線をグレイに送っている。
そんなレオを、グレイはジロッと睨みつけた。
「なんだ?」
「え……いや……ほ、本当にグレイ?」
「は?」
レオの意味不明な言葉に、グレイの眉間のシワが深くなる。
「だ、だって、いつものグレイだったら自分から『王子は断れ』って言いそうなのに……。マリアとエドワード殿下がパートナーになるの……嫌じゃないの?」
「……今回はそれでいいんだ」
レオの質問に、グレイは少し間を置いて答えた。
その一瞬の顔色を見て、そしてその意味深な答えを聞いて、レオはすぐに何か理由があるんだと察した。今回、マリアを王子に任せることにした何か特別な意味が──。
しかし、マリアはそれに気づいていない。
「わかった……」
シュンと落ち込んだマリアは、ゆっくり立ち上がるとフラフラとした足取りで執務室をあとにした。
レオも後ろからついて来ているが、どう声をかけたらいいのか迷っているのか黙ったままだ。
どうしよう……。
お兄様が他の女の人をエスコートするなんて……よくわからないけど、なんかすっごく悲しい!
やっぱり、エドワード様に頼んでみようかな……。
聖女として研究室の手伝いをしているマリアは、自由に王宮を訪れていいことになっている。エドワード様からもいつでも来ていいと言われたばかりだし……と、マリアは早速次の日に王宮へ行こうと決意した。
*
次の日。王宮に着くなり、マリアはすぐにエドワード王子への謁見を申し出た。
いつもは声をかけずともマリアの来訪を知った王子から顔を出してきたため、マリアから会いたいと伝えてもらうのは初めてであった。
すぐに王子の許可がもらえ、マリアは王子の部屋へと案内される。
「マリア様、こちらへどうぞ」
エドワード王子の執事が椅子を引いてくれたので、マリアはその椅子に座りレオは少し離れた壁際に立った。
すでに座って待っていたエドワード王子は、どこかソワソワしているように見える。メイド達が紅茶などの給仕を終え離れたところで、王子がすぐに口を開いた。
「こんな朝からなんだよ。マリアから俺に会いたいと言ってくるなんて、まさかこの前のことを前向きに考えて……」
文句を言っているようで、どこか嬉しそうな声。
そんな王子の言葉を最後まで聞かずに、マリアは真剣な顔で王子に言った。
「エドワード様! パートナーの件、他の方にはできないかな?」
「は? パートナー?」
身体を小刻みに動かしていた王子は、ピタリと動きを止めてマリアを見た。
「ガブール国との親交パーティーの!」
一瞬思考が停止していたエドワード王子は、「ああ……」と思い出した様子で小さく呟く。
昨日各貴族の家に届いた招待状は、実際にはもっと前から用意されていたものだろう。全ての準備が整ってから一斉に発送されたはずだ。
そのため王子の手紙も数日前に書かれたものということになり、王子がすぐにピンとこなかったのも無理はない。
「あれが届いたのか。会った時に話そうと思っていたが、この前はそれどころではなくなったからな……」
「あのパートナー、私じゃなくて違う人に変えてほしいの」
「はあ!? 嫌だ!」
ドキッパリと王子が言い切る。
腕を組んでのけぞるように椅子の背もたれに寄りかかった王子の姿を見て、なかなか承諾してくれないであろうことが伝わってくる。
しかし、マリアも簡単には諦められない。
「お願い! 私がいない時は、エドワード様はフランシーヌ様をエスコートされてるじゃない? だから今回も……」
フランシーヌとは、王子やマリアと年齢が一緒の公爵令嬢である。
エドワード王子の婚約者候補として筆頭の人物なのだが、王子がなかなか了承しないためあくまでも候補のままである。
フランシーヌはエドワード王子に惚れているらしく、それでも良いと候補の座でも今は満足しているらしい。
「絶対に嫌だ!!!」
フランシーヌの名前を聞いて、王子は顔をひどく歪ませた。
不機嫌さを隠そうともしない顔と『嫌だ』というセリフに、まるで幼い子どものようだと王子の執事とレオが苦笑いをしている。
エドワード王子は普段はもっと17歳の立派な王子らしい姿なのだが、マリアの前ではこうして幼いワガママ王子のようになってしまうことがあるのだ。
そのためマリアから意識してもらえないのでは……という助言を、執事はずっと言えずにいる。
「俺はあの女が嫌いなんだ! 二度とそんなこと言うなよ! それに、今回の件についてはマリアの兄も納得してるはずだぞ」
「う……」
昨日のグレイとのやり取りを思い出し、マリアは口を閉じた。
異をとなえているのは自分だけで、エドワード王子もグレイもこの件について不服を言っていない。自分が我慢するしかないのだと、頭ではわかっているのだ。
やっぱりダメかぁ……。
ガッカリと落ち込むマリアを見て、王子が呆れたように言った。
「諦めろ。マリアが俺のパートナーになるのは、マリアの兄も望んでいることだ」
「……そうなの?」
「ああ。そうでないと、マリアはガブール国の王太子のパートナーにされてしまうからな」
「えっ?」
意外な返答に、マリアは項垂れていた頭をバッと上げる。
壁際に立っているレオが、一瞬何かに納得したかのように目を輝かせた後、急激に心配するような目つきでマリアを見た。
「ガブール国の王太子? なんで私が?」
「向こうが言ってきたんだよ! 聖女様のお相手が決まってないのであれば、ぜひ我が国の王太子と……ってな。だから、第2王子である俺とのペアが決まってると返してやったんだ」
イライラした様子でエドワード王子が説明してくれる。
額には青筋が張っていて、王太子をよく思っていないことがバレバレだ。
ガブール国の王族は聖女のお披露目パーティーにも参加していないし、遠いためマリアもその国には行ったことがない。
会ったことのないその王太子がなぜここまで嫌われているのかマリアにはわからなかったが、顔を歪ませたままのエドワード王子がその理由を話し始める。
「ガブール国の王太子には俺も会ったことはない……が、噂だけは知っている。友好国の中ではかなり有名な話だが、ガブール国のアドルフォ王太子は……大の女好きなんだ」
「ん?」
「美人ならば、貴族平民お構いなしに手を出すって有名なんだよ。そんな男を、マリアのパートナーにさせられるわけないだろ」
話を聞いていたレオが、壁際で「だからグレイも反対しなかったのか……」と小さな声で呟いている。
聖女のお披露目パーティーに参加しなかったとはいえ、各国に広まる聖女の噂は耳にするだろう。稀に見る美少女であることも、周りの国には伝わっているはずだ。
美女好きのアドルフォ王太子は、必ずマリアを狙ってくるに違いない。
「相手が伯爵の兄ではなく王子である俺のほうが、向こうも手を出しにくいはずだ。だから、今回は俺とマリアがペアになることはみんなが認めてることなんだよ」
「……そう、なんだ」
「だからマリアのパートナー交換の話は却下! この話もこれで終わりだ! ……で、次の話にいくぞ?」
「!?」
エ……エドワード様の声が、すごく低くなった……?
バッサリと会話を終わらせたと思ったら、エドワード王子の顔色がドス黒く変わっていく。
先ほどまでも十分機嫌が悪そうにイライラしていたというのに、さらなる怒りがプラスされていくかのようだ。
漂ってくる怒りのオーラに、マリアの背中にはゾクゾクと冷たいものが走り抜け、全身には鳥肌が立ってしまっている。
「エドワード様……?」
「マリア……。俺、この前お前に告白したよな? それなのに、その俺に向かって『パートナーを変えてほしい』なんて言ってくるとは……いい度胸だな?」
「え? え?」
マリアが怯えた様子で戸惑っていると、エドワード王子は自分の執事とレオに視線を向けた。
猛獣のような王子にギロリと睨みつけられ、レオの顔が真っ青になっている。
「すぐに終わるから、2人とも出ていけ」
「で、ですが……」
「早くしろ」
怯えながらも言い返そうとしたレオを、執事が無言のまま部屋の外まで押し出していく。こうなったら聞かないことを、執事はよくわかっているのだ。
部屋に猛獣王子と2人きりで残されたマリアは、小動物のように縮こまりながら王子を見つめた。