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73 マリアの隣で眠れないグレイ


「なんだか、嫌な予感がするな」



 執務室で書類と向き合っていたグレイは、ボソッと独り言を呟いた。

 ムズムズするような、イライラするような、不思議な感覚がグレイを襲い、あまりの不快感にペンを動かす手が止まる。

 何かを察したグレイは窓から外を覗いたが、普段と何も変わらない景色が見えただけだった。




 気のせいか……。




 ペンを持ち直し、また書類に目をやるがどうにも集中できない。これは先ほど感じた悪寒とは関係なく、今朝からずっとであった。

 原因は、恐らく睡眠不足だろう。

 グレイは目頭を押さえて椅子の背もたれに寄りかかると、昨夜のことを思い出した。





 昨夜、久々にグレイの部屋にやってきたマリア。

 いつものように持参した枕を横に並べ、心地良さそうに眠っていた。


 グレイは安心した様子で眠るマリアを見るのが好きで、その寝顔を見ているだけで自分も安心して眠ることができた。

 小さな身体も、綺麗に波打つプラチナブロンドの髪も、すやすやと聞こえてくる寝息も、どれも無意識のうちにグレイを癒してくれていた。

 しかし……。



「………………眠れない」



 マリアに毛布をかけ、隣に座って本を読んでいたグレイはそう声を漏らした。すでにマリアが眠りに落ちてから、数十分は経過しただろうか。

 今までであれば、本を読んでいようともマリアの温もりと寝息を聞いているだけで眠気に襲われていた。

 だが、今は眠気を感じるどころか目が冴えてしまっている。




 ……なぜだ?




 グレイは隣で眠るマリアを見た。

 昔と変わらない、幼く可愛らしい寝顔。

 しかし、グレイの服の裾を握っているマリアの手は、小さい子どもの手ではない。白く細い指。形の整った綺麗な爪。どれも子どもらしさがなくなっていて、マリアの成長が窺える。


 同じ年齢の子どもよりも小さく、成長の遅かったマリア。

 そんなマリアの成長はグレイにとっても喜ばしいことであったはずなのに、最近は素直に喜べなくなっている。


 喜べない……というのも少し違う。

 どうにも胸に感じる違和感を拭うことができないのだ。



「はぁ……酒でも飲むか」



 グレイは寝ることを諦め、本を閉じてサイドテーブルに置いた。

 自分の服を掴んでいるマリアの手を離そうと、その手に触れた瞬間。グレイの心臓がドキッと大きく跳ねた。




 ……なんだ?




 マリアに触れている手が、なぜか緊張している。触れてはいけないものに触れている気がして、グレイはその手をスッと離した。

 手を離したというのに、グレイの心臓はいまだにドッドッドッと早鐘を打っている。


 この感覚は初めてではない。

 マリアが久しぶりに帰宅した際、抱きしめられた時にも同じ状況になったことをグレイは思い出した。




 なぜマリアに触れると、鼓動が速くなるんだ?

 これも聖女の力なのか?




 抱きしめられた時にも感じたこの()()()のせいで、グレイはマリアを引き離し傷つけてしまった。


 その原因はマリアの胸に驚いたから……という結論を出したが、今は胸には触れていない。それなのになぜ、あの時と同じ状況になってしまったのか。


 


 ……原因は胸ではなく、マリア自身だったというのか?




 いや、とグレイは自分の考えを否定した。

 マリアのことを嫌ってもいないのに、触れるのを拒否するとは思えない。


 それに、他の女性への拒否感とは全然違うということもグレイはわかっていた。

 他の女性に触れられた時には、全身に鳥肌が立つような寒気がして、ひどい時には吐き気がする時だってある。しかし、マリアに触れた時にはそのような感覚は一切ない。


 ただ、感じるのだ。

 なんと言っていいのかわからない、意味不明な違和感を──。



「なんなんだ、これは……」



 グレイはそう呟きながら、またマリアの手に触れて自分の服から離した。なぜか無性にその手を握りしめたい衝動に襲われたが、それを無視してベッドから降りる。

 たったそれだけのことで、グレイは疲弊していた。




 マリアから離れたら、鼓動が落ち着いてきたぞ。

 やはり、原因はマリアなのか……? 

 今までは平気だったのに、なぜ?




 そんなことを考えながらグレイがソファに移動すると、普段よりも小さめの音で扉をノックされた。こんな時間にやって来る人物といえば、この屋敷の中で1人しか浮かばない。

 グレイは目を細めて気怠げに返事をした。



「……なんだ」


「失礼いたします」



 想像通りの人物──ガイルが、頭を下げながら部屋に入ってくる。

 その手には、薄い毛布が抱えられている。



「何もかけずに眠られては風邪をひきますので、こちらをお持ちしました」


「ご苦労……と言いたいところだが、なぜ俺が何もかけずに寝ることが前提になっているんだ?」


「マリア様がグレイ様のお部屋を訪ねておられましたので、必要になるかと」


「…………」



 マリアが俺の部屋に来たら、なぜ俺が何もかけずに寝るという結論になるんだ……そう言おうとして、グレイは言葉を止めた。

 ガイルがどうしてそんな結論を出したのかは不明だが、実際にそれが現実となっている。

 まさにグレイは、鼓動の落ち着くこのソファでそのまま寝てしまおうと考えていたのだ。




 相変わらず、先読みの恐ろしいジジイだな。




「はぁ……。まぁ、それは受け取っておく」



 グレイがため息まじりに毛布を受け取ると、想像していたよりも重いことに驚いた。ズシッと手に重みが乗っかる。

 しかし、その触り心地ですぐにそれが毛布だけでないことに気づいた。



「……これは、なんだ?」



 毛布の下には本が挟まっていた。

 タイトルを見たグレイが、その美しい顔をひどく歪ませる。


『無自覚な王子は恋を拗らせる』


 どう見ても恋愛小説であるその本を、グレイはガイルに投げつけてやりたくなった。

 たとえそんなことをしても、この男なら華麗に避けてしまうであろうことが予想されるので、なんとか理性で止める。



「今のグレイ様には必要かと思いまして」


「また、こんなくだらない本を読めと? 言っておくが、今までに読んだ本に何かを学んだことはない。ただ気分が悪くなるだけだ」


「左様でございますか。グレイ様はまだまだお子様でいらっしゃるのですね」


「……なんだと?」



 無表情のガイルが、急に小さな孫でも見るような甘ったれた目でグレイを見てきた。

 ゾゾゾ……と寒気がすると共に、苛立ちが増す。




 なんて腹立つ顔をしてるんだ、このジジイは。

 誰がお子様だ!




「俺のどこがお子様なんだ? レオに言うならともかく、理解ができないな」



 グレイは腕を組み、苛立つ表情を隠しもせずにガイルを問い詰める。

 しかし、そんなグレイに怯むような男ではなかった。ガイルは挑発するかのように怪しい笑みを浮かべながら、会話を続ける。



「おやおや。この件に関しては、レオ様のほうがグレイ様よりもずっと大人でいらっしゃいますよ」


「レオのが大人!?」


「はい」



 普段から失礼な言葉を言ってくる執事だが、グレイがここまで衝撃を受けたのは初めてではないか……というほど、グレイはショックを受けていた。

 いつまでも子どものように感情豊かで正直者のレオ。

 そのレオが自分よりも大人だと言われ、グレイは放心状態だ。




 あのレオよりも、俺が子どもだと?

 ……ふざけてやがる。




「そんな冗談は笑えないな」


「冗談ではございません。レオ様であれば、今グレイ様が感じている胸の違和感の答えもご存知でしょう」


「!?」



 ガイルはそれだけ言うと、しれっとした態度で「では」と言って部屋から出て行った。

 自分の手にはまだ先ほどの本が握られていることに気づき、グレイはチッと舌打ちをする。


 何も話していない自分の状況を把握されているというのは、なんとも気分が悪い。

 グレイは本をソファに放り投げ、マリアの眠っているベッドに視線を向けた。ガイルとの会話は小声だったため、起きてはいないようだ。すやすやと寝息が聞こえる。




 この違和感の正体を、レオは知っているだと?




 マリアが帰宅してから、ずっと感じている違和感。

 モヤモヤして居心地が悪いこの感情を、レオなら対処の方法がわかるというのか。


 今すぐにでもレオから聞き出したいと思いつつ、グレイは思いとどまった。

 たとえこの違和感を解消することができるとしても、レオに教えを乞うなんて冗談じゃない。それはグレイのプライドが許さなかった。


 


 レオでもわかることだ。

 俺だってわかるはずだ…………おそらく。




 あまり自信はないが、そう思うしかない。

 グレイは考えるのをやめて、ソファに横になった。ベッド以外で寝るのは久しぶりだ。幼い頃はたまにここで昼寝をしていた記憶が微かにあるが、よく覚えてない。


 寝心地は決していいとは言えないが、マリアの隣で寝るよりは眠れそうだとグレイは感じていた。

 マリアの近くにいると鼓動が速くなる時があるので、熟睡できる気がしない。まだ眠くはなかったが、グレイはとりあえず目を瞑るのだった。





 ……それでやっと眠れたのは朝方だったんだよな。

 



 グレイは目頭から指を離し、執務室を見回した。

 自分以外は誰もいない静かな空間。ある意味グレイが1番落ち着ける場所でもある。

 マリアは朝から王宮に行くと言っていたので、余計に屋敷全体が静かなのかもしれない……とグレイは思った。




 王宮に行ったということは、あの生意気王子にも会ってるのか?




 グレイの頭の中に、目つきの悪い金髪の美青年が浮かぶ。

 会うたびに睨みつけてくる、可愛げのないこの国の第2王子様。


 さっさと婚約者でも作ればいいものの、この10年そんな話は一切聞かない。王子が全ての縁談を断っているという噂まである。

 まだマリアを諦めていないのかと、グレイの苛立ちは増すばかりだ。


 コンコンコン


 

「……なんだ」


「失礼いたします」



 昨夜の無礼などすっかり忘れたかのように、堂々とした態度のガイルが部屋に入ってきた。

 紅茶でも持ってきたのかと思ったが、手には何も持っていない。



「何か用か?」


「エドワード殿下がこれからいらっしゃるそうです」


「何?」



 好ましくない名前が出て、グレイの眉間にシワが寄る。

 そんな反応をされるとわかっていたのか、ガイルは遠慮する素振りもなく話を続けた。



「王宮からの早馬が来ました。マリア様と一緒に、こちらに向かっているそうです」


「はぁ……。なんて自分勝手なんだ」



 約束もなく突然来るなんて、舐められたものだ。

 一言目には、是非にも嫌味を言ってやろう……と思ったグレイは、ふとあることに気づいた。




 ……あの生意気王子は、何をしに来るんだ?




 これまでに、エドワード王子は何度かこの伯爵家に来たことがある。そのどれもが、マリアに会うためであった。

 しかし、今は王子とマリアはすでに会っているはずだ。

 わざわざ早馬を使って来訪を伝えるということは、エドワード王子はグレイに会いに来るということになる。

 そんなことは初めてだ。

 



 あの王子、俺に話があるのか?

 一体何を?




 色々考えてみたが、グレイは嫌な予感しかしなかった。



「追い返せ」


「無理でございます」



 冷静に即答してくるガイルをギロッと睨むと、外から騒がしい音が聞こえてきた。

 どうやら王子を乗せた馬車が到着したらしい。


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