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67 10年後


 小さな手で自分の服を掴まれ、すやすやと心地良く眠っているマリア。

 そんなマリアの頭を、優しく撫でる自分──。


 懐かしい夢を見たグレイは、ボーーッとした状態でゆっくりと起き上がった。

 朝日がまだ出たばかりの、少しだけ明るい部屋。

 だいぶ早い時間に目覚めてしまったらしい。



「……なぜ、あの頃の夢を……?」



 誰もいない部屋でボソッと呟く。

 グレイは艶のある黒い前髪を軽く上げ、ヘッドボードに寄りかかった。


 初めてマリアが自分の部屋で寝た日の記憶。

 10年も前のことだ。

 あれ以来、月に何度かマリアと一緒に寝るようになっていたが、そのことを夢で見るのは初めてであった。


 また眠る気にならず、グレイは着替えを済ませてから執務室に向かった。


 静かな邸内。

 こんな朝早くから働いているのは、花の手入れをしている庭師と、朝食の準備をしている料理人だけではないだろうか。

 ……そう思っていたのに。



「……なぜ、起きてるんだ?」



 執務室の扉を開けたグレイは、中に立っている人物を見て目を細めた。



「おはようございます。グレイ様」



 机の上には、グレイが毎朝飲んでいるお茶がしっかりと用意されている。

 誰にも声をかけずに、いつもよりも数時間早く来たというのに、なぜこんな完璧に準備ができるのか。


 グレイは相変わらずな完璧執事、ガイルを呆れた目で見つめた。



「年寄りは早起きなんだな」



 そんな嫌味を言っても、ガイルは表情を変えることなく淡々と言い返してくる。



「楽しみなことがある日にだけ早起きをするのは、幼い子どもと一緒ですよ。グレイ様」


「どういう意味だ?」


「本日は、マリア様が3ヶ月ぶりにお帰りになる日ですからね」


「!」




 そうか。昨夜そんなことを言っていたな。




 思い出したと同時に、グレイはジロッとガイルを睨みつけた。

 まるで、マリアが帰ってくるのが嬉しくて早起きをしたかのように言われたからだ。


 身長はとうにガイルを抜かしているし、伯爵としての仕事もすでに1人で全てこなしているというのに、幼い子ども扱いに腹が立つ。

 


 

 23になっても、まだガキ扱いしてくるとは……このジジイ。




 そう心の中で舌打ちしつつ、グレイはマリアの話題にのることにした。

 グレイが直接文句を言ったところで、ガイル(この男)には何もダメージを与えられないのだから。



「今回の浄化は長かったな」


「この小さい国の中でも最北端でしたからね。ですが、あの廃れた土地がマリア様のおかげで作物を作れる土地に生まれ変わったみたいですよ」


「そうか」


「この10年……マリア様が国中を回ってくださったおかげで、この国はだいぶ豊かな国へと発展いたしました。今後は大きな自然災害などない限り、マリア様が遠くまで行く必要はなくなるでしょう」



 コク……と用意されていたお茶を一口飲みながら、グレイはガイルの言葉を反芻させていた。




 今まではマリアが長く家を空けることも多かったが、一通りそれが終わったとなると、やっとマリアも落ち着くことができるのか。

 10年……長かったが、マリアもよくがんばったな。




「今夜はマリアの好物をたくさん用意してやってくれ」


「数日前から、料理長が張りきっております。テーブルに全部並べられるのか心配なくらいですよ」



 昨日、大量の食料が運ばれたと聞いたが、そういうことかとグレイは納得した。

 ここ数日、庭師が手入れを頑張っているのも、メイド達が掃除を頑張っているのも、屋敷内がやけに華やかに飾られているのも、全てマリアを出迎える準備だったのか、と。


 そんなことを考えながら机に置いてある報告書に手を伸ばしたグレイは、表紙の文字を見て顔を歪めた。


『イザベラ様監視報告書』


 

「……あの女は、変わらずなんだな」



 報告書をパラパラと確認しながら、グレイが呟く。

 両腕を腰に回し、姿勢良く立っているガイルがすかさずに答えた。

 


「はい。記憶が戻った気配はなく、今も楽しそうに孤児院で働いているそうです」


「……ふん。まぁ、今後も監視は続けろ。それと、孤児院に今年分の寄付もな」


「かしこまりました」



 グレイの実の母であるイザベラ。

 マリアを監禁し虐待していたことにより王宮に捕まっていたが、受けた罰に耐えきれず記憶喪失になっていた。


 そのイザベラの処遇を求められたグレイは、孤児院で働かせることを提案した。


 イザベラが元々優しく穏やかな性格だったこと、マリアが厳しい罰を望まなかったことなどが理由である。

 万が一記憶を思い出すことを考えて監視をつけているが、10年経った今でも記憶は戻っていないらしい。


 ちなみに、ジュード卿の頃から聖女監禁を知っていた執事のキーズは、重罪として処刑されたのだが……マリアにはその事実は伝えていない。



「この報告書は処分しておけ」



 そう言って次の書類に目を通したグレイは、またまた表紙の文字を見て顔を深く歪めた。


『婚約の申し出一覧』



「……またか」


「グレイ様が面倒に思われるのである程度まとめて報告しておりますが、毎日届いております。いい加減、お相手を決められた方がよろしいかと」


「当分結婚する気はない」


「結婚はされなくとも、婚約者がいない状態ですと申し出が止まりませんよ」


「婚約者も作るつもりはない!」



 ギロッと睨みながら強く言い切るが、ガイルが怯えることはない。

 他の使用人にこんな態度をしたなら、皆慌てて謝罪するというのに……とグレイは苛立った。


 ガイルの見透かすような目に見られていると、責め続けることができない。

 頭の上がらない祖父と対面しているような、居心地の悪さを感じてしまうのだった。



「グレイ様」


「……なんだ?」


「どうやら予定よりも早く到着されたようです」


「は?」



 そう言うなり、ガイルがスッと壁際に移動している。

 何事かと思っていると、目の前にある扉からノックの音が聞こえた。


 コンコンコン




 ……早く到着? まさか。




「お兄様。マリアです」


「……入れ」



 想像通りの人物の声に、グレイの胸が少しだけ高ぶる。

 カチャ……と丁寧に開けられる扉から、目が離せない。



「ただいま戻りました」



 廊下の窓から差し込む光で、眩しいくらいに輝くプラチナブロンドの髪。真っ白な肌に、丸く大きな黄金の瞳。

 細く長い手足で綺麗に令嬢の礼をしたマリアは、顔を上げてニコッと笑った。



「マリア……」



 17歳に成長した美しいマリアは、グレイを見て心から嬉しそうに微笑んでいる。

 そんなマリアを見て、グレイは一瞬時が止まったかのような錯覚に襲われた。


 先ほどまでの無表情とは違い、優しい笑みを浮かべたガイルがマリアに話しかける。



「お帰りなさいませ。マリア様」


「ただいま、ガイル」


「また身長が伸びましたね」


「そうなの。このお洋服も、いつの間にかスカートがこんなに短くなっちゃって……」



 マリアはスカートの裾を掴み、クルクルと軽く回ってみせた。

 綺麗な髪がなびいて、まるでダンスを踊っているかのようだ。


 出発前は膝下だったはずの丈が、今では膝が少し見えてしまっていた。

 この3ヶ月でどれほど身長が伸びたのかがよくわかる。



「そのうち、ガイルの背に追いつくかも」


「それは嬉しいですね」



 ふふふっと笑い合っているマリアとガイル。

 実は、マリアの成長期がきたのは17歳になってからだった。


 16歳の頃は、どう見ても12歳くらいにしか見えないとグレイは思っていた。

 ずっと小さくて、いつまでも子どものようだったマリア。


 17歳になったマリアは突然背が伸び始め、身体も顔も一気に大人びていった。


 子どもから大人の一歩手前まで一瞬で成長してしまったマリアに、グレイは未だ慣れずにいる。

 この会っていなかった3ヶ月の間にも、さらに大人っぽくなっていたみたいだ。


 マリアと再会したグレイは、まだまともに喋れていない。

 まるで知らない女性と対面しているような気分であった。



「……新しい服を買えば良かっただろう」



 やっと出た言葉は、そんな責めるような言葉になってしまった。



「そう提案されたんですけど、少しでも早く帰りたかったから断ったんです」


「そうか。だから、こんなに早いんだな? ……なぁ、レオ」



 グレイに名前を呼ばれて、扉の向こう側からレオが顔を出した。

 まるで、これから怒られるのがわかっている子どものように、気まずそうな顔をしている。



「やぁ、グレイ。久しぶり〜……で、えっと……いつから気づいてたの?」


「マリアがいるのに、マリアの護衛騎士であるお前がいないわけがないだろ」


「あはは。ですよね〜」



 立派な騎士の格好をしたレオが、頭を掻きながら部屋に入ってくる。

 ふわふわの猫っ毛は、大人になっても変わらないままだ。



「こんな早朝に帰ってくるとは、どういうことだ? 騎士団と共に行動していたら、まだ馬車を出す時間ではないはずだが」


「んんーー……それは……」


「私がレオにお願いしたの! もう近くまで来ていたし、早くお兄様に会いたくて……」



 レオが返答に困っていると、すぐにマリアがレオを庇った。

 眉を下げて瞳を潤わせているマリアを見たなら、大抵の人はすぐに許してしまうことだろう。


 グレイは椅子から立ち上がり、マリアの目の前に移動した。


 高さのある靴を履いているとはいえ、ついこの前まで自分の胸元くらいにあったはずのマリアの頭が、今は顎の下にある。

 グレイを見上げているその顔の近さに、マリアの成長を改めて感じた。



「だから、馬車を使わずにレオと馬で帰ってきたと? 騎士団にはきちんと報告してあるのか? 護衛がレオだけで足りると? 今回は何事もなく帰ってこれたが、もし誰かに襲われていたらどうする」


「……ごめんなさい」



 マリアがシュンと落ち込んだのを見て、レオが慌てて間に入ってきた。



「騎士団にはちゃんと報告してあるし、マリアは俺の馬に一緒に乗せて、両隣にも騎士を配置させてた! だから……」


「だから安全だと?」



 グレイの闇を感じる暗い瞳にギロリと見られ、レオは一瞬ビクッと身体を震わせる。

 それでも負けじと、なんとか言葉を続けた。



「馬車より安全……ではないよな。ごめん、次からは気をつけるよ」


「マリアも、もうしません」



 心から反省して、子犬のように瞳をウルウルさせながらグレイを見つめるマリアとレオ。

 グレイは昔からこの2人のこの顔に弱かった。



「……はぁ。反省したならいい」



 グレイの言葉に、マリアとレオの顔がパアァと明るくなる。

 こんなところも昔から変わらないし、そっくりだな……とグレイはため息をついた。


 マリアが上目遣いにグレイを見つめながら、少しだけ遠慮がちに聞いてくる。



「じゃあ、お兄様はもう怒ってない……?」


「ああ」



 その返事を聞くなり、ぎゅうっとマリアがグレイに抱きついた。



「ただいま。お兄様っ」



 いつからか、長く家を空けて帰ってきた際には、こうしてグレイに抱きつくのがお決まりとなっている。


 10年間続けていること。

 両親に愛されてこなかったマリアの、グレイに対する甘えた行動。


 いつもなら頭を撫でて、おかえりと言って甘えさせるのだが──。


 グイッ



「!?」



 グレイは、何も言わずにマリアの身体を優しく離した。


 おかえりという声かけも、頭を撫でることも、マリアが満足するまで好きに抱きしめさせることすらしない。

 いつもとは違うグレイの行動に、マリアは目を丸くした。



「お兄様……?」


「あ……」



 キョトンと自分を見上げるマリアを見て、グレイはハッとした。

 自分がマリアを拒否したことに、今気づいたらしい。


 マリアと同じくらい驚いた顔をしている。



「やっぱりまだ怒ってる?」


「いや。怒ってはいない」


「じゃあ、なんで……」



 拒否されたショックで、マリアは涙目だ。

 なんとか弁明したいところだが、困ったことにグレイ自身もなぜ自分がこんな行動をしてしまったのか、わかっていなかった。




 なんだ……?

 マリアに抱きつかれた瞬間、身体がやけに熱くなった。

 思わず引き離してしまったが……。

 



「とにかく、怒ってはいない。……おかえり。マリア」



 そう言ってマリアの頭を撫でたが、マリアは納得のいかない顔でグレイをジトーーッと見つめている。


 これでは誤魔化せなかったとわかっていても、グレイは他に何をしたらいいのかわからなかった。

 グレイの中に、抱きしめ返すという選択肢はない。


 そんな2人の様子を見て、ガイルとレオが無言のまま目を合わせる。

 本人でさえわかっていないグレイの行動理由に、2人はなんとなく……いや、確実に気づいていた。


 その2人から、呆れたような視線、しらけた笑顔を向けられていることに、グレイは気づいていない。


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