63 グレイに婚約者はいりません?
ベティーナから離れたグレイとレオは、軽食が置いてあるテーブル付近の壁に寄り添って立つことにした。
コルセットで苦しいからなのか、こういった場で食事をするのを恥ずかしいと感じているからなのか、軽食のあるテーブル付近には女性がほとんどいない。
男性しかいない空間に、グレイとレオはホッと一息ついた。
「やっと落ち着けたね!」
「ずっと見られてはいるけどな」
令嬢達は、今も離れた場所からジーーッと熱視線を送ってきている。
しかし、誰もグレイに声をかけてはこないし近寄ってもこない。
美少女であるベティーナが、あれほどにもあっさりと振られたのだ。
その光景を見ては、我こそはと名乗り出れるほど勇敢な令嬢はいないだろう。
「はぁ……。なんだってこんなにジロジロ見られないといけないんだ? そんなに聖女の兄がめずらしいのか?」
「うーーん。めずらしいか、めずらしくないかで言ったら確実にめずらしいんだけど、グレイがジロジロ見られてる原因はそれだけじゃないっていうか」
「なら、なんだ?」
「ほら。グレイは若いのにもう伯爵家当主だし、顔だって良いだろ? だから、そのーーみんなベティーナと同じで……」
「……婚約者の座を狙ってる、と?」
レオがコクンと頷くのを見て、グレイは心底うんざりした。
きっと顔にも出ているだろう。
マリアと結婚について話した時、その時がくれば誰かに紹介された令嬢と結婚することになるだろう、と答えた。
その時は本当にそう思っていたから。
しかし、実際にそんな場面になったらどうだ。
これほどにも拒否感が出るとは、グレイは思っていなかった。
若い令嬢達から向けられるギラギラとした視線も、やけに甘えたように見せる仕草も、どれもこれもが鬱陶しい。
いつかはそんな令嬢の1人と結婚し生涯を共に過ごすと考えるだけで、グレイの腕には鳥肌が立っていた。
「レオ。……俺は婚約者は作らない」
「え? でも、グレイは伯爵家当主なんだし、いつかは作らなきゃ……」
「それはお前に譲る」
「意味わかんないんだけど!?」
レオは「まったく〜」と言いながら、軽食を数種類皿に乗せて食べ始めた。
見ていたら食べたくなってしまったらしい。
「グレイもいる?」と聞かれたが断った。
「でもさ〜、そんなに他の令嬢と婚約したくないなら、マリアを婚約者にすればいいんじゃない?」
頬袋を膨らませてモグモグ食べながら、レオは周囲を見渡して小さな声で提案してくる。
「何言ってるんだ、お前は。マリアは7歳だぞ? いくら本当の妹ではないにしても、そんな目で見られるか」
「そりゃあ今は7歳だけど、あと10年もすれば17歳じゃないか」
「はあ? 10年経ったら17歳になるなんて、当たり前だろ」
「そうじゃなくて〜!」
レオはガックリと肩を落とし、ちまちまと食事を続ける。
何が言いたかったのか理解できないグレイは、レオの言っていた10年後というのを想像してみることにした。
マリアが17歳になった時、グレイは23歳だ。
この年齢差が縮まることはない。
10年後だろうが、20年後だろうが、マリアは自分より6つ年下であることに変わりないではないか。
……いや。6つ年下というならば、確か父母であるジュード卿とイザベラもそのくらいの年齢差ではなかったか?
大人になると、そんなに離れていないものなのか?
……マリアを自分の婚約者にする?
グレイは初めてその可能性を浮かべてみた。
しかし、現在のマリアの姿を想像すると、なかなかうまく考えられない。
今のマリアは完全に小さな子どもで、とてもじゃないが婚約者候補としてなんて見られない。
今のマリアを婚約者に……と考えるのは無理だな。
それに、本人の意思を無視して勝手に決めたくはない。
グレイはそう判断し、それ以上考えるのを止めた。
「あっ、見てグレイ! あの扉の前に、騎士達が集まってきてる! もうすぐマリアが登場するんじゃない?」
周りもそのことに気づいたのか、ソワソワとした空気が流れてくる。
皆、貴族なのであまり顔や態度には出さないようにしているが、チラチラと扉に視線を向けているのはバレバレだ。
伝説の聖女を初めて見るのだから、無理もないだろう。
しばらくすると、国王と王妃、2人の王子が入来した。
全員が頭を下げて、国王からの許しが出るまで待つ。
玉座に座った王は、顔を上げるように命じてから先程の扉に視線を向けた。
王妃や王子達、そして会場にいる貴族達も、皆が少し高い位置にある扉に注目する。
全員が扉に集中していて誰も話している者がいないからか、会場内はこれだけの人数がいるにも関わらず、しんと静まり返っていた。
「聖女、マリア様御入来!」
ギィ……と扉が開き、その先にマリアが立っているのが見える。
純白ドレスを身にまとい、遠目でも黄金の瞳とプラチナブロンドの髪がキラキラと輝いているのがわかった。
まるで美しい人形が立っているようだ……とグレイは思った。
周りの貴族達が、マリアの姿を見て息を呑んでいる。
黙っていても、その恍惚とした表情を見れば、皆がマリアの美しさに言葉を失っているのが伝わってくる。
家で見るのとこういった場所で見るとではまた全然違うな。
そこにいたのは、『マリア』ではなく『聖女』だった。
マリアがどこか遠い存在に感じてしまう。
そんな時、これだけの人混みの中でグレイはマリアと目が合ったような気がした。
会場の端にいる自分に気づくはずはない。
そう思うのだが、マリアが一瞬ニコッと微笑んだ気がして、グレイは無意識に心を躍らせた。
あの伝説の聖女が、俺に微笑んでくれた……と。
「マリア、ちゃんと喋れてたね」
そうレオにコソコソと耳打ちされるまで、グレイは自分が放心状態でいたことに気づかなかった。
「え? マリア、何か喋ったか?」
「聞いてなかったの!?」
いつの間にか陛下や聖女からの祝言は終わり、マリアは同盟国の王や王子達と挨拶を交わしている。
近くにいるエドワード王子の不機嫌そうな顔を見る限り、他国の王子からマリアへ熱い視線でも送られているのかもしれない。
ムスッとしたエドワード王子と違い、兄である第1王子は少し楽しそうに弟の様子を見ている。
「なんだか、マリアというより聖女様って感じがして……嬉しいような寂しいような、変な気持ちになっちゃったよ」
ははっと少し照れたように話すレオを見て、グレイは一瞬言葉が出なかった。
何を言ってるんだ、と言いたかったが、妙に納得してしまったからだ。
そうか。これは寂しいという感情なのか。
先程マリアを遠くに感じた時に、胸に空いた小さな穴。
その原因が寂しさからくるものだと、グレイは初めて知った。
レオと同じ事を考えていたのは不服だが、ここは同調しておこうとグレイは素直な反応を返す。
「……そうだな」
その反応に驚いたのか、レオが目を丸くしてグレイを凝視した。
「え!? グレイも寂しいって感じたの!? グレイが!?」
「どういう意味だ? 俺がそう感じたらいけないのか?」
「だだだだって、今までグレイは寂しいなんて思ったことないじゃん! 俺が帰る時も、全然寂しがってくれないし!」
「なんでお前が帰るのを寂しがらなきゃいけないんだ。嬉しいだけだろ」
「ほらぁ!!」
驚いた顔から一転、レオはプリプリと怒っている。
こんなに騒がしいレオが帰るとなったら、やっと静かになるなという感想しか出てこない。
でも、言われてみれば最近は寂しいなんて感じたことはないな。
幼い頃には感じた記憶が──。
グレイの頭の中に、父であるジュード卿がマリアとマリアの母を連れて来た日の光景が浮かんだ。
あの日を境に、父と母が自分から離れ、家族というものが崩壊した。
当時まだ6歳だったグレイには、当初寂しいという感情があったはず……。
その頃の記憶を思い出そうとして、グレイは途中で考えるのをやめた。
「確かに、そんな感情を抱くのは久しぶりかもな」
「そうだよ! まぁそれだけマリアが大切ってことなんだから、いいことだよ」
「…………」
何かや誰かに対して、大切と思ったこともなかったな。
なぜマリアに対しては、そんな感情を持ってしまうのだろうか。
自分に似た環境……いや、それ以上にひどい環境で育ったマリアに同情しているのか。
それとも、その原因となった自分の両親の行いに罪悪感を感じているのか。
そんな中でも、自分に対して憎むどころか曇りのない瞳で見つめてくるマリア自身に心を動かされたのか……。
「それより、もうすぐダンスだけど……グレイ、踊れるの?」
「今さらそれを聞くか?」
「だって、なんだか緊張してきちゃって」
「なんでお前が緊張するんだ」
レオは周りをキョロキョロしながら、少し青ざめた顔で囁いてくる。
想像以上に集まった貴族達の姿に怯えているようだ。
普段は夜会などにも参加しない年齢なのだから、無理はないだろう。
きっと緊張しない俺のほうがおかしいんだろうな……とグレイは思った。
「そ、それに、マリアはまだ小さいから普通のダンスとは違うんだろ? グレイ、本当に大丈夫なの?」
レオの言う通り、まだ背の低いマリアに普通のダンスを踊ることはできない。
しかし、この国にはまだ幼い姫が踊れるようにと作られた特別なダンスがあった。
今は王子しかいないため、そのダンスを踊れる者はほとんどいない。
グレイももちろん知らなかった。
「……はぁ。大丈夫だ。ガイルに徹底的に叩き込まれたからな」
グレイは練習の時を思い出し、心底不快そうなため息をつきながら答えた。
レオがギョッとしている。
「え!? ガイルは踊れるの!?」
「どこで覚えたのか知らないけどな。さすが長く生きてるだけある……おい。何笑ってるんだ」
レオが顔を下に向け、肩をプルプルと震わせている。
隠しているつもりなのかもしれないが、全く隠れていない。
グレイは正直にレオに話したことを後悔した。
「グ……グレイが……くっ、ガイルと……ダンスの練習を……くくっ」
「そうだ。だから何も問題はない。それよりも、お前に相手がいるかのほうが心配になってきたぞ。さっきのベティーナとかいう令嬢に、頼んできてやろうか?」
「ごっ、ごめんって! それだけはやめてっ!」
一瞬で笑いが吹き飛んだのか、レオはかなり焦った様子で顔を上げた。
腕を組んだグレイがフンと鼻を鳴らしレオから視線を外すと、すぐ近くにいる貴族達……いや、会場中の人々がグレイを見ていることに気づいた。
なんだ!?
驚いたグレイは、思わず一歩後退りしてしまう。
同じく驚いた様子のレオも、すぐにグレイに肩をくっつけて小声で話しかけてきた。
「な、何!? なんでこんなに見られてるの!?」
「俺だって聞きたい」
コソコソと話す2人がその理由に気づいたのは、こちらに近づいてくる人物が目に入ったからだ。
プラチナブロンドの髪をなびかせ、小さい歩幅で少しずつ近づいてくる、黄金の瞳を持った少女──。
マリア! そうか、もうダンスが始まるのか。
一瞬で状況を理解したグレイは、マリアに向かって歩き出す。
周りにいた貴族達は、黙ったまま移動し2人のために道を開けてくれていた。
今まさに出会おうとしている美しい少年と少女の姿に、周りは釘付けだ。
(聖女様、近くで見てもとっても綺麗で可愛いわ)
(なんてお似合いのお二人なのでしょう。つい頬が緩んでしまいますわね)
(聖女様を保護されたお若い伯爵様とは、あんなに素敵な方ですのね)
さっきと似たようなジロジロとした視線を感じるが、もうグレイに嫌悪感はなかった。
正確にいうと、どうでも良かった。
もう彼女達の目が気になることはない。
グレイはマリアの前に着くなり、片膝を立てて腰を下ろした。
まるで騎士……いや、王子のようなそのグレイの姿に、令嬢達から「まぁ……」と甘美な声が漏れる。
「お兄様……」
「マリア」
頬を少し赤らめているマリアに、グレイはスッと手を差し出した。