62 グレイに集まる令嬢達からの視線
「わぁーー……俺、王宮に初めて来たよ」
「普段のパーティーに子どもは参加できないからな」
王宮の煌びやかな廊下を、グレイとレオは歩いていた。
2人以外にも、周りにはたくさんの貴族が期待に顔を輝かせながら歩いている。
「聖女様にお会いできるなんて、楽しみですこと」
「とっても可愛らしいお嬢さんだとお聞きしましたわ」
「ぼく、聖女様とお話したいーー!」
ガヤガヤと所々から聖女の話題が聞こえてくる。
どの声も嬉しそうなものばかりで、否定的な声がないことにグレイは安心した。
7年間も姿を現さなかった聖女。
詳しい事情までは知られていないが、悪徳貴族達に利用されていたという噂だけは広がっていた。
聖女発見とほぼ同時に、何人もの貴族が捕まったという事実から導き出されたのだろう。
捕まった貴族に日々迷惑被られていた人々は、彼らを捕まえるきっかけをくれた聖女に感謝していた。
……大きな声では言えないが。
そんな人々に囲まれながら会場に向かっていると、レオが小さな声で話しかけてきた。
「なんか……みんなグレイを見てない?」
「…………」
チラチラと感じる視線。
女性だけでなく、貴族家当主と思わしき人物からも遠慮なく向けられる視線に、グレイはげんなりしていた。
ガイルの言っていた通りだったな。
そんな聖女を発見し保護している人物として、グレイの名前も自然と広まっていたのだ。
まだ13歳の伯爵家当主。
あのセントオーストル学園を、13歳という若さで高等部卒業の資格を取った優秀な人物。
そして、初めて見た者に思わず甘美なため息をつかせてしまうほどの、美しく整った顔立ち。
聖女と同じくらい、グレイも一瞬で有名になってしまった。
「まさか本当に、それだけのことでこんなに注目されるとはな。鬱陶しい」
グレイは心底嫌そうに顔を歪めると、スタスタと早歩きで会場に入っていく。
「あっ、待ってよ! グレ……」
「レオ!!」
レオがグレイに続いて会場に入った瞬間、大きな声で呼び止められた。
レオだけでなく、グレイも声を出した令嬢を振り返る。
グレイやレオと同じ年齢くらいの、ピンクの髪が印象的な令嬢。
リボンやフリルがたくさん付いた愛らしいドレスに身を包んだ、とっても可愛い娘だ。
「ベティーナ!」
「学園以外で会うのは初めてね」
「そうだね。他にもみんなに会ったの?」
「そうね。何人か会ったけど……その、レオはグレイ様と一緒に来たのね」
ベティーナはピンク色に染まった頬に手を当てながら、チラリとグレイに視線を送った。
その熱を帯びた瞳に気づいたレオは、顔に冷や汗を浮かべる。
「あ、ああ。そうなんだ。ベティーナは誰と来たの? 婚約者のダミアン?」
「ダミアンとの婚約は解消したわ。私は今誰とも婚約してないから、今夜のパートナーがいないのよね」
「そ、そっか……」
レオの焦りに気づいていないのか、ベティーナはチラチラとグレイを見ながら話している。
声をかけてほしいと待っているのがバレバレで、グレイは小さく舌打ちをした。
「レオ、先に行ってるぞ」
「待ってよ、グレイ! 俺も行くよ」
「あのっ! グレイ様!」
グレイが背を向けて歩き出そうとしたので、ベティーナが慌てて呼び止める。
無視しようかと一瞬グレイは迷ったが、今自分は聖女の兄として注目を集めていることを思い出し、仕方なく足を止めた。
自分の非情な行いのせいで、初披露前のマリアのイメージを下げたくはなかった。
「……なんだ?」
「あのっ、お久しぶりですね。またお会いできて嬉しいです。そのーー、グレイ様が学園にいらした時には私には婚約者がいたと思うのですが、今はもう解消しておりまして……」
ベティーナはグレイと目が合った瞬間に頬を赤らめ、手を可愛らしく口元に添えながら上目遣いでモジモジと話し出す。
恥ずかしそうな素振りをしているが、目を離さずに見つめ続けている時点で、この仕草は演技なのだとグレイは見破っていた。
本当に照れている者はまず視線を合わせない。
そうまでして自分を内気に見せたい理由がグレイにはわからなかったが、それ以上にこの令嬢が何を言いたいのかがさっぱりだった。
なぜこの女は、俺に自分の婚約者の話なんかしてくるんだ?
怪訝そうな顔を隠しもせず、グレイはまず1番に気になっていたことを聞いた。
「そもそも、君は誰だ?」
「え……?」
シーーン……と一瞬の沈黙。
ベティーナは口を小さく開けたまま硬直し、レオは片手で頭を押さえながら目を閉じた。
コソコソとグレイ達の様子を横目で見ていた若い令嬢達が、数人プッと吹き出したのが聞こえてくる。
今はグレイ達に背を向けてクスクスと笑っている。
……なんだ? 何か変なことを言ったか?
さらに眉を顰めたグレイに、ベティーナが声を抑えながら返事をした。
手がプルプルと震えている。
「ま……まぁいやですわ。グレイ様ったら。私、クラスメイトだったベティーナ・アルダンテですわ」
「そうか。覚えてないな」
「なっ……!」
「グッ、グレイ!!」
ベティーナの顔が真っ赤になると同時に、レオが慌ててグレイに駆け寄る。
そしてベティーナに背を向けるように身体の向きを変え、周りには聞こえないくらいの小声でグレイを咎めた。
「ダメだよ! グレイはもう伯爵家当主なんだし、こんな公衆の面前で令嬢に失礼な態度したらまずいって!」
「失礼な態度? 俺がいつ? ちゃんと会話していただろ」
「その会話の内容がダメなんだって!」
レオが焦っているのは伝わってくるが、何がダメだったのかグレイには理解できない。
頭の中に『グレイ様は女性のお気持ちがわからないから……』と言っているガイルの顔が浮かんで、グレイは顔をしかめた。
「いい!? 彼女はちょっと、あのーー面倒だから、できるだけ怒らせないように……」
「レオ」
「はいっ!?」
背後からベティーナに呼ばれ、レオが裏返った声で返事をした。
小声で話していた内容が聞こえていたらしく、レオを睨みつけている。
「誰が面倒ですって?」
「え? 面倒? だ、誰がそんなことを……ははは……」
レオは笑って誤魔化しながら、コソコソとグレイの後ろに隠れようとしている。
何をそんなに怯えているのかわからないが、ここは早く彼女から離れたほうが良さそうだ。
「話がないなら失礼する」
グレイがそう冷たく告げると、レオを睨んでいたベティーナは慌ててグレイの腕を両手で掴んだ。
か弱そうに見えて、意外に力があるなとグレイは思った。
「待ってください! あの、久しぶりなので、グレイ様が私を覚えていないのは仕方ありませんわ。これから覚えてもらえれば結構ですから……」
「……なぜこれから覚える必要が? もう会うこともあまりないと思うが」
「グレイッ!」
疑問に感じたことをそのまま丁寧に伝えているだけなのに、またしてもレオに注意されてしまう。
これだから女と話すのは嫌なんだ、とグレイは思わずにはいられなかった。
面倒極まりない。また相手を怒らせてしまったというのか。
しかし、ベティーナはグレイの腕を離そうとはせずに、やけに顎を引いて上目遣いに見つめてくる。
「このような場ではなかなか会えませんが、私は個人的にグレイ様にお会いしたいと思っていますの。まずは、このパーティーで私のエスコートをしてくださいませんか?」
ピンク色の髪がふわっと揺れて、大きな瞳がパチパチと瞬きをしている。
その愛らしい姿に、周りにいた男性達が頬を赤くして彼女を見つめた。
どうやら男性に人気ある令嬢のようだ。
そして、それを彼女自身もよくわかっている。
断られるなどと微塵も思っていないような真っ直ぐな瞳に、グレイはキッパリと言い放った。
「無理だ」
「え……?」
「グレイッ! 言い方っ!」
無理なものは無理。
それ以外にどう言えばいいというのか。
はっきりと断られたベティーナは、唇をプルプルと震わせながら絞り出すように声を上げた。
「な、なぜですの? 見たところ、グレイ様にもパートナーはいらっしゃらないようですが……」
「俺のパートナーは妹のマリアだ」
「聖女様がパートナー? で、でも、聖女様はエドワード殿下の婚約者だと聞き……。……っ!?」
途中まで言って、ベティーナは口をつぐんだ。
グレイの氷のように冷め切った瞳と目が合い、その恐ろしさに硬直してしまったのだ。
今までも決して優しい声色ではなかったが、さらに低くなった声でグレイは呟く。
「そんな誤情報が、まだ出回っているのか?」
「えっ。あ、あの……」
ベティーナは小鹿のようにガクガクと震えている。
まるで肉食動物に見つかった小動物のようだ。
「あの噂は誤解だと学園で伝えておけと言っておいたはずだが、どういうことだ? ……レオ」
「ええっ!? これ、俺が悪いの!?」
グレイに睨まれたレオは、こちらも小動物のように怯えながらも言い返している。
グレイの怒りの矛先がレオに向けられたことで、ベティーナはホッとした。
今のうちにと言わんばかりの速さで、「では失礼しますわっ」と言って足早に2人から離れて行く。
そんな彼女を見たレオが、呆気に取られた様子でグレイに聞いた。
「……グレイ、もしかしてベティーナが離れるようにわざと怒ったの?」
「はあ? なんのことだ?」
「あ。違うみたいだね」
まだイライラしているグレイを見て、先ほどの威圧も本物だったのだとレオは悟った。
「でもこんなに早く離れてくれて良かったよ。さすが、グレイの感じの悪さは最上級だね!」
「褒めてるつもりか?」
「褒めてるさ。だって、普通ならベティーナをこんなにあっさりと追い返したりなんかできないし」
とても褒められている気分にはなれないが、レオの輝いた瞳を見る限り、彼が本気で言っているのだというのは伝わってくる。
複雑な気持ちになりながらも、グレイはレオに問いかけた。
「あの女はなんなんだ? 何が言いたかったのか、さっぱりだ」
「彼女はグレイの婚約者になりたいんだよ。学園でもかなり人気があるし、落とす自信があったんだと思うよ」
その言葉を聞いたグレイが心底不快そうな顔をしたので、レオは思わず吹き出してしまいそうになった。
あのベティーナから好意を向けられて、ここまで嫌そうな顔をするのはグレイくらいのものだろう。
「なんとも面倒な女だな」
「まぁ彼女はしつこいし、多分これで諦めてはいないと思うけど……」
「学園で会ったら『お前と婚約する気などないから近寄るな』って伝えておけ」
「言えるわけないだろ!?」
真っ青になったレオを見て、グレイはチッと心の中で舌打ちをした。
自分が誰かの婚約者候補になっていることに嫌悪しながら、グレイはできるだけ女性の少ない場所に移動することにした。