61 イザベラへの罰とエドワード王子の失言
「あの人に何を……したの?」
マリアがそう問いかけると、執事は淡々とした様子で話し始めた。
「まず、床の冷たい牢の中に入れました。片足には鎖をつけております。そして、服も先程見たあの薄着1枚でございます」
マリアとエドワード王子は、あの地下牢に入った瞬間ヒヤリとする寒気を感じたこと、イザベラが薄汚れた白いワンピースを着ていたのを思い出す。
「最初はそれはそれは大変でした。汚い、寒い、痛い、と文句が止まりませんでした」
執事は罪悪感のかけらも感じていないような顔で言った。
マリアと王子の口元がひく……と引き攣ったのに気づきながらも、執事はそのまま話を続ける。
「そして、お食事は使用人達の残飯です。残らなかった日は無しになってしまいました。けれど、まぁ食事抜きも長くて3日くらいですよ。それ以上にはならないよう、他は1日1食は届けておりました」
「…………」
マリアの時と一緒だ。
マリアも、長くて3日くらいはご飯をもらえなかった。
自分の身に起きていたことを、なぜ知っているのかとマリアは不思議に思った。
けれど話の続きが聞きたかったので、黙ったまま執事を見る。
「それから、鞭で打ったり、マリア様が今はどれほど幸せに暮らしているかの話をするなど、肉体的・精神的の攻撃も少々させていただきました」
「…………」
やけに満足げに話す執事を見て、エドワード王子は絶対に自分達に話したこと以上の何かもしているはずだ──と確信していた。
しかし、それを隠す理由がマリアを気遣ってのことだとわかるため、王子は口を挟まずに黙ることにした。
「そうして己の行った行為を味わうたび、イザベラ婦人の様子はおかしくなっていきました。屈辱的な扱いに耐えきれなかったのでしょう……全く。マリア様は1年もの間、耐えてきたというのに」
最後は小さな声でボソッと呟くように言った。
執事の顔には精神不安定になったイザベラへの同情は微塵もなく、まだまだ怒りの感情を残している。
話を聞いているだけで、マリアの胸はイザベラへの同情でズキズキと痛んでいたが、執事は全く痛んでなどいないらしい。
「そして、あの状態になりました。今のイザベラ婦人は、マリア様のこともグレイ様のことも覚えておりません。どうやら、結婚した後の記憶がなくなってしまったみたいです」
「記憶が……ない?」
「はい。医者にも診てもらいましたが、治る可能性も低いそうです。記憶がなければ、反省させるための罰を与えても意味がありません。そのため、今は他の囚人同様、ただ檻に入れているだけです」
「…………」
じゃあ、今は叩かれたりご飯抜きにされてないってこと?
マリアは内心ホッとしていた。
自分がされていたこととはいえ、人にしてると聞かされても喜べない。
執事は、そんなマリアの内情に気づいているのか、先ほどまでの怒りの色を全て消した。
穏やかな表情でマリアを見つめる。
「……とはいえ、このままずっと彼女を王宮の牢に入れておくわけにはいきません。マリア様が望めば可能ではありますが」
私が望めば……?
「イザベラ婦人をどうしたいですか? マリア様」
マリアは瞳をパチパチと瞬かせると、向かい合わせに座っているエドワード王子に視線を向けた。
王子は、まるで『俺に聞かれても困る!』とでも言いたげに眉をくねらせると、黙ったままマリアを見つめ返す。
あの人をどうしたいか……?
「あの人は……お兄様のお母様だから……マリアじゃなくて、お兄様に聞きたい……」
「……マリア様自身は、どうしたいという希望はないのですか?」
「マリアは……」
その後は、言葉が続かなかった。
イザベラに虐待を受けていた頃は、彼女のことが怖かった。
けど、彼女に傷ついてほしいとか、死んでほしいだなんて考えたことはない。
一緒に暮らすのはまだ怖いが、先ほど見た彼女であれば問題はないように思える。
でも、グレイがイザベラ婦人と一緒に暮らすことを望むとは到底思えなかった。
マリアは、あの檻から出してあげたいって思うけど……お兄様は違うかも。
お兄様がイヤなことは、マリアはしたくない。
「マリアは、お兄様の決めた通りにする」
「それが、マリア様の希望ということでよろしいのですね?」
「うん!」
真っ直ぐに見つめながらそう答えると、執事はニコッと優しく微笑みながら「かしこまりました。陛下にはそうお伝えしておきます」と返事をした。
まるで、マリアがそう答えるとわかっていたかのような顔だった。
マリアと執事が満足そうに見つめ合っている横で、1人蚊帳の外になっていたエドワード王子が口を挟んでくる。
「なんだか……お前達の話を聞いてると、まるでマリアがあの女に鎖で繋がれて閉じ込められてた……って言ってるみたいに聞こえるんだけど」
「…………」
マリアと執事は、そうですが? という顔で王子を無言で見つめ返す。
2人のキョトンとした様子に、エドワード王子は眉と口元をひくひくと動かした。その顔には冷や汗が浮かんでいる。
「え……? いや、だって……じゃあまさか、残飯を出されたり、食事を3日与えられなかったことも?」
マリアはコクリと頷く。
「じゃ、じゃあ……鞭で打たれたりも……?」
マリアが首をフルフルと横に振ったので、王子はホッと胸を撫で下ろした。
しかし、続くマリアの言葉にまた顔を強ばらせる。
「鞭で打たれたことはないよ。いつも手で叩いてくるだけだったから。……あっ、あとは引っ掻かれたりとか……」
「…………」
エドワード王子が顔を青くして固まってしまう。
言わない方がよかったのかな? と、マリアはチラリと執事に視線を向けたが、執事は眉を少し下げつつも笑顔を作った。
「あの、エドワード様?」
「……なんで……」
「え?」
「なんでそれでいいんだよ」
エドワード王子が少し顔をうつむかせたと思ったら、なにやら普段より低く小さい声が聞こえてきた。
ボソボソと呟くように言っていたため、目の前に座るマリアにもよく聞き取れない。
「ごめんなさい。よく聞こえな……」
「なんでお前はそれでいいんだよ!!」
「!?」
突然顔をバッと上げるなり、王子は大きな声で叫んだ。
あまりの勢いに、マリアはビクッと身体を震わせる。
「お兄様の決めた通りにする、だって!? マリアはそんなに酷いことをされたっていうのに、仕返ししたくないのかよ!?」
「仕返し?」
「酷いことされたんだから、悔しいだろ!? やり返したいと思うだろ!?」
「でも、もう同じことをしたって……」
「それだけでいいのかよ!!」
気づけばエドワード王子は立ち上がっていて、身を乗り出すようにして熱弁している。
まるで自分が何か不快なことをされたみたいに、本気で怒っているみたいだ。
自分と同じように怒り出さないマリアを見て、王子は諦めたらしい。
急に執事をギロッと睨みつけると、歩き出すと同時に言った。
「あの女を処刑しよう。なんでまだ生かしてるんだ」
「ええっ!?」
黙ったままの執事と、焦り出すマリア。
「ダメだよっ! あの人は、お兄様のお母様なんだし!」
「そんなの関係な──」
そこまで言って、ハッとしたエドワード王子の言葉と足が止まる。
吊り上がっていた眉が戻り、その顔からは怒りの感情が抜けて呆然としているようだ。
「……お兄様のお母様? そういえば、さっきもそんなようなことを……。マリアとあの兄は、母親が違うのか?」
「? うん。お父様もちがうよ」
マリアのお父様は誰だか知らないけど……。
「はああ!? お前達は、母親も父親も違うのか!? それじゃ血が繋がった兄妹ではないじゃないか!!」
「う、うん? ちがつなが……?」
「だから兄と結婚するって言ってたのか! ……え!? 本当に兄と結婚するのか!?」
「??? 兄妹は結婚できないってエドワード様が……」
エドワード王子の話は、物凄いスピードで進んでいくようにマリアは感じていた。
お兄様とは母親が違うという話をしていたはずだったのに、なぜお兄様と結婚するのかと聞かれているのか。
兄とは結婚できないとキッパリ言ってきたのは、誰でもないエドワード王子本人だというのに。
意味がわからず戸惑うマリアと、意味がわかっているのに同じように戸惑っているエドワード王子。
気づけば、また眉が少し吊り上がっている。
「本当の兄妹なら結婚はできないけど、血が繋がっていないなら結婚はできるだろ!?」
興奮気味のエドワード王子は、さも当然のように声を張り上げる。
しかし、その当然の常識を知らないマリアにとっては、このエドワード王子の言葉は衝撃であった。
黄金の瞳をパチッと開いて、少しだけ身を乗り出す。
「本当の兄妹じゃないから、お兄様と結婚できる……?」
マリアの瞳が文字通りキラキラと輝き出したのを見て、王子はハッとした。
今、自分は何か余計なことを言ってしまったのではないか……と。
マリアとお兄様は結婚できるの……?
ここ最近の落ち込んでいた理由が、一気に解消してしまった。
まだ本当に結婚すると決まったわけではないのに、『できる』という事実だけでマリアは十分幸せな気持ちになれた。
反対に、エドワード王子の顔色が青くなっていることには気づいていない。
「マッ、マリア様! お、黄金の光が……!」
「えっ?」
執事の興奮した声にハッとすると、セレモニーの時と同じように黄金の光がマリアを包んでいた。
それに気づいた時にはもう、その光はパアッとマリアから離れて部屋中に飛び散る。
どこにそんなに隠し持っていたのか、執事は懐から取り出したいくつもの小瓶に光のカケラを一つずつ入れ始めた。
そのあまりの早技に驚きながらも、マリアもテーブルに置かれた小瓶に手を伸ばしその作業を手伝う。
ゆっくりと落ちてくる光のカケラを小瓶に入れていく作業は、想像以上に楽しかった。
「すみません、マリア様! 手伝わせてしまって」
「ううん。楽しい」
ニコニコと光のカケラを集めている2人を、エドワード王子が呆然としながら見つめていた。