57 聖女セレモニー
「聖女様。そろそろお時間ですので、ご移動をお願いいたします」
「はい」
部屋でゆっくりしていると、突然その時間が訪れた。
聖女セレモニーの始まりである。
不思議とマリアに不安や緊張はなかった。
どのようなものなのか、マリアの頭では到底想像できなかったからかもしれない。
昼間のセレモニーは、貴族ではない国民に聖女の姿をお披露目するのが目的だ。
平民と同じ目線で話したりするのではなく、城の高い位置から国民に手を振ったりなどの挨拶をするだけ……とマリアは聞かされていた。
長く煌びやかな廊下を進むと、その先にある大きな扉の前に陛下と王妃、それから2人の王子が立っているのが見える。
マリアを案内していた執事が、焦った様子で陛下に駆け寄った。
「陛下! まだあちらの控室におられるかと……」
「早く国民にマリア嬢を見せたいからな。待てずに来てしまった」
陛下は「はははっ」と明るく笑いながらそう答えた。
本当ならば、陛下達の待っている部屋へマリアが挨拶に伺う予定だったらしい。
それを待てずに陛下達が先に出てきてしまっていては、執事が慌てるのも無理はない。
陛下の視線がマリアに移った瞬間、マリアはドレスの裾を持ち、頭を軽く下げながらこの国特有の令嬢の礼をした。
「おお!! なんと可愛らしい聖女様だ! なぁ、これは国民も皆見惚れてしまうだろうな!」
マリアの姿を見た陛下が、隣にいる王妃に興奮した様子で声をかける。
突然の大声にマリアは驚いたが、王妃も同じくらい興奮しているのか目を輝かせながらマリアを見つめている。
「まぁ、本当に! なんて愛らしいのでしょう。こんなに美しい聖女様に、皆夢中になってしまいますわね」
王妃がニコニコと笑いながらそう言うと、王妃の後ろに立っているエドワード王子の顔がムッと怒ったように歪んだ。
その隣に立っている第1王子が、不機嫌になった弟を見てクスッと小さく吹き出す。
見た目だけはエドワード王子にそっくりだが、穏やかそうな雰囲気が全然似ていない。
まだ10歳の第1王子は、マリアと目が合うと柔らかく微笑んだ。
ニコッと微笑み返したマリアを見て、陛下が嬉しそうに話しかけてくる。
「もうとっくに王宮内の広場は人でいっぱいだ。皆、マリア嬢を見たくてたまらないのだ。少し早いが、始めようか」
「はい、陛下」
目の前にある大きな扉が開くと、マリアの視界に真っ先に入ってきたのは青く広がる空だった。
雲一つない澄んだ空のイメージとは裏腹に、何かが爆発したのかと思うほどのドッとした爆音が響き渡る。
それが人々の発した歓喜の声だとマリアが理解するのに、多少の時間がかかった。
マリアの位置からは、まだ下にいる国民の姿は見えない。
向こうからも見えていないはずだが、大きな扉が開いたことによる興奮の声だったらしい。
「聖女様ーー!!」
「聖女、マリア様ーー!!」
わああ……! というたくさんの声の渦の中で、自分の名前が呼ばれていることにマリアは気づいた。
地震が起きたような、ビリビリと建物が揺れているような感覚がする。
これほどの歓声が上がるなんて、一体どれくらいの人が集まっているのか。
マリアは今日初めて手が震えた。
マ、マリアの名前が呼ばれてる……!
ポカンと立ち尽くすマリアはそのままに、まずは陛下と王妃だけが前に進み、国民に顔を出した。
国王の顔すらなかなか見る機会のない平民達は、皆目を輝かせながらこの国の王と王妃に羨望の眼差しを向けている。
続いて王子2人が王と王妃の隣に立ち、国民に顔を出す。
キャアキャアと、先程よりも若い女性の歓声が響いた。
執事と共にまだ扉の横で待っているマリアに、陛下がチラッと視線を送ってきた。
こちらへ来いというアイコンタクトだ。
よし……! 失敗しないようにしなきゃ……!
マリアは小さく拳を握ると、陛下の隣を目指して一歩一歩進んでいく。
王子2人が少し横にズレて、マリアが立つべき場所を開けてくれている。
王子が立っている時には気づいてなかったが、その場所には背の低いマリアでも顔を出せるように台が置いてあった。
サッと差し出してくれた第1王子の手を支えに、マリアはその台の上に乗った。
手すり壁が邪魔で見えなかった下の景色が、マリアの目に飛び込んでくる。
「わ……あ……」
マリアは思わずポソッと呟いた。
広く丸い広場には、下にある草の色が見えないほど人で埋まっている。
みんなが上を見上げてマリアを見つめているのがわかる。
その圧倒的な光景に目を奪われていて、今日1番の歓声が湧き起こっていることには気づいていなかった。
先ほどから止まない大きな歓声に、耳が慣れてしまっていたのかもしれない。
「聖女様だーー!!」
「なんて美しい!!」
「国の宝! 女神様! 聖女様!」
大興奮の国民を見て、陛下が楽しそうに声をかけてくる。
「想像以上の盛り上がりだな! はははっ! マリア嬢、皆に手でも振ってあげなさい」
「……はい、陛下」
少し恥ずかしい気持ちもある中、マリアは小さく手を振った。
さらに興奮した国民達は、みんな嬉しそうに手を振りかえしてくれる。
小さな子ども達がぴょんぴょん飛び跳ねているのが見えた。
マリアの心に、温かい何かが流れ込んでくるような、不思議な感覚に襲われる。
その時、マリアの黄金の瞳がキラキラと輝いた。
瞳だけではなく、マリアの身体全体を黄金の光が包むように輝き出したことに周りが気づいた時には、その光がパアッと散らばった。
雪のように、キラキラと輝く光のカケラが空に舞い、ゆっくりと落ちていく。
下にいる国民は、皆その光のカケラを受け取ろうと手を丸めたり、ハンカチを広げたりしている。
「なんて美しい……!」
「綺麗……!」
そんな恍惚した声が聞こえてくる。
陛下や王子達、そしてマリアが上からその光のカケラの行方を見守っていると、国民の体に触れた光のカケラはポツポツと所々で輝き出す。
マリアが治癒の力を使っている時と同じ輝きだ。
──光っている範囲は小さいけれど。
「マリア嬢、あの光はもしかして……」
そう陛下が言いかけた時、下からまたわぁっと歓声が上がった。
今度は子どもではなく、大人──いや。老人や、包帯を巻いているような怪我人がぴょんぴょんと飛び跳ねているのが見える。
その様子を見た陛下が、ニヤッと笑いながら小さく言葉を続けた。
「……聖女の力を降らせたのかな?」
「そう……みたいです」
そんな意思のなかったマリアは、遠慮がちに答えた。
自分の意思とは関係なく、しかも離れた場所にいる人たちに治癒の力を届けることができるなんて、マリア自身も知らなかった。