55 甘さの足りない言葉
聖女セレモニー。
数百年ぶりの聖女誕生をお祝いし、国民や他国の貴賓を招待して昼夜でパーティーを行う。
昼は国民へのお披露目が目的で、王宮の中庭を解放し城の上部から国王、王妃、王子達と共に聖女が祝言を述べる。
聖女は参加はしないが、街ではお祝いのパレードやフェスティバルが夜遅くまで行われる。
夜は貴族と他国の貴賓しか参加できない王宮のパーティーで、再度聖女が祝言を述べることになっている。
その後ダンスが始まる……という流れだけ、グレイは報告を受けていた。
「王宮側も、今回初めての聖女セレモニーでバタバタしているだろう。予定通りにはいかないかもしれないし、昼夜の長時間でかなり体力も消耗されると思う。……大丈夫か?」
屋敷の中を手をつないで歩きながら、グレイはマリアに声をかけた。
マリアは黄金色の瞳をキラキラ輝かせてニコッと微笑む。
セレモニーに向けて練習していた『自然な笑顔』が上手にできている。
「うん。マリアは疲れてもすぐに回復するから大丈夫だよ」
その答えを聞いて、グレイは確かに……と納得をした。
マリアが聖女であることはわかっているが、つい治癒の力の存在を忘れてしまう時がある。
なぜグレイがマリアのことを心配しているのかというと、聖女セレモニーの間グレイはマリアの近くにはいられないからだ。
家族とはいえ、本日の主役は聖女であるマリアのみ。
まだ13歳の少年伯爵が一緒に王族と並んで過ごすわけにはいかないのだ。
マリア1人を王宮に送り出し、グレイやレオは夜に行われるパーティーに参加する予定であった。
「うわっ……! 俺が来た時よりも警備隊増えてない?」
外に出るなり、レオが驚いたような声を出す。
王宮から迎えに来た馬車の周りだけでなく、敷地内全体に街の警備隊や王宮の騎士団が配置されている。
今日初めて外を見たマリアは、目を丸くしてその光景に圧倒されていた。
「この人達、もしかしてみんなマリアを迎えに来てくれた人達なの……?」
「そうだ。……それにしても多すぎだと思うけどな」
「本日は色々な国の方がいらっしゃっております。万が一を考え、これくらいの警備は妥当でございましょう」
「わあっ!! ビックリしたーー! ガイル、いつからそこにいたの!?」
突如3人の後ろから会話に混ざってきたガイルに驚いて、レオが飛び跳ねていた。
ガイルは優しい瞳でマリアをジッと見つめると、にっこり笑ってマリアの視線の位置に合わせるように腰を曲げた。
「マリア様、とってもお綺麗ですね」
「ありがとう。ガイル」
「グレイ様には可愛いと言われましたか?」
「えっ……?」
マリアの顔がかぁ……っと赤くなった。
いつも無表情のガイルは、ニコニコと不自然なくらいの笑顔になっている。すかさずにグレイが口を挟んだ。
「何言ってるんだ、ガイル」
「あの、お兄様には、似合ってるって言ってもらったよ」
「左様でございますか。似合ってる……と」
ガイルは不自然な笑顔を崩すことなく、今度はグレイのほうに顔を向けた。
いつもとは違う気味の悪いガイルに、グレイは顔をひきつらせる。
レオは何かを察したのか、ワクワクした表情で黙ってその様子を見守っている。
「グレイ様。確か数ページであろうとも、あの小説をお読みになりましたよね?」
「え? あ、ああ。それがどうかしたか」
なぜ全部読んでいないことを知っているんだ、と口から出そうになったのを止める。
ガイルに全て把握されていることに、グレイは慣れてきていた。
「それならば、ドレスアップした女性にかける言葉を学んだはずでは?」
グレイは自分の耳を疑った。
信じられないものを見るような目で、ガイルを凝視する。
今、なんて言った? 学ぶ? ……あの本から?
「何を言っているんだ。あの本から学べることなど何もない。気味の悪い男が、ただ気持ちの悪い言葉で女を褒めてばかりの……」
「それです!」
「……は?」
ガイルの不自然な笑顔が消えて、急にカッと目を見開いた。その迫力にまた気圧されそうになる。
それです? な、何がだ?
まさか、あの男が言っていたようなセリフを言えとでもいうのか? 俺に?
『君はこの世界で一番綺麗だよ』
『その美しい瞳を見ているだけで、僕の胸はうるさいくらいに騒ぎ出すんだ』
『とっても可愛い君を今すぐに食べてしまいた……』
ゾワッ
記憶力の良いグレイの頭に小説のセリフが思い出され、背筋がヒヤリとして鳥肌が立った。
もうこれ以上思い出さないように、無理やり思考を止める。
楽しそうにニヤニヤしているレオの顔が、さらにグレイを苛立たせる。
状況がよくわかっていないマリアは、困った顔でグレイとガイルの顔を交互に見ていた。
「ふざけ……」
「本気でございます、グレイ様。グレイ様にはうすら寒いセリフであったとしても、あのセリフに胸を高鳴らせる女性は多いのでございます」
「!?」
ガイルの言葉にグレイは混乱した。
どうしても理解できないことだったからである。
あれで女が喜ぶ?
まさか……。そして、それを今マリアに言えと?
グレイはまだ手をつないだままでいたマリアをチラリと見た。
マリアも不思議そうな顔でグレイを見つめ返してくる。
本当にあのようなセリフでマリアが喜ぶのか。
2週間前はなぜかマリアを傷つけてしまった。
もし本当にそれで喜ぶのなら……。
「あーー……マリア」
「はい」
「グレイ様。まさかとは思いますが、同じセリフではいけませんよ。そこはきちんとご自分の言葉で」
「…………」
「……?」
気恥ずかしそうな顔でガイルをジロッと睨みつけたが、心を決めたのかグレイは「ふぅ……」と軽く一息つくと、膝を折ってマリアの目線に合わせるようにその場にしゃがみ込んだ。
顔が近くなったことで、マリアの頬が赤く染まる。
グレイは碧い瞳でマリアをジッと見つめ、握っていた手に少しだけ力を込めた。
「マリア。俺は今まで女に対してこんなこと思ったことはないが、お前だけは可愛いと思ってる」
「……! かわいい……?」
「ああ」
レオとガイルが微妙そうな顔をしている。
腕を組んで渋い顔をしているレオと、目をつぶって少しだけ頭を傾げているガイル。
グレイのセリフにどこか満足していない顔だ。
しかし、マリアはとても嬉しそうな笑顔で黄金色の瞳をキラキラと輝かせる。
あまりの輝きに、瞬きをすればその光のカケラが落ちてくるのではないかと思うほどだ。
「ありがとう、お兄様。……えへへ」
「嬉しいのか?」
「うん」
グレイはホッとするとゆっくり立ち上がり、マリアの手を引いて歩き出した。
騎士達に囲まれた馬車まで一緒に歩いていく。
馬車のすぐ横には、イザベラを連行していった王宮騎士団の団長と呼ばれていた男が立っていた。
マリアの姿が見えるなり、頭を下げて礼をしている。
「聖女様、お迎えにあがりました。どうぞこちらへ」
「あ、ありがとうございます」
馬車に乗り込む直前、マリアは少し不安そうな顔でグレイ達をチラリと見た。
グレイは真顔のままコクンと頷き、レオは口をパクパクさせて『が・ん・ば・れ!」と応援し、ガイルは丁寧にお辞儀をした。
無言の挨拶だったが、マリアはそれだけでも安心したように微笑む。
「……行ってきます」
マリアはそう言うなり、団長に手を引かれて馬車へ乗り込んだ。
周りは騎馬隊が囲んでいる。かなりの厳重な警護であるが、そのおかげでグレイは安心してマリアを送り出すことができた。
馬車が見えなくなり、家の周りを警備していた騎士達もいなくなった後、レオがため息まじりにグレイの肩を掴んできた。
「グレイさぁ〜、なんなのあの言い方は……」
「あ? なんの話だ?」
「さっきのマリアへの言葉だよ! あんな無愛想な顔で淡々と言ったら、ムードもトキメキもないじゃないか」
「そんなもの必要ないだろ。マリアは喜んでいたし、何がいけないんだ?」
「いや。いけなくはない……いけなくはないんだけどさぁ〜、もっとこう……! 甘さが足りないよ!」
グレイは極力表情から『バカ』と思ってるのが伝わるように、心底軽蔑したような顔をした。
レオが「なんだよ、その顔は〜!」とプンプン怒っている。
甘さってなんだ……!?
コイツは一体何を考えて何を求めているんだ!?
ずっと黙っているガイルを横目で見ると、なぜかレオの意見に賛同しているかのように頷いている。
「お前もレオと同じ考えか?」
「そうですね。少々甘さが足りなかったかと」
「甘さってなんだよ!?」
グレイが怒鳴ると、どこに隠し持っていたのかスッと脇から何かを取り出してきた。この前とは違う恋愛小説である。
またか!?
ガイルは前回と同じくその小説をグレイに差し出し、無理矢理その手に持たせてきた。
そしてなんの説明もないままグレイとレオに向かって声をかける。
「出発まで一休みされますか? すぐにお茶の用意をいたしましょう」
「おっ! ありがとうガイル!」
ニヤニヤと2人のやりとりを見ていたレオは、即座にその提案にのりガイルのあとについて歩いていく。
グレイは手に持っている本『愛の重い公爵様に執着されています』のタイトルを確認して、げんなりとした様子でノロノロと歩き出した。