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53 月のない夜③


「お兄様は……いつか誰かと結婚するの?」



 マリアは上目遣いでジッとグレイを見つめた。

 最近はずっと避けられていたため、こんなに真っ直ぐにマリアの瞳を見たのは久しぶりであった。


 マリアからの意外な質問に、グレイは眉をひそませる。

 即答できずにいるのは、マリアに問われるまで自分の結婚について考えたことがなかったからだ。




 結婚? 俺が?




 小さい頃に家庭崩壊を目の当たりにしたグレイは、『結婚』になんの魅力も感じない。


 本音を言えば「しない!」と即答したいくらいに興味のない話だったが、マリアの表情がやけに真剣だったのでグレイは真面目に考えてみることにした。




 俺が誰かと結婚をするのか……? 




 どんなに想像してみようとしても、顔なしの女性の姿がボヤ〜と頭に浮かぶだけでうまく想像できない。

 学園のクラスメイトに女性は何人かいたが、誰1人として顔を思い出すことすらできずにいる。


 グレイは手を口元に当てて、ボソッと答えた。



「んーー……まだ想像もつかないが、まぁいつかはするんじゃないか? 貴族だからな」



 そう正直に言うと、マリアの眉間にシワが寄った。

 無表情のマリアから出た『負』のオーラに、グレイは一瞬ビクッと驚く。



「マ、マリア?」


「そのお相手はもう決まってるの?」



 自分の不満顔に気づいていないのか、マリアは質問を続けてくる。


 グレイはなぜこんな質問をされるのかわからなかったが、マリアの表情を見て早めに終わらせようと次はすぐに答えた。



「いや。どうせそのうち話を持ってくるヤツがいるだろうから、その中から決めると思う」



 マリアの眉間のシワがさらに深くなり、不満さが倍増したのがわかった。

 口をムッと尖らせて、大きな瞳でグレイをじーーっと見つめてくる。


 普段は他人の不満そうな顔を見るとイラッとするグレイだが、マリアの不満顔は不思議ととても愛らしく感じていた。

 本人はそんな表情になっているとは気づいてなさそうなところが余計に可愛い。


 怒っているのかと思えば、マリアは急にグレイから目をそらして元気のない小さな声でつぶやいた。

 


「……そっか」



 シワが寄っていた眉間は元に戻り、今は眉が下がっている。視線は下を向いていて、もうグレイに向けられてはいない。


 出会った頃の表情のないマリアを思い出して、こんなに表情がコロコロ変わるようになったのか……とグレイは感心していた。

 そしてすぐにマリアが落ち込んでいることに気づいて、ハッとある言葉を思い出す。



『どうかマリア様を傷つけないようにお願いしますね』



 突然ガイルが頭の中に現れて、「だから言ったのに」とグレイを責めてきた。

 その手には例の恋愛小説がしっかりと握られている。


 


 ちょっと待て!!

 これは俺がマリアを傷つけたことになるのか!?

 そもそも、なぜマリアはこんなに落ち込んでいるんだ? 

 今の会話に何か傷つけるようなことがあったか?




 焦ったグレイは先ほどの会話を思い返してみる。

 いつかは結婚をする、そんな話しかしていないはずなのに、なぜマリアは落ち込むのか。




 ……あっ!

 もしかして、エドワード王子が言った『俺が結婚したらマリアは邪魔になる』という言葉を気にしているのか!?




 そうに違いない! と言わんばかりの自信顔で、グレイはマリアの頭をポンポンと優しく撫でた。

 サラサラのプラチナブロンドの髪が、暗い部屋の中でキラッと輝く。



「もし俺が結婚をしても、お前を邪魔に扱ったりなんかしないから安心しろ」


「……うん」



 グレイは自分なりに笑顔を作り優しく言ったつもりであった。


 しかし、安心させるために言ったはずの言葉を聞いてマリアの表情はさらに暗くなる。

 返事もギリギリ聞こえるくらいの小さな声であった。




 な、なんでさらに落ち込むんだ?




 マリアがなぜこんな反応をするのか、グレイには理解できなかった。


 これがガイルの言っていた『女心』というものなのか。

 それが理解できないということは、ガイルの言った通り自分には勉強が必要なのかと、真剣に考え込む。



『グレイ様はもう少し、女性のお気持ち……いえ、恋心というものを勉強されたほうがよろしいですな』



 その言葉を思い出した時、グレイはチッと心の中で舌打ちをした。




 よく考えてみれば、『女性の気持ち』はともかくなんでここで『恋心』の話になるんだ? 

 マリアと俺は兄妹なんだから恋心は関係ないだろ!!




 初恋すらまだのグレイには、女性の気持ち以上に恋心が理解できない。

 理解したいとも思ったことがない。


 だが今はとにかくマリアを元気にさせなくては……そうグレイが思考をめぐらせた時、部屋の扉をノックされた。


 コンコンコン



「グレイ様。マリア様。ガイルでございます」


「……入れ」



 マリアの部屋だったが、当然のようにグレイが返事をした。

 助かった、と思わずホッとしてしまったことが少し悔しい。



「失礼いたします。グレイ様、マリア様は明日も朝早くからレッスンがありますので、そろそろ……」


「そうか、わかった」



 ガイルは部屋には入らず、入口に立ったまま退室を促してきた。

 チラリとマリアの様子を確認したのがわかったが、特に何か声をかけることはしない。


 今の理解不能な状況から解放されて安心はしたが、この落ち込んだマリアをそのままにしていいのかという疑問も残る。




 最後に何かマリアを喜ばせる、安心させる言葉を言わなくては……。

 だけど何を言えばいい?

 もう一度、自分が結婚してもマリアのことを邪魔に思わない、と伝えるべきだろうか。




 グレイは椅子から立ち上がると、隣でうつむいたままのマリアを横目に見た。



「では俺はもう戻る。マリア……その、もう一度言っておくが、たとえ俺がけっこ……」


「グレイ様!」



 グレイが話している途中だというのに、ガイルに名前を呼ばれて言葉が途切れた。

 主人の会話を遮るなど、普通ならばありえないことである。


 ムッと頭にきながらも、グレイはそんな不自然な行動をしたガイルを責める気持ちはなかった。




 ……あいつが止めたということは、これはきっと言わないほうがいいってことなんだな?




 ただ名前を呼ばれただけだというのに、その意図をグレイはしっかりと理解していた。

 そうでなければ、あの無表情執事がこんなことをするはずがない。


 話を途中で止めたままのグレイを、マリアは少し不思議そうな顔で見上げる。



「……いや、なんでもない。また明日」


「……うん。おやすみなさい、お兄様」


「おやすみ」



 グレイはマリアの頭を軽く撫でたあと、振り返ることなく部屋から出ていった。


 バタンと静かに扉を閉めると、すでに廊下に出ていたガイルと目が合う。

 ガイルは呆れているような残念そうな目でグレイを見つめている。



「……なんだ?」



 自室に向かって歩き出しながら、グレイは睨みつけるようにして問いかけた。

 


「邪魔をしてしまい、申し訳ございませんでした。あのままですとマリア様がさらに傷ついてしまうと判断し、間に入らせていただきました」


「部屋の外にいたのに、なんでマリアが傷ついたとわかったんだ?」


「聞こえておりましたから」



 グレイの足がピタリと止まる。

 斜め後ろからついて来ていたガイルも、同時に足を止めた。



「……中の様子を予想したということか?」


「いえ。聞いておりました」



 自分の聞き間違いかと思い、念のため確認したグレイの問いかけに、ガイルがあっさりと答える。

 悪びれた様子のないその堂々とした態度に、グレイは一瞬理解が追いつかなかった。



「聞いていた? 部屋の外で、俺とマリアの会話をか?」


「はい」


「廊下にいたら通常の声でも聞こえない上に、俺とマリアの声は小さかった。それでもお前には聞こえていたと?」


「はい」


「…………」



 何をふざけたことを言っているんだ、という冷めた目でガイルを見るが、彼の瞳は揺れることなくまっすぐにグレイを見つめている。




 なんなんだ、コイツは……。




 にわかには信じられないが、これまでの彼の行動を思い出す限り完全に否定はできない。

 この男ならありえると思ってしまう。



「盗み聞きをしていたということか?」


「申し訳ございません。問題なさそうであればすぐに撤退するつもりだったのですが、問題だらけでしたので」


「なっ……!?」



 しれっとした態度で不躾なことを言い放ってくる。

 グレイは怒りたい気持ちを我慢して、それ以上に気になるその理由を聞いてみることにした。



「マリアとの会話のどこに問題があったというんだ? 俺はマリアを安心させる言葉しか言っていないぞ」



 そう突っかかると、ガイルは眉を下げてひどく残念なものを見る目になった。

 なんとも頭にくる顔である。



「なんだ、その顔は? さっきの会話のどこがダメだったのか、説明できないのか?」


「それは、グレイ様が『結婚する』と言った部分でございます」


「は? なんでそれがダメなんだ?」


「マリア様はとても寂しがっておりました」


「だから、『結婚しても邪魔にしない』とちゃんと言っていただろ!? そこを聞いてなかったのか!?」



 カッとなったグレイを見て、ガイルは無言になった。

 かまわず睨みつけていると、グレイからは死角になっていたガイルの脇からスッとある物が出てきた。



「!?」



 それは執務室に放置されていた恋愛小説である。

 タイトルの『初恋が芽生えた皇太子は幼馴染の令嬢を溺愛する』という文字を見て、グレイはゾッと背筋が凍ったような気がした。


 ガイルは無言のままその小説をグレイに押し付けてくる。



「な、なんだ。俺は読まないぞ、こんな本」



 拒否しているというのに全く退かないガイルの無言の圧に、とうとうグレイが折れた。


 諦めたように本を受け取ると、ガイルは満足した顔で「それでは失礼いたします」と言ってスタスタ歩いていってしまった。



「なんなんだ……」



 1人残されたグレイは、恋愛小説を持ったまま呆然とその場に立ち尽くしていた。


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