52 月のない夜②
月のない夜。聖女の力が使えず、黄金色の瞳が輝きをなくす日。
マリアの身体に特に不調などはないが、なぜかこの日は毎回気持ちが暗くなる。
マリアにとって、小さい頃からあまりいい思い出のない日だからだろうか。
前回の月のない夜に、グレイがあの檻から屋敷からイザベラからマリアを解放した。
マリアにとって、初めて幸せを感じることのできた日であった。
あれから1ヶ月。
マリアはボーーッと窓から見える月のない夜空を眺めていた。
部屋の大きな窓のすぐ近くに椅子を置いて、そこに三角座りの姿勢で座っている。
檻に監禁されていた時も、いつもこうして眼帯を透かして夜空を見上げていた。
最近、マリアは自分の中の不思議な感情に振り回されている。
グレイに会うと、嬉しい気持ちと幸せな気持ちが溢れてきて……そしてなぜか切なくなる。
切ない……という感情がよくわからないマリアは、泣きたくなるような寂しいような悲しいような、そんな不思議な気持ちに戸惑っていた。
なんでお兄様を見ると悲しくなるんだろう……。
前は顔を少し見れるだけでも嬉しかったのに。
自分の感情がよくわからないマリアだったが、なんとなくその理由が何についてかは気づいている。
ずっと頭から離れない、あの言葉。
『お前の兄が結婚したらーー』
エドワード王子が言った言葉が頭の中に浮かんできては、マリアの胸をチクチクと刺していく。
この痛みだけは、治癒の力が使える日にも治ってくれない。
なんでこんなにイヤな気持ちになるのかな?
お兄様が誰かと……女の人と一緒にいるところを考えるだけで、泣きそうになる……。
エドワード王子に言われたように、邪魔者になるのが怖いのか。
グレイと一緒に暮らせなくなるかもしれないのが怖いのか。
なぜ自分がこんなにも不安になるのか、マリアにはわからなかった。
ガイルやエミリーに聞いても教えてくれない。
2人に相談してからは、なぜかグレイとの食事の時間がバラバラになってしまった。
しかし、顔を合わせなくていいことにマリアは少し安心していた。
最近ではグレイの顔を見るとやけに緊張して変な顔になってしまう。
それをマリアは自覚していた。
コンコンコン
そんなことを考えていると、突然部屋がノックされた。
今日は朝からたくさんのレッスンが入っていたため、早めに休むようにとエミリーに言われている。
なのでエミリーや他のメイドではないだろう。
一体誰だろうとマリアが思った時、扉の向こうから声がした。
「マリア、俺だ。入ってもいいか?」
グレイの声に、マリアは心臓が大きくドキッと動いたのがわかった。なぜか身体が緊張している。
「は、はい……」
椅子から立ち上がり少し震えた声で答えると、扉がカチャ……とゆっくり開きグレイが顔を出した。
部屋が暗いことに驚いたのか一瞬立ち止まったが、窓際に座っていたマリアに気づくと静かに近づいてくる。
久しぶりに会うグレイに、マリアの心臓はドキドキと早鐘を打っていた。
嬉しいのに気まずい。
不思議な感覚がマリアの緊張をさらに強めていた。
「……部屋が暗いが、教養の勉強中じゃなかったのか?」
「え? 今日はもうおしまいだってエミリーが……」
「……そうか。……あの能面執事が」
「のうめ……?」
「いや。なんでもない」
グレイは執務室の方角に向かって睨みをきかせながら小声でつぶやいたあと、マリアの後ろにある大きな窓に目をやった。
マリアもつられて窓に視線を向ける。
「夜空を見ていたのか?」
「うん。月はないけど、星はたくさんあって綺麗なの」
「そうか」
「明かりつける?」
「いや、このままでいい」
グレイは部屋の真ん中に置いてある椅子を持ち上げ、窓の近くにあったマリアの椅子の隣に置いた。
そしてその椅子に腰をかけると、マリアも座るようにと手で合図をする。
マリアがどこか恥ずかしそうにちょこんと隣の椅子に座るのを、グレイはジッと見つめていた。
「ずっと忙しかったから、ちゃんと話すのは久しぶりだな。レッスンは大変ではないか?」
「うん。みんな優しいし、楽しいよ」
「そうか……」
気まずい気持ちをなんとか抑えて、マリアはがんばって笑顔を作る。
しかし、その笑顔が不自然であることにグレイは気づいていた。
「マリア。その……兄と結婚できないという話を、エドワード殿下にされたらしいな」
突然の話題に、ニコニコしていたマリアの表情が一気に真顔に変わる。
硬直したかのように固まっている。
「マリアは俺と結婚したいと思ってくれたのか?」
なぜグレイがこんな質問をしてくるのか、マリアにはわからなかった。
もう数日も前の話だというのに。
グレイの真意はわからないが、マリアは正直に答えることにした。
「……うん。『結婚』したらずっと一緒に暮らしていけるって言ってたから」
その言葉を聞いて、グレイはそういうことかと納得したようにうんうんと頷いている。
「そうか。でも安心しろ。結婚なんかしなくても、俺とマリアはずっと一緒に暮らしていける」
優しく安心できる言葉をかけてもらったというのに、マリアの心は素直に喜べていなかった。
それよりももっと気になることがあったからである。
マリアは無意識のうちに、それを言葉に出した。
「……お兄様が結婚しても?」
「え?」
ポソッとつぶやいたマリアの声は本当に小さく、グレイの耳には届かなかった。
「今、なんて言ったんだ?」
グレイが聞き返すと、マリアは一瞬迷ったように視線を泳がせたが、グッと拳に力を入れると真っ直ぐにグレイの目を見てきた。
マリアの不安な気持ちが黄金色の瞳に漏れている。
「お兄様は……いつか誰かと結婚するの?」