50 恋心がわからない13歳のグレイ
「マリアが、俺と自分は結婚できないのかと聞いてきた?」
執務室の机に伏していた顔を上げて、グレイは眉をひそめながらガイルに聞き返した。
ガイルはいつものように腕を背中に回し、机の前で姿勢良く立っている。
ニコニコしているでもなく、いたって真剣な顔をしているが目がキラリと怪しく光っている。
俺がどんな回答をするのかおもしろがっているな……とグレイは察したが、そこは追及しないことにした。
「……なんでそんな話になったんだ?」
「エドワード殿下がまた『婚約』の話を持ち出したのです。マリア様は再度お断りされたのですが、エドワード殿下に『グレイ様が婚約者と結婚をしたらマリア様は邪魔になる。だからマリア様も誰かと婚約を』と言われ……」
「待て! 俺に婚約者はいないぞ」
「はい。そちらは私がお伝えしておきました」
グレイはホッと一安心した。
存在しない婚約者のせいでマリアが邪魔者扱いされるなんて、気分が悪かった。
「それで?」
「グレイ様が誰かと結婚をするというのなら、ご自分が結婚したいとマリア様はおっしゃいました。しかし兄妹は結婚できないとエドワード殿下に言われ、マリア様は大変傷ついて……」
「待て! 俺とマリアは血が繋がっていない兄妹だぞ?」
グレイはまたしてもガイルの話を途中で止めた。
ガイルは気分を害した様子もなく、つぶらな瞳で真っ直ぐにグレイを見つめる。
「はい。ですが、マリア様は血の繋がりがなければ結婚できるということをご存知ないですし、エドワード殿下もお2人は本当の兄妹だと思っております」
「なんでその場で訂正しなかったんだ?」
深くは考えていないであろうグレイのその質問に、ガイルはふぅ、と目を瞑り小さく息を吐いた。
大人っぽくしっかりしているとはいえ、人とあまり関わってこなかった13歳のグレイ。
家庭崩壊してからは、心を持っていない人形のようだったグレイ。
そのグレイに、人の心の深い部分まで見るように……というのは難しいことなのかもしれない。
ガイルは優しく丁寧に説明を始めた。
「マリア様にそれをお伝えになれば、きっと安心して喜ばれることでしょう」
「なら早く伝えてこい」
「では、グレイ様は本当にマリア様と結婚をする気持ちがありますか?」
「は?」
ガイルの顔は無表情のままで何も変わっていない。
でもどこかギラリとした威圧感を感じて、グレイは内心少したじろいだ。
なんだ? 結婚? 俺とマリアが?
グレイは訳のわからないことを言われて怒っているような、戸惑っているような、変な顔になっている。
何を言っているんだとガイルに言い返したいところだが、真剣な表情を見る限り冗談ではないらしい。
「……なんで俺とマリアが結婚するんだ。本当の兄妹ではないが、俺はマリアを妹として見ているんだぞ」
「でしたら、結婚できると伝えるべきではないかと」
「なぜだ?」
「グレイ様に結婚するお気持ちがないのであれば、結局は結婚できないのですから」
グレイは一瞬意味がわからなかった。
授業中でさえしたことのないような理解できない顔でガイルを見るが、詳しく教えてくれる気配はない。
本当の兄妹ではないから結婚はできるが、俺に結婚する意思がなければ結婚はできない……?
ガイルの言っていたことを頭の中で考えてみる。
グレイと結婚ができないと思って傷ついているマリアに、本当は結婚できると伝えれば喜ばせることができる。
しかし、グレイに結婚するつもりがないのであれば結局結婚はしないのだから、伝えても意味がない。
……そういうことか?
アゴに手を当てて考え込んでいたグレイは、チラリとガイルに視線を戻す。
ガイルは無表情のまま静かにグレイの様子をうかがっていた。
「血が繋がっていようがいまいが、どちらにしろ結婚はしないのだから『結婚できる』と伝える必要はない……ということか?」
「左様でございます」
「だが今マリアが傷ついているなら……」
「今のマリア様のことだけを考えるのであれば、お伝えしたほうが良いでしょう。小さな傷はすぐに消えます。ですが、その希望を与えてしまったことで、将来もっと大きな傷になってしまうかもしれませんよ」
「もっと大きな傷?」
グレイにとって、ガイルの言っていることがこんなにも理解できなかったのはこの日が初めてであった。
なぜ自分と結婚できることがマリアの希望になるのか。
なぜその希望のせいで未来のマリアが傷つくことになるのか。
なぜそれが今よりも大きな傷となるのか。
グレイにとってはわからないことだらけである。
そして、グレイが全く理解していないことをわかっていながら、なぜか教えようとしないガイル。
一体何を考えているのか、何が言いたいのか、その無表情からは読み取ることができない。
「ガイル。言いたいことがあるならハッキリ言え」
「いいえ、私の口からは申し上げられません」
「は? ……どういうことだ?」
頭に ??? マークが浮かんでいるグレイの顔を見て、ガイルが初めて無表情を崩した。
とても残念なものを見るかのような憐れみの目でグレイを見つめてくる。
グレイは思わず自分がバカな人間にでもなった気がした。
これ以上ガイルに質問することに躊躇してしまう。
「な、なんだ、その目は」
「グレイ様はもう少し、女性のお気持ち……いえ、恋心というものを勉強されたほうがよろしいですな」
「…………」
60歳を過ぎた白髪の無表情執事から『恋心』という単語が出てきたことに、グレイの顔は引きつっている。
さらにはその勉強を勧められている。
グレイよりもガイルのほうが優っていると言われているようなものだ。
俺がこの老人よりも女心や恋心がわかっていないと言うのか?
……確かにそんなことを考えたことはないが、認めたくはない。
「……と、とりあえず、この件は保留でいい」
「そうですね。グレイ様がお勉強されてからまた考えるといたしましょう」
「お勉強って言うな」
グレイは言葉にならないモヤモヤを抱えながらこの話を終わらせることにした。