38 マリアとエドワード王子
国王から突然出た『婚約者』という言葉にグレイの表情が一変した。
あまりグレイを知らない人から見たら、特に変化はないように思えるかもしれない。
無表情には変わりないからである。
しかしその表情はグレイがとても怒っている時のものだとマリアはわかっていた。
お……お兄様、怒ってる?
王様と王妃様はあんなに笑顔なのに……。
どうしたんだろう?
マリアは不思議に思っていたが、この場で直接聞くことはできない。
黙ってしまったグレイを、国王は楽しそうな顔で眺めている。
「……マリアはまだ7歳なので婚約者を決める予定はございません。それに本人の意思が1番重要ですので、聖女であるマリアを無視して勝手に決めることは致しません」
グレイが少し怒りを込めたような口調でそう答えると、国王はニヤッと笑った。
グレイが了承しないと最初からわかっていたようである。
王子の婚約者に考えているという言葉は『王宮はまだ聖女を手に入れるのを諦めていない』と言っているようなものであった。
聖女の本来の役割を熱弁されたり、イザベラの件で遠回しに脅してくると予想していたグレイは、聖女と王子を結婚させるという国王の作戦に意表をつかれた。
まさかそんな手を使って聖女を手に入れようとするとは考えていなかったのである。
グレイの返事を聞いた国王は、少し考える素振りをした後に明るく言った。
「それもそうだな。マリア嬢本人の了承は必要だ。では婚約者候補としておこう」
「……候補もまだ必要ありません」
「まぁそう言うな。試しに2人で話してみるといい」
「え?」
「これから私はヴィリアー伯爵とイザベラ婦人に関しての話し合いがある。その間、マリア嬢とエドワードは2人で庭でも散歩してきなさい」
「!?」
グレイが反応するより早いか、すでに王宮の執事が「聖女様こちらです」とマリアの手を引いて扉に向かわせている。
エドワード王子は戸惑いながらも国王と王妃に急かされて移動させられていた。
執事に手を引かれたマリアは、心配そうな顔でグレイを振り返った。
マリアと目が合ったグレイは、険しい顔をしている。
いつものように『大丈夫だ』という合図の頷きもないし、優しく見守っているような表情でもない。
「あ、あの……」
「お静かに。これから会議が始まりますので、聖女様はこちらでお待ちいただきます」
不安になったマリアが執事に話しかけようとしたが、優しくあしらわれてしまった。
これから会議が始まると言われては、ここに残りたいなどとは言えない。
マリアはグレイに声をかけることもできず、そのまま王座の間から出され扉を閉められてしまった。
王座の間から出たのはマリアと執事、それからエドワード王子だけである。
廊下には警備の騎士達が一定の間隔を開けて並んで立っている。
執事は2人を王宮の中庭へと案内した。
移動中は、マリアと執事の少し離れた後ろをエドワード王子がゆっくりとついて来ていた。
「それではエドワード様、マリア様のエスコートをお願いいたします」
中庭に到着するなり、執事がエドワード王子にそう告げてその場を離れようとしたので、王子は慌てて執事の腕を掴まえて小声で文句を言った。
「なんで2人にさせるんだ!? お前もここにいろ!」
「陛下が2人で過ごされますようおっしゃっておりましたので、私どもは少し離れた場所から見守っております」
「ダメだ! ここにいろ!」
「……エドワード様。それでは陛下にあとで叱られてしまい……」
「ああもうっ! わかったよ!!」
2人が言い合いしているのを、マリアはポカンと眺めていた。
マリアと同じ7歳だと言っていたエドワード王子は、小さなマリアに比べて10cmほど背が高い。
サラサラの金髪を風になびかせていて、絵本で見た王子様にそっくりだとマリアは思った。
……でもなんでこの王子様はこんなに怒っているの?
誰が何をしたでもないのに不機嫌そうに怒っているエドワード王子が不思議だった。
執事が2人の元から離れると、一気に静寂がやってくる。
マリアはその静寂を何とも感じなかったが、王子はとても気まずそうな顔をしている。
時々チラッとマリアに視線を向けてくるが、目が合うと慌ててそらしてしまう。
顔を赤くした王子に向かって、マリアはとりあえず挨拶をしてみることにした。
「エドワード王子様。マリアでございま……」
「お前、チビだな!」
「…………え?」
ドレスの裾を持ち、メイド長のモリーから教わった貴族の礼をしようとした時……エドワード王子がその一言を発した。
離れたところで様子をうかがっている執事が、頭を抱えるような仕草をしている。
「……ちび?」
「知らないのか? 背が小さい者をチビって言うんだ。この前隣の国の王子が教えてくれた」
「…………」
「お前本当に7歳か? 何でこんなに小さいんだ?」
エドワード王子は頬を赤く染めながら、なんとか会話をしようと頑張っているようだった。
自然と偉そうな態度になっていたが、元々このような態度で接しられることの多かったマリアは全く気にしていなかった。
「マリア、小さいの?」
「はぁ!? どう見ても小さいだろ? ほら、俺と比べてもこんなにチビだ」
「でもエドワード様もお兄様に比べたらちびだよ?」
「それはあっちのが年上なんだから当たり前だろっ!?」
エドワード王子が叫ぶと、離れたところで見守っている執事や騎士たちのほうから「ブフッ」と噴き出したような小さな笑い声が聞こえてきた。
エドワード王子は顔を赤くして「笑うな!」と叫んでいる。
マリアは何か変なことを言ってしまったかと首を傾げていた。