33 マリアの幸せな1日
「はじめまして、マリア様。デザイナーのルシアンと申します。お会いできて光栄ですわ」
「よ、よろしくお願いします」
ルシアンは40代の少し派手な身なりをした女性だ。
初対面のマリアをキラキラした眼差しで見つめているのは、可愛らしい見た目に惹かれているだけでなく聖女だと知っているからである。
瞳の色を見れば気づかれてしまうため、マリアが聖女であることは事前に伝えておかなければいけない。
そのためメイド長であるモリーは、腕がいいデザイナーの中でも特に信頼のおけるルシアンを屋敷に呼んでいた。
エミリーが念を押すように「ルシアン様……」と言うと、ルシアンはウインクしながら明るく笑った。
「大丈夫ですよ。王宮から通達が出るまでは誰にも言いませんわ。では、早速採寸をさせていただきますね」
どこから出したのか、ルシアンはメジャーを手に持つとマリアの身長に合わせて膝をついた。
慣れた手つきでマリアの全身のサイズを測っていく。
時々くすぐったくなったが、マリアは動かないように必死に堪えていた。
その様子に気づいたのか、ルシアンがふっと優しく微笑む。
「採寸は終わりです。では次にドレスのデザインですが……マリア様、何か希望のデザインはございますか?」
「デザイン……?」
ルシアンは自身のボストンバッグから分厚いカタログを取り出した。
パラパラ……とページをめくってマリアに見せてくれたが、中身は全てドレスのデザイン画のようであった。
「わぁ……かわいい……」
「ふふ。ありがとうございます。何か気に入ったデザインはございますか?」
そう聞かれてマリアは困った。
どのドレスもかわいい。かわいいが、正直言って違いがよくわからなかったのである。
どうしよう……。
全部かわいいけど、それじゃだめなのかな?
そう言ってもいいのかな?
困っている様子のマリアを見て、ルシアンとエミリーは顔を見合わせた。
そしてお互い無言のままコクリと頷くと、マリアに視線を戻して優しく言葉をかけた。
「マリア様。思っていることをおっしゃっていただいて大丈夫ですよ」
「何でも言ってください。気に入ったものがありませんでしたか?」
温かな笑顔の2人を見て、マリアは心の不安が薄れたのがわかった。
この2人なら自分の思っていることを正直に伝えても怒らないだろう……イザベラと違って。
「ち、違うの。どれもかわいくて……。でもどれがいいのかよく……わからなくて……」
遠慮がちにそう言うと、2人はホッとしたようにニコッと笑った。
ルシアンがパタンと静かにカタログを閉じる。
「では、私がマリア様に似合うお洋服をデザインさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「う、うん!」
ルシアンはさらに笑う……というよりもニヤけたような満面の笑みになった。
カタログを握りしめるようにして立ち上がると、同じくらいニヤけているエミリーと注文内容を確認しはじめる。
「普段用のお洋服数着と、ドレスを数着。そのドレスの中には聖女様をイメージするようなデザインのものを何点か……」
「聖女様と言えばやっぱり純白ね。それから……」
2人はやけに楽しそうに話し合っている。
会話に入れないのは寂しいが、楽しそうな2人の様子を見ているだけでマリアも幸せな気持ちになった。
ルシアンが帰ると、次に待っていたのは作法の勉強であった。
幼い頃からまともな作法を教わってこなかったマリアのために、綺麗な食事の仕方、挨拶の仕方、身のこなしなどの作法のレッスンが必要だったのである。
これ以上聖女の存在を伝えたくなかったため、グレイは作法の教師は呼ばずに執事やモリーに先生役を頼んでいた。
こんなにすぐレッスンを開始させた理由は、すぐに王宮に行くことになると予想していたからである。
マリアは文句を言うこともなく、真面目にレッスンに取り組んだ。
「はい。そうです。そこで膝を軽く曲げて……ああ、それでは頭を下げすぎです。背中が丸くならないように、このくらいの角度で……」
モリーに言われたことを意識しながら、マリアはこの国伝統である貴族令嬢のお辞儀を披露した。
習ったばかりとは思えないほどの完璧なお辞儀。
その美しさに、モリーだけでなくその場にいたメイド達からはうっとりとした歓声が上がった。
「まぁ……こんなに美しいお辞儀は見たことがありませんわ」
「みんなマリア様の虜になってしまいますわね」
こんなに褒められたことがなかったマリアは恥ずかしさから思わずうつむいてしまったが、その仕草すらメイド達には可愛すぎたため褒め言葉が止むことはなかった。
みんなマリアのことを褒めてくれる……。
うれしいな……もっとがんばろう。
昼食は、マリアは1人で食べることになった。
レオはすでに家に帰っていて、グレイはガイルとの引き継ぎが忙しく間に合わなかったためである。
食事作法も同時に行うことになっていたので、寂しいと感じているヒマはなかったのが救いかもしれない。
今まで生きてきた7年間とは全く違う1日を、マリアはとても楽しく過ごしていた。
周りに誰かが常にいてくれる。
自分に話しかけてくれる。
自分を1人の人として接してくれる。
笑いかけてくれる、優しくしてくれる。
それだけでマリアは十分幸せを感じていた。
グレイがマリアの部屋を訪れたのは、マリアがティータイムをしている時であった。
ケーキの上にのった苺を食べようと口を開けた時、後ろから「マリア」と呼ぶグレイの声が聞こえて、マリアは思わずフォークを落としそうになってしまった。
「……お兄様!」
「…………」
振り返ったマリアを見て、グレイは無言のままマリアの口元を優しく指でこすった。
クリームがついていたと知って、マリアは恥ずかしさから頬を赤く染める。
「昼食を一緒にとれなくて悪かったな」
「大丈夫です」
マリアの向かい合わせになるようにグレイが座ると、呆然としていたエミリーがハッとしたように慌てて寄ってきた。
グレイの口から「悪かった」という言葉が出てきたことに、ここにいたメイドが皆驚いていたのである。
「グレイ様もお召し上がりになりますか?」
「いや、いい。飲み物だけくれ」
「はい……っ」
エミリーが紅茶を淹れている間、グレイは疲れたような顔でマリアがケーキを食べている様子を見ていた。
見られているのが気まずくてマリアが食べるのを止めると、グレイはケーキを睨みつけながら「不味いのか?」と聞いてくるので慌てて「美味しいです」と言ってまた食べることになってしまうのである。
紅茶を淹れ終えたエミリーが2人から少し離れると、グレイは服のポケットから1通の手紙を取り出してテーブルの上に置いた。
真っ白な封筒には、赤い封蝋が押されてある。
「この印は王宮のマークだ。早速手紙がきた。聖女の登場によほど興奮しているらしい」
「…………」
「俺宛てに届いたものはもう読んだ。これは聖女……マリア宛ての手紙だ」
「マリアに……手紙……」
初めての手紙に嬉しいような、その相手が自分を連れて行こうとした王宮だという事実に不安なような、マリアは複雑な気持ちになった。
ただ、その前に一つ大事なことがある。
「ごめんなさい。マリア、字が読めなくて……」
「謝る必要はない。俺が読むから大丈夫だ。……開けるぞ?」
マリアがコクリとうなづくと、グレイは少し乱暴に封を開けた。