18 会話は難しい(グレイ)
マリアを檻から出す。
言ってしまえば簡単なことだ。
檻と足首についた鎖を外す鍵さえあれば、今すぐにでも出してやることができる。数分で終わる作業だ。
だが、現実的にはそう簡単にはいかない。
もちろん問題はある。レオと共にマリアを檻から出すと決めたあと、グレイはその問題についてずっと考えていた。
まずは、イザベラとマリアの関係について。
イザベラがマリアに対してどんな感情を持っているかによって、この問題が簡単に解決するかそうでないかが決まる。
マリアの『怖い』発言からして、イザベラがマリアを好意的に扱っていないことは明白だ。
しかし、それがどの程度の扱いなのかがわからない。
まだ子どものマリアが言う『怖い』とは、どんなことなのか。
暴言を吐かれている? 暴力を振るわれている?
それともただ睨まれているだけ?
それが今はわからない。
もしかしたら、グレイが考えているような酷いことなどはされていないかもしれない。思っているよりもマリアを好意的に見ている可能性もある。
檻に閉じ込めてはいるが、単純に聖女を逃がさないようにしているだけなのかもしれない。
それならば、マリアが絶対に逃げ出さないと確信を持てたら、檻に入れる必要はなくなる。
マリアは檻から解放される。
これが1番簡単な解決方法だ。
だがもしも、マリア自身を疎ましく感じての監禁であるならば、マリアは逃げないから……という理由では出してはもらえないだろう。
むしろ反対される。その時には、他の案を考えなくてはいけない。
イザベラに私怨があるのか、マリアに対してどんな感情を持ってどう扱っているのかを調べる必要がある。
まずは、なぜマリアがイザベラを怖いと感じているのか、その本音を聞き出さなければ。
そして、グレイにはもう1つやらなければいけないことがある。
『マリアとの信頼関係を強固にする』これはレオに提案された。
理由は、檻から解放されたマリアに安心してこの場所にいてもらうための必須条件だからだ。
自分を監禁していた者の近くで普通に生活することは、なかなか簡単ではない。
だからといって、何も知らない外の世界へ出ることもできない。
そんなマリアの不安を少しでも減らすために、グレイへの信頼度を上げておく必要があるというのだ。
「信頼してもらうためには、たくさん会う! たくさん話す! これが1番だよ!」
そう、レオが言っていた。
情報を聞き出すだけではなく、会話を楽しめ……と。
会話を楽しむ?
聞き慣れない言葉に、グレイはぐるぐると頭を巡らせていた。
夜になると、グレイはまた別邸に忍び込んだ。
初めて訪れた日よりも月が欠けているからか、屋敷内がさらに暗くなったように感じる。
何度か訪れた場所でなければ、入るのを躊躇してしまうような暗さだ。
グレイはいつものように真っ直ぐに2階奥の部屋に向かい、静かに扉を開けた。
檻の前に移動すると、マリアが眼帯越しにグレイを見上げてきた。
「……起きていたのか」
そう声をかけると、マリアはコクリと頷いた。
いつも檻の奥にいたのに、今日は格子の近くに座っている。
グレイは無言のまま格子の隙間から手を入れ、マリアの眼帯を外した。
月が欠けている事と関係しているのか、最初に見た時よりも黄金の瞳の輝きが少ない。
それでもキラッと光るその瞳には、やはり見る者の心を揺り動かす力がある。
「……今日は、その……お前と話をしに来た」
グレイは少しかしこまった感じで言った。
いつも堂々と、はっきりキッパリ言葉を発するグレイが言い淀んだ姿を見て、マリアはキョトンと目を丸くした。
そんなマリアを見て、グレイはうっ……と言葉に詰まる。
今日はマリアと会話をするつもりで意気込んできたものの、グレイは今まで人とまともに会話をしたことがなかったからだ。
レオは1人で勝手に話してくるので、ただそれに答えていれば良かった。
マリアにはたくさん質問をしたことがあるが、あれはイエス・ノーゲーム感覚でとても会話とは言えない。
他にも、家の使用人や学校関係者、みんな必要最低限の質問や確認しかしてこなかった。
質問のやり取り、考察、そういった難しく真面目な会話であればできるが、たわいのない会話などはできない……というか、わからないのだ。
自分から進んで話しかけたり、長い時間会話をしたりしてこなかったグレイにとって、自分以上に無口なマリアと会話するということは難易度が高いゲームであった。
ひとまず、グレイは片膝を立てた状態で檻の前に座った。
それを見たマリアも、体全体をグレイの方向に向けてちょこんと座り直す。
「…………」
「…………?」
無言で見つめ合う2人。
無表情で冷静に座っているように見えるグレイだったが、実際はこの状況に戸惑っていた。
あ……? この後どうすればいいんだ?
とりあえず、イザベラのことを質問すればいいのか?
「あーー……。この前、イザベラのことを怖いと言っていただろう? あれはなぜだ?」
「…………」
マリアは何も答えずに、グレイをじっと見つめたまま固まっている。
「イザベラから、暴力を受けたりしているのか?」
グレイの質問に、マリアは一瞬悩む素振りを見せながらもコクリと頷いた。
こちらが質問をすれば、マリアはイエスかノーで答えてくれる。しかしそれでは細かい内容はわからない。
グレイは実際にイザベラがどんなことをしているのかを、詳細に聞きたいと思っていた。
頷くだけでなくしっかり答えてもらわないと、内容も把握できないし時間もないぞ。
だが、どうすればいいんだ? きちんと喋ろと言えばいいのか?
「マリア……その、実際に何をされたのか話せるか?」
マリアは大きな瞳でじーっとグレイを見つめている。
「こんなことをされたとか、言われたとか、そういうのを教えてほしい」
「……叩かれた」
そうか。
ポソっと呟いたマリアに、グレイはついそう答えそうになった。それではこの『会話』が終わってしまうと、その言葉を喉元で止める。
レオが相手の場合、自分が会話を止めてしまってもまたすぐにレオが話し出すから、深く考えたことがなかった。
だが相手がマリアとなれば別だ。グレイが会話を止めてしまったら、そのまま終わってしまう。
「……どこをどんな風に叩かれたんだ?」
「えっと、足とか、手とか、背中とか……バシンって」
バシン? 手のひらで叩いているということか?
グレイが考えていると、マリアがさらに話してきた。
「あとは……爪でガリって……」
「……引っ掻かれたということか?」
マリアはコクリと頷いた。
身体に傷がないからどうなのかと思っていたが、暴力を奮っているのは確実らしいな……。
軽くショックを受けている自分に、グレイは驚いた。
このショックな気持ちが何に対してのものなのかはわからない。
暴力を振るわれているマリアに対しての同情なのか。
優しかった頃の母ではないと、改めて知らされたことに対する絶望なのか。
……しまった。会話が終わってしまった。
と、いうか、ここはもっと心配したほうがいいのか?
信頼されるような会話がわからない……!
グレイは、とりあえず心配をしているという風な言葉をかけてみることにした。
「あー……その、叩かれた傷とかは平気なのか?」
「治してるから平気……」
だろうな、とグレイは思った。
慣れないことをして空回っているのは自分でよくわかっている。どうにもうまく会話を続けることができない。
こんな時にレオがいてくれたら楽なのに……と思ってしまったことを、グレイは悔やんだ。
まさかあの男を頼りに思う日がくるとは。