11 マリアとイザベラ
誕生日の夜、マリアは部屋の中に置いてある檻の中にいた。
普段はただ部屋の中にいればいいのだが、ジュード卿やエマが不在の時には、万が一を考えられて檻に入れられている。
逃げたりしないから、ベッドで寝たいなぁ……。
マリアは檻の中から見えるベッドを見つめて、小さくため息をついた。
薄い布が敷かれているが、檻の中はひんやりと冷たく、床も硬くてぐっすり眠ることなどできない。
窓から見える月を眺めていると、バタバタと大きな足音が聞こえ、突然バタン! とものすごい勢いで部屋の扉が開けられた。
キーズと呼ばれているネズミ顔の執事が、真っ青な顔でマリアの部屋に飛び込んできた。
「はぁ……はぁ……。ジュード卿と……エマ様が……事故に遭われて……お、お亡くなりに……」
顔面蒼白、視線も定まらず、この言葉もマリアに向けてというよりは独り言のような呟きであった。
膝から崩れ落ちて呆然としているキーズを、マリアはポカンと見つめる。
オナクナリ……?
事故って、あのみんな大きな怪我をするやつかな?
マリアは、今までに治癒してきた貴族達の姿を思い浮かべた。
足の骨が折れている者や、意識のない者を抱え込まれたこともあったが、マリアは全て完璧に治癒してきている。
あの2人が怪我をしたの?
私なら治せるよ?
マリアは檻の格子の隙間から手を出し、治癒をする素振りを見せた。
その様子に気づいたキーズは、苦々しい顔をしながら吐き捨てるように言った。
「無理だ。もう、2人とも死んでしまったのだから。いくら聖女でも、死人は戻せない……」
「……死んだ……?」
マリアは久々に声を出した。
『死』というものを、マリアは何度も見たことがある。
ジュード卿が、死ぬ直前や死んだ後の動物などの治癒をさせてみる実験をしていたからだ。
『死んでしまったモノは助けられない』
それはマリアも知っていることである。
ママとパパが死んだ?
じゃあ私にももう治せないな……。
マリアは、ジュード卿のことを父親だと思っていた。
本人に向かってパパと呼んだことはなかったが、心の中でだけそう呼んでいたのである。
しかし、その『パパ』と『ママ』が死んだとわかっても、マリアは泣かなかったし、悲しいという感情もなかった。
親子としての記憶など、この数年間全くなかったし、父・母ではあるが、マリアにとってはただの『たまに会う人』というくらいの感覚であった。
「これからどうしたらいいんだ……。俺1人で聖女の秘密を守っていくなど、できるわけない……。しかしこれからも隠していかなくては、俺はおしまいだ……」
キーズは、視線を彷徨わせたままブツブツと喋り続けている。
目は血走っていて、顔は土気色になっている。
「もういっそ、今からでも王宮に……。俺は無理矢理言うことを聞かされていたと言えば……。いやしかし、それでも罰は免れないし……裏切ったと貴族の方々に知られては、俺の命も……」
キーズは3日ほどそんな状態が続いていた。
生存本能か、自身は時折食事をとっていたらしいが、マリアへの食事にまでは気が回らなかったらしい。
3日間、マリアは食事を与えてもらえなかった。
聖女の力なのか、少量であるが水を出すことのできるマリアは、その水だけでなんとか生き延びていた。
死にかけても、聖女の力で健康体に戻れる。
しかし、空腹という感覚が満たされることはないので、精神的にはとても辛い3日間であった。
檻からも出してもらえず、ただただ毎日檻の中で過ごしていた時……イザベラがやってきた。
ある日突然キーズが連れてきた女性。
ガリガリに痩せた身体、ボサボサの髪、痩けた骸骨のような顔。
今までマリアが見たことのないその惨めな姿の女性は、檻の前に立つなりマリアを凝視してきた。
「この子が……あの女の、子ども? そして……聖女なの?」
「そうです」
「ジュード様の子どもなの……?」
「違います」
イザベラとキーズの会話を、マリアは静かに聞いていた。
顔には出ていなかったが、ジュード卿が父ではなかったということに、マリアは軽く衝撃を受けていた。
パパは、マリアのパパじゃないんだ……。
衝撃ではあったが、特に傷ついたりはしていない。
それよりも、今目の前にいるこの女性が誰なのかのほうが気になっていた。
「じゃあ……ジュード様があの女を連れてきたのは、この聖女でお金を稼ぎたかったからなのね……? あの方は、お金が大好きだったから……」
「……そうです」
骸骨のような女性が嬉しそうに笑っている姿は、不気味であった。
後ろに立っているキーズもつい昨日までは屍のようだったため、同じように頬が痩けていて気味の悪い顔をしている。
「ジュード卿が亡き今、イザベラ様にこの聖女のことを管理していただきたいのです」
キーズの言葉に、イザベラはニヤリと笑った。
「そうね……。あの女の娘を使って、私がたくさんお金を稼いでみせるわ……。私にだって、それくらいはできるのよ……うふふ……」
じろーーーーーーっと舐めるようにマリアを見つめていたイザベラは、不気味な笑みを浮かべたままフラフラと部屋から出ていった。
「今すぐに、他の執事や使用人を集めて……。あ、グレイ……。私の息子……グレイも呼んで……。私がこの伯爵家を継ぐと伝えなくては……」
グレイ。その名前が、やけにマリアの頭に残っていた。
次の日から、イザベラによるあらぬ振る舞いの日々が始まった。
部屋に出されるのは、聖女として貴族に治癒する時のみ。
あとはずっと檻の中で、足に鎖をつけられた状態で監禁された。
黄金の瞳を隠すように、両目には黒い眼帯をつけられる。
しかし、聖女の力なのか……眼帯をつけていても、うっすらと見ることができた。
食事は気が向いた時にキーズが運んでくるが、どれも残飯のような物ばかりであった。
イザベラからは、言葉の暴力や直接の暴力もある。
伸び切った長い爪で引っ掻かれたことは、数えきれないくらいだ。
そのたびに聖女の力で治してはいたが、力の使えない日にできた傷は、回復するまで痛みに耐えなければならなかった。
どうして、この人はこんなに怒っているんだろう……。
マリアは、イザベラの行動をずっと不思議に思っていた。
そんな状態のまま1年が過ぎたある日、マリアの部屋に新たな人物がやってきた。
誰もいなくなった夜遅くに、コソコソと入り込んできた少年が。