最終話 出会えて良かった
グレイがどこか気恥ずかしそうに階段を上がっていくのを、マリアはほっこりとした気持ちで見送った。
その後ろ姿から、グレイが喜んでいるような気がしたからだ。
グレイの姿が見えなくなったあと、マリアはまたメイドたちに囲まれた。
「マリア様! 本当に良かったですね。おめでとうございます」
「マリア様とグレイ様が結婚されるなんて、私たちも本当に嬉しいです!」
「こんなにお似合いの夫婦はなかなかおりません!」
エミリーだけでなく、みんな嬉しそうに目に涙を溜めている。
まるでみんながマリアの気持ちに気づいていたかのような反応をしているので、マリアは恥ずかしくて「うん。ありがとう」としか答えられなかった。
実は、まだ結婚について実感がないというのもあるかもしれない。
私、ほんとにお兄様と結婚するの……?
『結婚したらずっと一緒に暮らしていける』
幼い頃に教えてもらったその言葉を思い出し、マリアはニコッと静かに微笑む。
その美しい笑みでメイドたちの胸が射抜かれていることに、マリアは気づいていない。
(マリア様! なんてお美しいの!)
(幸せなのが溢れ出ているわ! ああ。お屋敷の中がさらに綺麗になっていくわ)
悶えているメイドたちの中から、マリアの笑顔に慣れているエミリーが一歩マリアに近づいてきた。
「マリア様。グレイ様のところへ行きますか?」
「えっ。あ……行っていいのかな?」
不安そうにレオとガイルに視線を向けると、2人は自信満々に頷いていた。
レオに至っては、親指を立てて『大丈夫』だと伝えてくれている。
この2人がいいって言ってるなら、大丈夫だよね?
「じゃあ、行こうかな」
「はい。ぜひ!! 呼ばれるまでは誰もお部屋に行きませんので、遠慮せず! ごゆっくりと!」
「う、うん? わかった」
メイドたちからのやけに熱い声援を受けながら、マリアはグレイの部屋へ向かった。
もしかして執務室にいるかも? と思い顔を覗かせたが、グレイの姿はなかった。今はよほど使用人たちと顔を合わせたくないようだ。
コンコンコン
「お兄様。マリアです。入ってもいい?」
「ああ」
グレイの部屋をノックすると、すぐに返事が聞こえた。ホッと安心しつつ、ゆっくりと扉を開けて中に入る。
グレイはベッド脇に立ち、サイドテーブルに常備してある水を飲んでいた。
「メイドたちとの話は終わったのか?」
「うん。……みんな喜んでたよ」
「まさかこっちが話す前に知られているとは思わなかったけどな」
「さすがガイルだよね」
あははと笑いながら、マリアはソファに腰掛けた。
グレイが「そうだな」と言いながら自然と隣に座ってきたので、マリアは内心ドキッとした。
実はまだグレイの近くにいると緊張してしまうのだ。
お兄様はこんなに普通なんだから、私も早く普通にならなきゃ……!
「あの、お兄様。本当に私達結婚するんだよね?」
「…………」
「お、お兄様?」
なぜかグレイが自分を見つめたまま何も答えないので、マリアは一気に不安に襲われた。
なっ、何!? やっぱりやめるとか!?
「あの……」
「それ」
「え?」
「その『お兄様』ってやつ。もうおかしいだろ」
予想外なグレイの回答に、マリアは目をパチッと見開いた。
少し間を置いてから、やっとグレイの言っていることが頭に入ってくる。
『お兄様』がおかしい?
あ。私は妹じゃなかったから?
「そうだよね。私、妹として登録されてなかったみたいだし」
「そうじゃなくて。結婚する相手のことを『お兄様』って呼ぶのはおかしいだろって話」
「あっ……」
そっか。たしかに……!
自然とさっきの答えになる『結婚する相手』という言葉に安心しているマリアとは違い、グレイはどこか不機嫌そうにムスッとした顔でブツブツと話を続けた。
「そもそも、レオやあの生意気王子のことは名前で呼んでるのになんで俺だけずっと『お兄様』だったんだ? いや。まぁ、それは俺が言わせたことだが……」
「…………」
グレイが自問自答しながら子どものように拗ねている。
こんな姿のグレイを見るのは初めてなので、マリアはポカンとしながら問いかけた。
「あの、じゃあなんて呼べばいいの?」
「グレイでいい」
「ええっ!? ……無理!!」
マリアにキッパリ拒絶されて、グレイは軽くショックを受けたような顔をした。
すぐに名前を呼んでフォローしたいところだが、『お兄様』から急に『グレイ』と呼ぶのはマリアにとってはなかなかに難しい。
「何が無理なんだ?」
「だって……ずっとお兄様だったのに、いきなり名前……なんて」
「レオのことはレオって呼んでるだろ」
「レオは初めて会った時からずっとレオだもん」
グレイはチッと舌打ちをしながら別邸の方角を睨んだ。
「レオのことも『お兄様』って呼ばせれば良かった」
「……そんなにお兄様って言われるのが嫌なの?」
「……今はな」
ムスッとしているグレイが、我儘を言っている子どものようで愛らしい。
大人っぽくてカッコいいと思っていたグレイのことを、可愛いと思ってしまっている自分にマリアは少し驚いた。
お兄様が嫌なら、今度からは言わないようにしなきゃ。
でも、グレイはさすがに言いにくいし……。だからといって他に呼び方はないし、どうしよう!
マリアが頭の中でグルグルと考え込んでいると、グレイが覗き込むようにして顔を近づけてきた。
「マリア。とりあえず、一度呼んでみろ。意外と大丈夫かもしれないだろ」
「う……。え、と…………グ、グレイ?」
「もう一度」
名前のところだけかなり小声になってしまったからか、やり直しを命じられる。
マリアは文句も言わずに素直に従った。
「……グレイ」
さっきよりは声を出したつもりだけれど、まだまだ小さい声。それでもグレイにはちゃんと届いたらしい。
嬉しそうにニコッと微笑んだグレイを間近で見て、マリアは心臓が止まるかと思った。
「や、やっぱり難しいよ……」
「これから少しずつ慣れていけばいいさ」
そう言いながら、グレイがよくできましたと言うかのように優しく頭を撫でてくれる。
優しい笑顔、優しい手、優しい言葉。
グレイの温かさに思わず見惚れていると、頭を撫でていた手がいつの間にかマリアの左手に移っていた。
軽く持ち上げられて、その甲にキスをされる。
グレイからの二度目のミアのキスだ。
あ……ミアのキス……。
ほうっと惚けているマリアを、グレイの碧い瞳が真っ直ぐに見つめてくる。
「マリア。……俺と本当の家族になろう。こんな俺と結婚しても、マリアが幸せになれるかはわからないし自信もない。けど……マリアにはこれからもずっと隣にいてほしい」
「…………」
「マリアがいなかったら、たぶん俺はまともな人間として生きていけない気がする」
フッと自分を嘲笑うかのように呟いたグレイを見て、マリアは自然とその頬に触れていた。
涙は出ていないけど、マリアにはグレイが泣いているように見えていた。
「私は今までに何度もお兄様から幸せをもらったよ? 初めて会った時から、何度も何度も。お話してくれるだけで嬉しかったのに、あの檻から出してくれて、妹のように大事にしてくれて、好きって言ってくれて……」
マリアが目を見て話している間、グレイもずっとマリアから目を離さなかった。
なぜか泣きたくなる気持ちを抑えて、マリアはニコッと笑顔を作る。
「私にとって、お兄様はずっと光だったの」
「!」
「真っ暗で寂しい世界を照らしてくれた、唯一の光。私にとって、お兄様は誰よりも特別で大切で大好きな人なんだよ。だから、そんな心配しなくて大丈夫。お兄様と一緒にいるだけで、私は幸せだから」
「マリア……」
グレイは、一瞬驚いた様子で目を見開いたあとに突然肩を震わせて笑い出した。
何事かと思い、マリアは頬に触れていた手を離す。
「な、何……?」
「いや。……俺達は本当に似たもの同士なんだなって思っただけだ」
「?」
似たもの同士? 私とお兄様が?
キョトンとしているマリアに、笑いのおさまったらしいグレイが顔を上げる。
愛しい者を見るような、色っぽいグレイの瞳にはまだ慣れない。
マリアはドキッと大きく跳ねた心臓が体から出てしまうんじゃないかと心配になった。
「俺もまったく同じことを思ってた。マリアは俺の光だって」
「……私がお兄様の光?」
「ああ。俺の世界を明るくしてくれたのはマリアだ。マリアと会えて本当に良かった」
「……! うん、私も。……本当に私と一緒だね」
「ああ」
心が温かい気持ちで満たされていく。
これまでに何度も何度もグレイに出会えたことに感謝してきたけれど、今またマリアは心からありがとうの気持ちでいっぱいになった。
優しく微笑んでいるグレイの顔が、少しずつマリアに近づいていく。
その碧い瞳がすぐ目の前にきたとき……マリアはそっと目を閉じた。
頬でも手でもなく、はじめてのグレイとのキス。
やわらかい唇が触れ合った瞬間、マリアの目からは自然と涙が一粒流れた。
「……マリア。さっきまた俺のことをお兄様って呼んでたぞ」
「え? ……あ」
唇が離れてすぐ。グレイの第一声はそれだった。
実はずっと気になって拗ねていたのか、それともただの照れ隠しなのか……どちらにせよ、マリアには愛しさしか感じない。
「ごめんね。え……っと、……グレイ」
「これから少しずつ練習だな」
「う、うん」
嬉しそうにフッと鼻で笑うと、グレイはまた顔を近づけてきた。
何度も唇を重ね合いながら、マリアは自分のこれまでのことを思い返していた。
とても幸せとは言えない幼少期だったけれど、きっとこれから生きていく先にはいいことしか起こらないだろう。
もし何かあったとしても、グレイがそばにいてくれるなら耐えられる。
そんな幸せな未来を想像して、マリアはグレイに出会えた自分の運命に感謝した。
最後まで読んでくださり、本当に本当にありがとうございます。
無事完結することができてホッとしております。
ブクマや評価、レビューを書いて応援してくださった方、ありがとうございます‼︎
長編にも関わらず最後まで読んでくださった方、長い休載期間もずっと待ってくださった方、ありがとうございます‼︎
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本当に感謝しかありません。
ありがとうございました‼︎
菜々