103 そっちも気づいたのかよ……
結婚……?
その言葉を聞いて、グレイは一瞬背筋がゾクッとするのを感じた。
グレイにとって〝結婚〟とは愛し合う2人がするものというイメージよりも、地獄への入口のようなイメージが強かったからかもしれない。
グレイにとっての結婚・家族とは、些細なことで崩壊してしまうくらい脆くて薄いものだから。
そのため、マリアと気持ちが通じ合ったあとも、グレイの頭の中には〝結婚する〟という考えは微塵も浮かばなかった。
しかし、普通であればこういう場合は結婚するものだということは理解できる。
俺とマリアが結婚?
この俺が……ちゃんとした家庭を作れるのか?
自分はあんな父や母とは違う。
グレイはそう声を大にして言うことができずにいた。
自分の感情が欠落していることもわかっている。
父のように冷徹で、他人よりも自分を優先するような思いやりのない男。
そんな男がマリアを幸せにできるのだろうか。
自分の父と同じような道を歩み、マリアを母と同じような目に遭わせてしまうのではないかと考えると、グレイははじめて〝結婚〟を恐ろしいものだと思った。
「結婚は……」
そうポツリと呟いたとき、輝いた瞳で見つめてくるマリアが目に入った。
どんな答えを期待しているのかがわかる分、グレイはその続きが言えなくなってしまう。
「…………」
「グレイ!」
言葉の止まったグレイの肩をグイッと引いて、レオが顔を近づけてくる。
「グレイは両親とは違う! そりゃあ自分勝手で冷徹なところもあるけど、マリアに対しては違うだろ!? グレイはいつだってマリアにだけは優しかった! マリアを1番に優先してた! ちゃんとマリアのことを考えてあげてたよ」
「…………」
「だから心配しなくて大丈夫!」
何も言っていないのに、なぜかグレイの考えている不安について必死にフォローしてくるレオ。
自分のことをわかりやすいと言っていたのは本当だったんだな、と冷静に思う一方で、レオの言葉が素直に自分の心に響いていることにグレイは驚いた。
俺はちゃんとマリアのことを考えてやれてた……?
家族も自分自身のこともどうでも良く、暗くつまらない世界の中で唯一眩しく輝いて見えたマリア。
グレイの心を動かし、その世界を少しずつ明るく照らしてくれた。
マリアがいれば、きっとどんな世界も明るく優しいものになるのだろう。
……そうか。
俺は子どもの頃からずっと、そんな光を求めていたのか。
グレイは自然と口角が緩み、にっこりと微笑んでいた。
その笑顔を見て、3人が硬直したかのようにグレイから目を離せなくなる。
マリアは頬を赤く染めて口元を手で覆い、エドワード王子は小さな声で「笑った……」と呟き、レオは「昔の……っ、グレイだ……っ」と言って泣き出した。
そんな3人の反応を気にする素振りもなく、グレイは王子に向かってキッパリと答えた。
「はい。マリアと結婚したいと思っております」
「!」
「お兄様……っ」
自分を呼ぶ声が聞こえたグレイは、マリアを振り返りニコッと優しく微笑む。
その魅力的すぎる笑顔を直視したマリアは、力が抜けてよろけそうになったところをレオに支えられていた。
そんなマリアに呆れた視線を向けていた王子が、ハアッとわざとらしいくらいに大きく息を吐き出す。
「……わかった。聖女マリアの結婚について、俺から先に父に伝えておこう」
「……反対されないのですか?」
「あのマリアを見て反対できるか? それに、どうせ俺が反対したところで、2人は言うこと聞かないだろ?」
「はい」
「うん」
同時に2人から即答された王子は、「コイツら……っ!」と言いながらギリッと歯を食いしばった。
強く握った拳もプルプルと震えていて、レオが同情の目で見ていることには気づいていない。
「……まあ、いい。お互いがそのことに気づいたら、どんなに俺ががんばったところでひっくり返せないことはわかっていたし。……だから自覚する前に婚約しておきたかったのに」
エドワード王子の最後の呟きは、小さすぎてグレイやマリアの耳には届かなかった。
グレイが聞き直すべきか迷っていたとき、マリアが王子の前に立ってペコッとお辞儀をした。
「エドワード様。本当にごめんなさい」
「いいよ。マリアが自覚した時点である程度の覚悟はできてたし。……ほら、もう話は終わりだろ? 帰れ、帰れ」
エドワード王子はプイッと横を向くと、マリアの顔を見ないまま手でしっしっと払うような仕草をした。
すぐにレオがやって来て、マリアとグレイに「行くよ」と声をかける。
やけに焦った様子のレオを見て、グレイとマリアは言う通りにして部屋から出た。
「今は1人にしてあげよう」
そのレオの言葉の意味を理解し、グレイは一度扉を振り返ったあとに軽く会釈をするとスタスタと歩き出した。
戸惑っていたマリアもグレイのあとに続いて歩き出す。
「レオ。エドワード様、大丈夫かな?」
「うん。きっと大丈夫だよ。覚悟はできてたって言ってたし」
「お兄様もそう思う?」
「……ああ」
「そっか……」
シュンとしながら歩くマリアの横顔を見ながら、グレイは変な違和感に襲われていた。
〝お兄様〟?
マリアに『お兄様』と呼ぶように言ったのはグレイ自身だし、呼ばれたときにはそれなりに気分も良かったはずだ。
なのに、今のグレイはその言葉に引っかかりを感じていた。
レオのことは『レオ』なのに、俺のことは『お兄様』……。
小さなモヤモヤを胸に感じながら、グレイたちは王宮をあとにした。