推薦状
冷えに冷え切った場を仕切り直すために、お茶を淹れよう。
提案してから、いそいそと給湯室に逃げ込むと、そこにはヴァレンロード領特産のヴァーレ茶が、早くも備えられていた。
これはラッキーだ、このお茶に関しては、この王都で俺の右に出るものは、居ないだろう。
なにせ実家の特産品だ、幼少の頃から、ヴァーレ茶の美味しい飲み方を、一家総出で研究していたのだから。
ここは心落ち着くミルクティーで和ませよう。
ポットをコンロに掛け、必要な材料を探す、蜂蜜とシナモンだ。
ヴァーレ茶はこの2つの相性が非常に良い、どちらも香り付け程度に加えると、茶葉本来の真っ直ぐな香りに曲線を加え、複雑に香るのだ。
ということで、ティーカップを湯煎しつつ、蜂蜜を少量加えたミルクを温め始める、トレイの上にシュガーポット、ソーサーにはティースプーン代わりにシナモンスティックを添えて置き、ティーカップの水気を拭き取りソーサーに乗せる、お茶請けのクッキーを皿に盛り付け、適量の茶葉を入れたティーポットに熱湯を注ぎ、ホットミルクを入れたポットを乗せ、3分砂時計を返して乗せれば準備完了だ。
トレイを持って会議室に戻ると、レナーテ秘書官とエレナ補佐官は、コチラを伺いながらヒソヒソと耳打ちしている。
針の筵状態だが、素知らぬフリでお茶の準備に取り掛かる。
カップにミルクを注ぎながら声をかける
「エレナ補佐官は…」
「は、はひっ!」
「……お茶は濃いのと甘いの、どちらが好みですか?」
ダメだ、完全に警戒されてるよ
「…………甘いほうで」
「あぁ、それは丁度いい、このクッキーに良く合いますよ」
出来るだけ笑顔を絶やさず、無難な会話を続ける、やはり女性は甘いものが好きなようだ。
王都にある、美味しいお菓子屋さんの話で時間稼ぎをしつつ、砂時計が落ちきるのを確認する、カップにお茶を注ぎ、砂糖を加えシナモンスティックで撹拌すれば完成だ。
二人の前にカップを置き、どうぞと勧める。
「……美味しい」
「ヘルマン殿は…… お茶を入れるのが、お上手なのですね」
レナーテ秘書官が感心してカップを眺めている。
「いいえ、このヴァーレ茶限定ですよ、他のお茶だと、上手くいきません」
首を横に振りながら答えると、レナーテ秘書官は少し気まずそうに納得していた。
「……何か理由が有るんですか?」
エレナ補佐官は不自然なレナーテ秘書官に違和感を覚えたのだろう、素直に疑問をぶつけて来る
「いやなに、これが我が家の味って事です」
そう、このお茶の為に、俺の青春は売られたも同然だ、砂糖、ミルク、蜂蜜と入れているのに、ほろ苦く感じるのは俺だけだろう。
「とても、良い家族なんですね…」
「んん? ……そ、そうですね!」
はははっと誤魔化し笑いも付け足す
「えっと…私なにか変なこと言いましたか?」
エレナ補佐官は困惑してこちらを見つめている。
ため息と共にレナーテ秘書官が助け舟を出してくれた。
「美味しいお茶も頂いた事ですし、そろそろ、本題に入りましょうか」
「えぇ、それが良い、伺いたい事は山程有ります」
露骨な話題変更に乗っかりながら、疑問を口に出す
「そもそも、なぜ私が中隊長に選抜されたのか、理由が見当たりません」
「あら、謙遜なさらないで下さい、ヘルマン殿はとても優秀な騎士ですわ」
「謙遜では無いですよ、優秀と言ってもそれは個人技のレベルの話ですよね?有り難い事に、私の魔導鎧の適正だけは特級だと認定頂いてますが、指揮官としての技能は、決して高くない、それはレナーテ秘書官もご存知ですよね?」
「まぁ、現在のヘルマン殿の評価は概ねその通りですわね」
「でしたら……」
「カール団長はその魔導鎧の適正を欲しているのですよ」
「はぁ……?」
魔導鎧とは騎士の一部に支給される鎧で、戦闘時には鎧に嵌め込まれた魔導石を射出し周囲に浮かべ、任意の場所に魔術障壁を展開させる事ができる。
適正が高いほど、魔導石の使用数や操作の精密度、さらに魔術障壁の耐久力などが上がる。
これは隊長などが持っていても真価を発揮しない物だ、最前線に置いて味方を守ってこそである。
要は肉体労働なのだ、知的労働を求められる隊長職には不要だと考えられている。
「カール団長は実家のパリエス家から一つの依頼を受けたそうですの、エレナ嬢に補佐官の仕事をさせて欲しいと……」
レナーテ秘書官は隣のエレナ補佐官に労る様な目を向けている。
「エレナ補佐官の実家はパリエス家の分家アルミナ家ですわ、無下には出来なかったのでしょうね」
「あの…… 私はこの様な体で普段は歩く事も出来ません、それでも貴族の端くれとして、皆の役に立ちたいとお父様に願ったのです」
「そこでカール団長はエレナ補佐官の為に新たな中隊を作る事を考えました、それこそがヘルマン殿が率いる中隊です」
要するにエレナ補佐官を守る、親衛隊のような働きを求められているという事か?
「ですが、中隊を丸々遊ばて置ける程の余裕が無いのも事実ですので、エレナ補佐官の技能を中心とした作戦施行に特化した中隊を組織しました」
「エレナ補佐官の技能ですか?」
はい、と躊躇うようにレナーテ秘書官は頷く。
「魔導鏡の特級適正ですわ」
「はぁ!? 魔導鏡の特級!? 希少中の希少適正じゃないですか!」
おもわず素頓狂な声が出る
魔導鏡は魔術具の写し身を現し、あらゆる魔道具の性能を倍加させる、もたらす効果は絶大だ、下級適正の者でも班に属していれば班の戦力を倍にしてくれる。
だが、適正を持つ者が極端に少なく、特級どころか一つ下の上級ですら一世代に1人居るか居ないかだ。
魔導鏡の特級適正とはリートゥス王国の歴史上で3人しか確認されていない、エレナ補佐官で4人目だと言う事になる。
「えぇ、カール団長がエレナ補佐官を引き取った後に発覚したのよ」
「なんとまぁ……」
呆然とエレナ補佐官を見つめると、エレナ補佐官はみるみる顔を赤くする、やはり可愛い。
「それで、効果はどれ程なのですか?」
「対象は約200人、効果は10倍ですわ」
とんでもない効果だと思うと同時に、なぜ自分が選抜されたか理解する
「10倍に上がった魔導鎧の能力で中隊全員を守れって事ですか……」
「その通りですの、理解が早くて助かりますわ」
「確かに魔導鏡の補助が有れば可能でしょうが、それはエレナ補佐官に最前線に立って貰う事を意味しますよ?」
「こればかりは仕方ありませんわ……」
レナーテ秘書官は首を振る
「代わりに、ヘルマン殿の中隊には魔術工兵を投入する事で、エレナ補佐官の迅速な移動を可能にする方針ですわ」
「魔術工兵なんてエリート集団を私の指揮下に入れて大丈夫なんですか?」
「大丈夫です、文句は言わせませんわ」
未だ口調の戻らないレナーテ秘書官がピシャリと言い切る、さすが大貴族の娘だ、エリート魔術師も物の数では無いのだろう。
彼ら魔術工兵は土の魔術の専門家と自負しており、かなりプライドが高い、だが戦場の橋頭堡確保から野戦築城、果ては土塁や罠での足止めまでこなす働きぶりには、皆頭が上がらないのも事実。
リートゥス王国には『英雄に成った全ての指揮官は、魔術工兵に適切な指示を下した者だ。』という格言がある程だ。
本来の師団単位での行軍であれば魔術工兵のみを編成した工兵中隊が組み込まれる筈だが……
今回はどうなるのだろう?
「ヘルマン殿、色々と不安も有るとは思いますが、この人事を引き受けて頂けませんか?」
これはもう腹を括るしか無いのだろう。
先程から空欄だった推薦状にサインをしてエレナ補佐官の前に差し出す。
「エレナ補佐官、良ければ私のもとに来てくれませんか?」
姿勢を正し、目を見て、誠意が伝わるように誘う。
「……あの、少しの間、考えさせて下さい」
返事は、まさかの保留だった。