本当の物(エドアルトから見たユウリ/9話時点)
ボロボロになった体に喝を入れ、もつれる足を無理矢理動かして、走った。
もっと、もっと早く!!
それ程遠くはないはずの距離なのになかなか辿り着けず、走って、走って、そして俺は剣を振り下ろした。
しかし、俺の剣が対象に届くよりほんの一瞬早く、シュッという空気を裂く音が、俺の耳の横を通り過ぎていったのを感じ、まさかと思いながら、嫌な予感を振り払うように勢いよく振り返る。
振り返った先では、放たれた矢が今まさにあの方に届かんとしている所だった。
まるでスローモーション再生のように場面が流れ、矢を退けようと女騎士見習いが手を伸ばし、あの方に駆け寄ろうとしているのが見えた。
しかし、女騎士見習いの伸ばした手は届かず、無情にも矢はあの方の心臓のあたりに突き刺さった。
遠くて見えないはずなのに、飛び散った血の一粒が弧を描いて落ちていくのがやけにハッキリと見えていたーーー。
「っ!!!!」
目が覚めると、汗でシャツがベッタリと体に張り付いていた。
「またいつもの夢か…。」
窓の方に目をやると、カーテンの隙間から、うっすら明るみはじめた空が見えた。
俺はそのまま起きることにして、シャワーを浴び、訓練着に着替えて外に出た。
冬のピンとした空気が、寝起きの体を容赦なく切りつけてくる。
しかし俺は、冬の朝の淀みを流し浄めたようなこの空気が嫌いではない。
俺は剣を振りはじめた。ただただ剣を振ることに集中する。
領主様にお声をかけていただき、現在は、領主様の別荘に滞在している。
フィーユをお守り出来なかった俺に、再びフィーユのために働く機会が与えられたのだ。
領主様は、我を忘れて己を追い込んでいた俺の剣を、ただの逃避だと気付かせてくださった。
まだ学院入学前の年齢で、見習い聖女という重責を、誇りと信念を持って完うしていたフィーユを守る盾として、お側に並び立てる自分でありたい。
与えていただいた機会に今度こそ報いる事が出来るように、力を蓄えようと、今はしっかりと前を向けている。
しかし、あの日を繰り返し夢に見るのは、こちらに滞在するようになってからも変わらなかった。
自分の不甲斐なさを忘れるなと、俺の心が言っているのだろうか。
「あ、おはよう。相変わらず早いわね。」
朝のトレーニングを終え屋敷に入ると、ユリアン様に会った。
ユリアン様は、こことは別の「異世界」から来たという。
俺には聞いてもよくはわからなかったが、コリネアとは全く別の文化の外国の者だと思えば良いのだろうと思っている。
このユリアン様が、これからの俺たちの作戦の成否を大きく握っているのだが、正直、俺はまだこの人にマリエット様の代わりが務まるとは思えずにいた。
「あなたも早いですね。こちらで何を?」
朝早くだというのに、パーティーにでも行くのではと思うようなゴテゴテのドレスを着こんでいたユリアン様を不思議に思い聞いてみた。
思わず訝しむような口調になってしまったが仕方ないだろう。
「ああ、私はね、階段の登り下りの練習をしていたの。」
「……は?」
思いもよらない回答が返ってきたため、思わず雑に聞き返してしまった。
そんな俺の反応に、ユリアン様は楽しそうに微笑んで返した。
「ふふ。こういう日常の動きって、体に染み込んだものだから、素が出ちゃうのよ。フォルカーさんに教えてもらっている、シーンごとのマナーとはまた違った部分だから、しっかりと掴んでおきたくて。」
聞いてもよくわからないと思っていたのが顔に出ていたのだろうか。
「ちょっと見ていてね。」
そう言ってユリアン様は階段に向かった。
「何も意識しない、素の私だとこうね。」
そう言ってユリアン様は、階段を踊り場まで登って、降りてきた。
「どうだった?」
「えっと、どうと言われても、うーん、登るのが軽やかだな?って感じですかね。」
ただ登って降りてきたなという見たままの感想しかなかった。
「うん、ありがとう。では、貴族として登ってみるわね。」
そう言ってユリアン様はまた階段の方を向いた。
「!!!!」
登りはじめから、先程とはまるで別人のようだった。
洗練された動きというのだろうか。さっきも別に、みっともなかったり、粗野な動きだったわけではない。
それでも、今の動きは全くの別物だとはっきりと言える。
思わずかしずいてしまいそうになる高貴なオーラを放ち、それでいて目で追ってしまうような華やかさがあった。
「どうだった?」
降りてきたユリアン様が、先程と同じ質問を投げてきた。
「驚きました。階段の登り下りだけで、こうも差が生まれるものなんですね。」
俺は率直な感想を伝えた。
「普段は意識しないけれど、人ってその動きを見るだけで、ある程度どんな生活をしている人か、なんとなくわかるものなのよね。意識して判断するというよりは、肌感覚というのかしら。私は本物の貴族ではないから、寮なんていう朝から晩までを過ごす生活の場に入るからには、何気ない動きまで、貴族らしい振舞いを出来るように、感覚を掴んでおかないとなって思っているの。」
そうやって微笑むユリアン様は、いつものユリアン様だった。
「ん?……血?」
ユリアン様の後ろに赤い点が続いているのが見え、目を凝らす。
そんな俺の視線の先をユリアン様が追う。
「…あ!!やばっ!」
ユリアン様は、赤い点が自分に続いているのに気付くと、スカートを持ち上げて足を見た。
「なっ、ちょっ……!!」
俺は、目の前でいきなりスカートを持ち上げたユリアン様に驚き目を背けようとしたが、その前に、ユリアン様のかかとから溢れる血に気付いた。
「ユリアン様、血が!!」
俺は慌ててユリアン様に駆け寄るが、当のユリアン様はあっけらかんと笑っている。
「あー、大丈夫、大丈夫。ただの靴ズレ。もともとかさぶたになりかけていたのが、剥がれちゃったのね。あああ、靴と床汚しちゃった。ドレスは…うーん、大丈夫そうかなっと。」
「そんな心配をしている場合じゃないでしょう!手当しなければ!…失礼いたします!!」
俺はユリアン様を抱きかかえ、ソファまで連れていき、メイドに治療を頼んだ。
「えへ、ありがとう。」
ユリアン様が気まずそうに、俺に礼を伝えてきた。
「まったく、どれだけ階段を登り下りすればこうなるんですか。」
「あはは。この国の靴は、伸びがいい素材で出来ているから大丈夫かなと思ったんだけどなあ。朝晩2時間くらいかな?日課にしていたんだけど、慣れない靴ではやっぱりだめだねぇ。」
「2?!そんなにやっていたんですか!」
「うん、と言っても、動作を確認しながらだから、ぶっ通しで登り下りしているわけじゃないわよ?」
「何故そこまで?」
「えー、エドアルトだって毎日それ以上にトレーニングしているじゃない。それと一緒よ。」
「いや、そういう事じゃなくて、ユリアン様の所作は、貴族と比べても遜色のあるようなものではないと思います。確かに先程の比較では別人のようで驚きましたが、普段のユリアン様でも問題はないように思えます。」
「あら、そう?(…お嬢様高校の生活が活きたかな…)ありがとう。でもね、素の私がそのまま出てしまうのでは駄目なの。今回、敵は私がニセモノだろうと思って見ているでしょう?そんな中で、本物と信じさせるには、誰の目にも聖女であり、フィーユであると信じこませる説得力がないと駄目なの。敵が特定出来ていないから、個別に対応する事も出来ないし、貴族の普通のラインより上質な振舞いを日常的にすることが絶対に必要だと思うの。それには、今の私じゃまだ足りないわ。」
そう言ったユリアン様の瞳は、熱を宿し、前をしっかりと見据えていた。
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相変わらず、朝早くに悪夢に起こされる日々は続いていたが、ディタと共に訓練に励む毎日は充実していた。
国でも屈指と評されている騎士である領主様直属の護衛隊から、領主様が交代で指南役を派遣してくださるため、訓練の質も高く保てていた。
ありがたい。
このまま剣を振り続ければ、きっと届くだろう。
あと何回振ればよいかはわからないけれど、このまま振り続けるんだ。
「はっ!!!?」
不意に殺気が向かってくるのを感じ、顔を向けると、すぐそこまで短剣が迫っており、慌てて剣で振り落とした。
「ああ、良かった。正気に戻ったわね。」
声の主を見ると、そこには少し慌てたような表情のユリアン様がいた。
「散歩に出てみたら、エドアルトが見えたからこちらに来てみたら、驚いたわ。
あなた、いったい何を切ろうとしていたの?」
「え?何を言って…?はっ、それより賊は!?」
「はあ。気付いていないか。……ちょっと、休憩に付き合ってもらえる?」
「いや、それよりも賊を見ませんでしたか!??」
「はいはい、大丈夫だから。いいから来て。」
ユリアン様は俺の手を引いて、ズンズンとベンチまで向かい、俺を座らせ、自分もその横に座った。
「はい、どうぞ。」
そう言って、サンドイッチを差し出してきた。
「今日は外で食べようと思って、料理長に頼んで作ってもらったの。一緒に食べましょう。」
そうして、自分も大きな一口で黙々とサンドイッチを食べはじめた。
よくわからないが、ユリアン様の有無を言わせない様子に、俺も食べることにした。
「ん、うまい…。」
「でしょう?私の国で食べられていたホットサンドという食べ方なの。サンドイッチとはまたちょっと違う美味しさがあるでしょう?」
そうして、俺が1つ食べ終えるとまた1つ差し出してきて、カゴの中が空になるまで、黙々と2人で食べ続けた。
「あー美味しかった!ね?」
「はい。ごちそうさまでした。」
「はい。」
ユリアン様が、水筒からお茶を入れ直して渡してくれた。
「ありがとうございます。」
ユリアン様は、日が上った空を眩しそうに眺めながら、話しをはじめた。
「ねえ、エドアルト。もしかして、毎朝、悪い夢で起こされたりしている?」
「え!何故それを?」
「はあ〜、やっぱりか。毎朝早起きだなぁと思っていたけど、さっき剣を振る様子を見たら、そんな気がしたの。
ああ〜、もうちょっと早く気付いてあげるべきだったわね。ごめん!!」
そう言ってユリアン様は、何故か俺に深々と頭を下げた。
「え?いや、何で??」
「エドアルトは剣に集中していたつもりだったと思うけど、私には、苦しそうな顔で、そこにはいないはずの敵に届こうと必死に剣を振っているように見えたわ。」
「いや、そんな事は…。」
「ううん。だって、名前をいくら呼んでも反応しなくて、仕方がないから、殺気を込めて木の枝を投げたら、ようやく反応したのよ?」
さっき俺が振り落とした短剣だと思ったものは、どうやら木の枝だったらしい。
「はは。参ったな…。」
それから俺は、ポツリポツリと、毎朝見る夢をユリアン様に語った。
ユリアン様は時々、うん、うんと頷きを返しながら、黙って俺の話しを聞いていた。
「そうだったんだね。頑張ったね。」
「…え?」
話しを聞き終えたユリアン様の「頑張った」という思わぬ反応に戸惑いながらユリアン様を見る。
「頑張ったよ。エドアルトが走っていなかったら、矢はマリエット様の心臓に刺さっていたかもしれないわ。
エドアルトがそこまで迫っていたから、敵は狙いを少し外したんでしょう。そう言われても納得は出来ないと思うけれど、事実は正しく見つめるべきだわ。」
「俺の剣が敵の狙いを外させた…?」
「うん。客観的に聞いた限り、そう思うよ?」
「は…ははは……」
思いもよらない言葉に不意をつかれ、言葉が心の奥底まで届き、涙が溢れてきた。
「もちろん、悲しみや悔しさは切り離せるものではないけれど、マリエット様だって自分の信念に従って、戦の場に出たんだもん。みんなが自分の役割に真っすぐ向き合ったことを私は素晴らしいと思う。」
ユリアン様は、優しくそれでいて力強く、そう言って、俺が落ち着くまで、黙って側に寄り添っていてくれた。
「それじゃあ、今日はもう、剣を振るのは禁止ね!私のレッスンに付き合ってちょうだい。」
ニッコリと笑ったユリアン様に引きづられて、その日はユリアン様に付き合わされ、フォルカーさんのダンスレッスンに、マナーレッスン、座学を俺まで一緒に受けさせられて過ごした。
「な…んだ…これ……」
今日の全てのプログラムを受け終えると、全身、脳も含めた頭の先からつま先までがぐったりと疲れていた。
学ぶ量の多さもすごいが、それを教えるフォルカーさんの鬼っぷりといったら、思い出すだけで身震いがする。
これを毎日受けて、さらに階段の登り下りを2時間続けているって、並の体力、精神力じゃないぞ…。
「参ったな。」
部屋に戻りベッドに倒れこむと、無性に笑いが込み上げてきて、一人声を上げて笑った。
ユリアン様なら、確かにマリエット様の代わりを立派に勤め上げるだろう。
エンギというものが、本物を積み上げた中に生まれるものなのだと、ユリアン様を見ていてわかった。
あの人なら、マリエット様襲撃の犯人を捕らえて事件を解決に導いてしまうかもしれないな。
そんな確信にも似た予感があった。
「はーあ、あの人についていくには、もっと鍛えなきゃいけないな。」
その日、俺は、久しぶりに夢を見ることなく、朝までぐっすりと眠った。
時間軸でいえば、本編6話時点くらいのお話しです。
エドアルトの初登場が9話なので、タイトルは9話時点としています。