「お札」←なんと読むでしょう?
答えは「おさつ」、もしくは「おふだ」です。
「おさつ」は紙幣……千円札や一万円札といった紙のお金のことで、正式名称は日本銀行券になります。
一方の「おふだ」は、神社や寺がまつる神仏の加護を宿す護符、またはお守りを指します。
同じ字を使うのに、ここまで意味が異なるのは不思議ですね。ですが実は、おさつとおふだには非常に密接な関係があるのです。
日本最初のおさつは江戸時代初期、伊勢の山田という地で暮らす商人が作り出しました。
商人は縦長の紙に、この紙が少額銀貨と同価値である、という旨の文字を彫った木の判子を押し、それをお釣りの代わりとして人々に渡したのです。
当時の貨幣は重くてかさばりやすく、また貨幣を作る金属が不足しがちでもあったため、それを紙に代用したのは大変な発明でした。名前を山田羽書と言います。
ですが、価値ある銀貨をただの紙切れに置きかえてしまうわけですから、人々は中々信用してくれません。そこで商人は神社や寺の許可を得て、信仰の象徴である神仏を彫った判子も作り、紙に押すことにしました。
こうして山田羽書には、おふだとしての霊力も付与されました。すると人々も山田羽書を「ふだ」と呼んでありがたがり、二百年以上ものあいだ伊勢を中心に普及するようになったのです。
この紙幣という形式は他の地方でも参考にされ、明治時代にはついに全国で使える政府紙幣——太政官札が発行されます。
日本で「札」を「さつ」と呼んだのは、太政官札が初の事例でした。そしてこの「札」に、尊敬語の「御」をつけたことで、「おさつ」という言葉が誕生したのです。
さらに時をへて科学が進歩し、神仏への信仰が揺らいでくると、おさつからはおふだの面影が薄れてしまいました。ですが現一万円札の裏面には、阿弥陀如来をまつる平等院の霊獣である、鳳凰の像が描かれています。また、現千円札と前五千円札の裏面にある逆さ富士も、縁起物として神仏に深く関わっています。
以上の経歴からわかるように、おさつはおふだの一種とも言える歴史と霊力を持ち合わせているため、今日まで「お札」の字を共有してきたのです。
ところで、あなたはおさつに奇妙な違和感を覚えた経験はありませんか。
たとえばそのおさつを手にしていると、うすら寒さを感じたり、誰かに見られているような視線を感じたり、といった経験です。
ある、という方は気をつけてください。
それは「御殺」と呼ばれる呪物かもしれません。
前述したとおり、おさつにはおふだとしての霊力が宿っています。そのため、おさつが浅ましい欲望で穢れ切ってしまうと、一転して害を振りまく呪物に変貌してしまうのです。
もしかしたら、あなたの持つそのおさつは、
売春で使われたことのある、性欲にまみれたおさつかもしれません。
詐欺で奪われたことのある、悪意に染まったおさつかもしれません。
暴力で盗まれたことのある、鮮血に彩られたおさつかもしれません。
こうした極端な例でなくても、おさつというものは常に、人の欲望を満たすために使われます。つまり、この世にあるすべてのおさつは穢れる運命にあるのです。
そしてひとたび御殺に変わってしまえば、所持しているだけで人を狂わせていきます。お金に盲目になり、浪費癖がつき、体を売り、悪事に手を染め、いずれその身を破滅させてしまうでしょう。
いえ、それだけならまだましかもしれません。ときには、あまりに不気味な死を遂げる被害者もいるのですから……。
御殺の被害者は、明治時代にはすでに存在しました。それを記した人物は、なんと現一万円札の肖像、福澤諭吉です。
諭吉は自伝で、大黒札(当時の日本銀行券。大黒天という、ふくよかな神様が描かれているためそう呼ばれた)について以下の文章をつづっているので、そのまま引用します。
私の懐に面妖なる大黒札あり。
その大黒天は笑う。きゅうと帯を締めた心算の欲を解く、魔性と呼ぶべき笑いにして、耳に聞こえざるものなり。
僅でも気を許そうものなら、女を買えと私の足を走らせる。一寸と酒屋に寄れば、売物を袖に入れよと囁く。
誘惑に負けじと財布より引き抜かんとすれば、件の御札は影も形も見当たらぬ。真に不気味なり。
寺の住職曰く、それは人の欲によりて加護が反転せし呪物なり。嘗て山田羽書にも類似の逸話ありと言う。
余りの恐怖ゆえ、私はその大黒札を好事家の知人に譲り渡した。
顧みれば、愚行であった。
後に知人は、夥しい大黒札を喉に詰め窒息死した。自死と認められた。
人の欲を喰らいし御札は、やがて人を死に至らしめる。正に呪物と言いて可なり。
私はこれを、御殺と命名す。
品を買うても魔に魂は売らぬべく、とかく用心すべし。
用心すべし。
これを書いた半年後、御殺の名づけ親である諭吉は脳出血で倒れます。回復はしたものの、数年後に再発症し、この世を去りました。
ですが当時の医療では、脳出血だと明確に診断するのは困難だったようです。では、なぜこのような診断がくだされたのでしょうか。そして、本当の死因はなんだったのでしょうか。
晩年の諭吉の日記には、震えた筆致で次の一文が残されています。
御殺が帰ってきた。
再び御殺を手にした諭吉がそれをどうしたのか、今となっては誰にもわかりません。
しかしながら、大隈重信など政治家とも繋がりのあった諭吉が、もし御殺の呪いで奇怪な死を遂げたのだとしたら。世間で妙な噂が広がらないように、政府が診断結果に手を加えてもおかしくはないでしょう。
そう考えると現一万円札はまるで、今なお諭吉が御殺の呪いに囚われているようではありませんか……。
諭吉の逸話は他人ごとではありません。呪物になり得るおさつは、むしろ欲望があふれる現代でこそ生まれやすいのですから。
その間接的な証明なのか、日本銀行は少々の汚れでもおさつを回収しています。おさつは物理的な汚れでも御殺に変わるため、日本銀行は密かにその芽を摘んでいるのかもしれません。
わたしたち国民に、御殺の脅威をひた隠しにしながら——。
ここで一度、あなたの最近の記憶を手繰り寄せてみてください。
おさつから気味の悪い視線を感じたことはありませんか。
自分はお金に操られていると思う出来事はありませんか。
日々お金への執着が強くなっている覚えはありませんか。
これら以外にも、お金に関して少しでもぞっとする経験があれば、あなたは御殺に魅入られていると考えて間違いありません。
財布の中をのぞいてみてください。やけにくたびれていたり、変なにおいがしたり、汚れが目立つおさつはないでしょうか。
御殺の呪いは他のおさつにも伝染します。思い当たる一枚があるなら、あなたの財布はすでに御殺まみれになっているかもしれません。
怖くなって手放しても無意味に終わるでしょう。なぜなら、すでにあなたと御殺が「縁」で結ばれてしまっているため、巡り巡って再びあなたの手元へ戻ってくるからです。
この「縁」を完全に断ち切るには、御殺を処分しなければなりません。とはいえ呪いを浄化する必要がある以上、素人には不可能です。もし切り刻んだり火をつけようものなら、御殺の中の呪いが飛び出して手がつけられなくなります。
そこで、提案があります。わたくしに御殺の処分を代行させて頂けないでしょうか。わたくしは御殺の知識を十分に持ち合わせています。処分方法についても同様です。
もしあなたに御殺のお心当たりがあれば、それを封筒におさめてお送りください。このわたくし、桔梗院聖子が誠心誠意、対処いたします。
あて先は、東京都目黒区
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「狸婆め」
マスク越しに吐き捨てた俺は、書斎机のパソコンが表示する書きかけの文章から目を離した。
机のそばでうつ伏せに転がっている、狸の置物めいて肥えたネグリジェの女を一瞥する。高価そうな紫色の絨毯が、彼女の乱れ髪を中心に赤黒く染まっている。その光景を、机に置かれた大きな水晶玉が無感情に見下ろしていた。
この邸宅の主——桔梗院聖子は、ここ一年で大きく名をはせたスピリチュアルカウンセラーだ。最近では「本物の霊能者」とまで呼ばれている。見事に矛盾した表現だがそれはさておき、最近は信者がぐんと増えて調子に乗ったのか、こんなお祓い詐欺にまで手を出していたらしい。
金の歴史に詳しい俺からすれば、山田羽書や太政官札のくだりはまあまあ史実だ。だが、御殺に関する記述は首をひねらざるを得ない。
福澤諭吉は、少年期からおふだを踏みつけたり神社を荒らしたりと、神仏への信仰心が欠片もない性格だった。それは死ぬまで変わらなかったそうだ。
そんな男が呪いに怯えたりするものか。パソコンに諭吉の名前を見つけたから読んでみれば、ひどい捏造を目にしてしまった。
だが漢字の一致から、おさつにおふだを絡めて心霊要素を加えたのは巧妙だった。日常生活でありそうな例を挙げて不安をあおってやれば、信者なら簡単に騙せるだろう。そして彼らは桔梗院のことを、「無償で」呪物を引き取ってくれる聖人としてあがめるに違いない。
金よりもまず心をつかめ。詐欺師の常套手段だ。
なんにせよ、この詐欺狸が呪物とやらに煩わされることはもうない。どうか安心して地獄を満喫してほしい。手にかけた俺からのささやかな願いだ。
「さて」
改めてキャップを深くかぶり、手袋もきっちりはめた俺は、血染めの金槌を入れたプラスチック袋をボストンバッグにしまった。
本棚の脇で鎮座する金庫に向かう。この女が書斎に現金をたんまり蓄えているのは調査済みだ。美人だ本物だとおだててやったら、たやすく口のひもを緩ませてくれた。
急に大金が舞いこむようになった人間は、まだ金銭管理のノウハウが浅くセキュリティ意識も甘い。この住居にすんなり忍びこめたのもそれゆえだ。これこそ大金持ちより小金持ちを狙うメリットだと、俺は今まさに実感している。
金庫はシンプルなダイヤル式だった。体内時計で五分きっかりにロックをあける。四角く切り取られた空間で、ピラミッド型に積まれた新札の束と対面した。
札束の一つを手に取る。諭吉は相変わらず神仏を見下げているように冷めた顔をしていた。それでこそ俺の親友だ。
まるまる太ったボストンバッグはいったん放置し、書斎机の中もあらためることにした。多大なリスクを背負った分、リターンはできるだけちょうだいしておきたい。
「おっ」
左の引き出しに、七つの封筒が入っていた。あけてみると、中身はすべて紙幣だった。五千円札と一万円札はそこそこで、千円札が最も多い。だが、そのほとんどが使い古されたようにくたびれている。
「なるほどね」
桔梗院はおそらく、前々からお祓い詐欺で小金稼ぎをしていたのだろう。それに味を占めたものだから、もっともらしい文章をでっち上げ、そのうち大勢の信者から金を騙し取るつもりだったと見える。
俺は鼻歌を歌いながら、くたびれた紙幣を数えることにした。本来ならとっとと逃げるところだが、幸い桔梗院は独り身だ。それに、十二時を回ったこの真夜中に訪問者もないだろう。
なにより、金庫の収穫が予想以上で気分が良かった。もう少しこの場の空気に触れていたい。
明日は久々に高級風俗でも利用しようか。俺は握りつぶした金で嬢を抱くのが好きだった。金はしわまみれでも価値に変わりはないが、女はそうもいかない。その違いを見せつけることに、俺は果てしなく興奮するのだ。
七つの封筒には、風俗三回分の金額が入っていた。オマケにしては満足のいく収穫だ。
俺は右手に紙幣の束を、左手に封筒の束を握り、軽い足取りでボストンバッグへ歩み寄った。山積みになった札束の上に封筒を投げる。そして紙幣も入れようとゆっくり腰を落とした。
そのとき、頭のすぐ後ろで鈍い音がした。
一瞬視界が真っ暗になった。それを照らすように、火花が目の中でちかちかと踊り狂う。遅れて、熱した鉄の棒を後頭部にねじこまれたかのごとき痛みに襲われた。
よろめきながら倒れこんだ俺の目の前に、丸い物体がぼとりと落ちて転がってきた。水晶玉だった。透きとおった表面には、赤い手のあとがべったりついている。
足元で、重たいなにかが床に倒れた。振動が絨毯を伝い、激しい鈍痛が頭蓋骨を走る。
朦朧とした意識の中で、俺は悟った。
桔梗院め、まだ息があったか……。
たった今力尽きたようだが、油断していたせいで気配に気づけなかった。
体を起こそうとするが、鉛めいて重たい頭痛のせいで上手くいかない。四肢も尋常ではない痺れに侵されている。まるで無数の寄生虫が皮膚の下で蠢き、肉をついばんでいるかのようだ。
辛うじて動く右手は、顔の前に持ってくるだけで精いっぱいだった。握力も弱まり、紙幣が次々とこぼれ落ちる。
首筋に生あたたかい液体が流れてきた。鼻の奥から鉄のにおいがする。まぶたがゆっくりと、しかし確実に沈んでくる。
嫌だ、死にたくない。
だが、そんな恐怖さえも闇にのまれていく。五感すべてが、底なしの砂穴にずるりずるりと落ちていく……。
そんな俺の最期を、どうやら諭吉が看取ってくれるらしい。彼だけはまだ右手に残っていた。
今まで非科学を蔑んできた俺だが、この事実には運命を感じざるを得なかった。まるで彼に命が宿り、俺を見守ってくれているように思えた。
俺は親友を目に焼きつけようと、引きつるほどの力をまぶたにこめた。
…………。
……なんだろう。
なにか、おかしい。
視界の半分が闇に覆われたところで、小さな疑問がふわりと浮かんだ。だが、それがなにかまではわからない。考えるだけの気力がもうなかった。
やがて俺は、彼と見つめ合ったまま、静かにまぶたを閉じた。