カレー
この家族は複雑である。
しかし、
この家族はどこにでもある家庭の姿でもあった。
____
ーガチャリ。
「ただいまー…」
平日の深夜。
囁くような声でそっと玄関のドアを開けたのはこの家の父である。
彼はある大手会社の漫画雑誌の編集長をしており、
会社と作家の板挟みで多忙な毎日を送っていた。
彼が家に帰ってこれること自体稀で、今日がその珍しい日だった。
「お帰りなさい」
深夜であるにも関わらず、彼をそっと出迎えるのは彼の妻である。
彼女は今人気のエッセイ作家であり、出版社の締め切りが迫っていることもあってこんな時間まで起きていたのだ。
そのためか彼女の目元にははっきりとしたクマが浮かんでいた。
二人はお互いの顔を見てプッと吹き出す。
「ひどい顔だな、ちゃんと寝てるのかい?」
「えぇ、今ちょっと忙しいだけで普段はちゃんと寝てるわ。
それに貴方こそ人に言えない顔してるじゃない。
ちゃんとご飯食べてるの?」
「大丈夫、ちゃんと食べてるよ。
子供たちはもう寝ちゃったかい?」
「こんな時間まで起きてるわけないじゃない。
今日はこのまま家で寝るの?」
「そうだよな…。
いや、着替えを取りに来た。
子供たちの寝顔を見たらこのまま会社かな…」
「そう…あんまり無理はしないでね。」
「ありがとう、でもその言葉は君にも当てはまるさ。」
父親が汚れた服を洗濯機にいれようとした時、
洗濯機の底に入れられた泥だらけの野球服を見つける。
「…長男は野球クラブ、その、上手くやっているかい?」
「ええ、この前なんて試合でレギュラーになったのよ。」
「そうか!
楽しくやっているならいいんだ、あいつは野球が上手いんだなぁ。」
父は嬉しそうに笑うと、
「長女は長男と喧嘩してないか?
あの子はいつも長男にくっついて歩いていたが今も?」
「兄妹の仲は良いわよ。
ただ年頃の友達ができたからかしら、もうお兄ちゃんについて回るってことは無いわね。」
「そうか…年頃?
まさか、小学校でラブレターなんて…ないよね?」
「フフフ、今の所はまだ聞かないわね。
貴方、心配しすぎよ。」
「そうかなぁ…」
着替えを回収すると、子供部屋にそっと入る。
「うーん…やっぱり寝てるよね…でも家の子は寝顔も可愛いな…」
小学生5年生の兄と小学生3年生の長女が寝ている二段ベッドを父が交互に覗き込む
「あんまり五月蝿くすると二人が起きちゃうわよ。」
「うん…あ、そろそろ行かないと。」
「あら、もう行っちゃうの?」
「うーん、明日までに終わらせないといけない仕事があってね。」
母は父を玄関まで見送る。
「貴方、明日何の日かちゃんと覚えてるわよね?」
「わかってるよ、第二土曜日のカレーの日だろ?
昼には帰ってこれるから。」
「えぇ、子供たちも楽しみにしてるんだから送れないでね。」
「あぁ、じゃあ行ってきます。」
「えぇ、行ってらっしゃい。」
1家にはルールがあり、ちょうど明日は月に一度、
第二土曜日に家族皆で協力して作るカレーの日であった。
____
翌日の昼。
ーガチャリ
「ただいまー」
昨晩とは違い音を立てて開けられた玄関から父親の声が聞こえた。
「お帰りなさい、時間通りね。」
「うん、ただいま。
この日だけはちゃんと休めるように頑張ってるからね!
二人は?」
「二人は友達と遊びに行ってるわよ、
夕方には帰ってくると思う。」
「うーん、じゃあ子供たちが帰ってくるまで僕と昼寝をする?」
「…バカ。しょうがないわね…」
____
同時刻。
地域の公園には、長男とその友人二人が三人で通信ゲームをしていた。
長男「っしゃぁ!俺の勝ち!」
その中の一人が勝ったのだろう、嬉しそうにガッツポーズをし、
友人A「マジか!またかよー!」
友人B「今日なんかお前調子良いな!」
残りの敗者であろう二人が
肩を落としたり頭を掻いたりと思い思いの反応をしていた。
長男「当たり前だぜ!
今日の俺はいつもと違うからな!」
そう言って勝者は二カッと笑った。
____
同じ時間の、地域の図書館。
いつもは静かな図書館だが今日は小さな鼻歌が聞こえる。
長女「フフフーンフフーン♪」
友人「どうしたの機嫌がいい…って、
今日ってアンタん家カレーの日だっけ?」
長女の鼻歌が気になったのだろう、隣で静かに本を読んでいた長女の友人がヒソヒソと声をかける。
長女「そう!そうなの!
えへへー、楽しみだなぁ。
パパもう帰ってきてるかな?」
友人「いや、パパは知らないけど。
まぁ楽しみにするのはいいけど図書館では静かにねー」
そう言って長女にぐいと顔を近づけた。
至近距離から見た
呆れたように笑う友人の目は案外優しかった。
本気で咎めているわけじゃないことを知っている長女も、
「はーい、気をつけます!」
と言ってズイと友人に顔を近づけると、
二人はお互いの顔の近さにクスクスと笑った。
____
夕方、明かりが灯った家に長男が帰ってくる。
「ただいまー!」
「お帰りなさい。」
「お帰り。」
「ちょっと、お兄ちゃん遅ーい!」
長男を暖かく迎える両親と、早めに帰ってきた長女が出迎える。
「まぁまぁ。
長女、今からカレー作るか?」
「うん!」
「長男は手洗いとうがいをして来なさいよ?」
「はーい!」
手洗いとうがいをすましてきた長男がキツチンに入ると、もう材料が用意されていた。
「お兄ちゃん、はやくはやく!」
「わかってるよ!」
子供がピーラーでたどたどしく野菜の皮をむいて、皮のむかれた野菜とお肉を父が付きそいながら具材を切る。
「うーん、ちょっと大きいかな?」
具材が少し大きいのは見逃してやろう。
「具材できたー?」
その間に母が米を研いで炊飯器に入れスイッチを押し、
「はい、これでいいかな?」
「ありがと。あら、少し大きい?」
母親はフフフと笑うと、
三人が切った不揃いで大きめの具材をカレーに入れ、
ゆっくりかき混ぜながらじっくりコトコトと煮込む。
母がカレーを煮込む間必ずビートルズのand i love herを鼻歌で奏でる。
三人は決まって母の上機嫌な後ろ姿を見ながらカレーができるまでの一時を楽しむのだ。
カレーのスパイシーでほんのりと甘い香りがリビングを埋め尽くす、
家族全員が同時に集まってご飯を食べる滅多にない日。
丁寧にトロリと煮込まれたカレーはほんのり甘く、少しだけ辛い。
チョコレート色に煮込まれた具材がテラテラと光を反射している。
米とカレーの境界線、
その一角にちょこんと置かれた福神漬は真っ赤に咲いた花のようで食卓に彩りを与えた。
家族にとってこのカレーは幸せの味。
何より一番のスパイスは家族全員の笑顔。
「さて、それじゃあ食べようか。」
「美味しそうね。」
『うん!』
「それじゃあ手を合わせて…皆んな一緒に!」
『頂きます!』
作者にとって短編は1500あれば大作…
しかしこのカレー、なんと!
2500超えてるんですよ!
すごい!
ほのぼのって書くの難しい。
感想待ってます!(`・ω・´)ゞ