7.邪魔者は排除しよう
数日後、やっとグリードを許してくれたターシャが、店に連れて行ってくれることになった。
一緒に店に向かって歩く姿が狼だったなら、尻尾をブンブンと振っていただろう。だが、グリードが機嫌よくいられたのも、昼までだった。
早い時間帯は客もおらず、店の中を掃除していたのだが、陽も高くなると、客は途絶えることなく続く。
先客がいても帰ろうとはせず、予約して外で時間を潰す客もいて、やはりターシャの占いの腕は相当なのだとわかった。
客がいると、当然グリードは店の中にはいられない。
仕方なく、壁や窓を洗い、草むしりをして客が帰るのを待った。
(俺、めちゃめちゃ健気じゃね?)
そんなことを思いながらも、なぜか上機嫌のグリードが鼻歌を歌いながら店の裏で草むしりをしていると、ドアが開く音がした。
午前の客はこれで最後のはずだ。
「よっしゃー。やっと休憩時間――ん?」
いそいそと立ち上がったグリードだったが、嫌な匂いに鼻をひくつかせ、顔を顰める。
この匂いには、覚えがあった。
「アジルめ……。まだしつこくターシャを狙ってるのか……」
裏からそっと通りを伺うと、そわそわと落ち着かない様子のアジルが、店の中を窺っていた。そして、中に客がいないことを確認すると、窓ガラスで身だしなみを確認する。
グリードの手により、綺麗に吹き上げられた窓ガラスを見ながら髪を撫でつける様子に、グリードは「お前のために窓を綺麗にしたんじゃねえんだよ!」と、心の中で悪態をついた。
だが、勿論そんなことに気づかないアジルは、最後に笑顔の確認をすると、満足げに頷く。
アジルはドアノブに手をかけ、大きく深呼吸すると、一気にドアを開けた。
「よう、ターシャ。なんだよ、今日も昼抜きか? なんなら、俺が奢ってやってもいいぞ」
素直に食事に誘えばいいものを、アジルはそれができないらしい。
言葉通りにしか受け取れない、男心に鈍いターシャは、その言葉に対して、心底迷惑そうにため息をついた。
「い ら な い」
「そう言うなって。隣町のメインストリートに、最近美味い店ができたんだ。ちょっと値が張るけどよ。ま、俺がいるから大丈夫さ。行こうぜ」
このやり取りで、なぜ行く前提で話が進むのかわからない。
この男は、一体どうしたらちょっかいをかけるのを止めてくれるのか、わからない。
ターシャはほとほと困り果てていた。
アジルは村長の息子だ。金持ちであることを鼻にかける以外は、まぁ、我慢できない程ではない。
むしろ、周りの同年代の女性たちはそんな自慢すらも、快く受け止めている者も多く、彼に好意を持っている者もいるらしい。ならばいっそ、その女性たちにちょっかいを出せばいいものを、なぜこんな村の外れの小さな店にまでやって来るのだろう。
いつもなら客を理由に断るのだが、残念ながら次の予約は昼過ぎだ。
さて、どう断ろうかと考えていると、タイミング悪く、腹の虫が空腹を主張した。
「ほら、腹減ってんだろ? 行こうぜ」
「いや……。だからね、私は――」
最悪だ。なぜこのタイミングで腹が鳴るのだ。
ターシャは両手を腹にあてるが、勿論、止まってくれない。
最悪だ。
こんな軽い自慢男となんて、出かけたくない。
どう断ったらこの男に通じるだろう……そう思いながら言葉を探していると、再びドアが開いた。
「ターシャ。そろそろ、弁当にしないか?」
「あっ」
「ああん? なんだお前」
一瞬、三人の間で沈黙が流れる。
グリードはアジルがどう出てくるのかを待ち、アジルは目の前の男が何者なのか、処理しきれないようだ。そして、ターシャはというと、綺麗さっぱりグリードの存在を忘れていた。
「そういえば、いたんだっけ」
「ひでーな、アリーシャ。朝、一緒に家を出たろ?」
「はっ?」
勿論、同じ家から来たというのは、わざと言ったのだ。
アジルはそれに簡単にひっかかった。
「おい、お前……! 誰かわからんが、とにかくお前! ちょっと表出ろ。お前に言って聞かせたいことがある!」
「いいけど。手短にしてくれるか? ターシャ、テーブル片付けておいてくれ」
「え? あー、うん」
テーブルを片付けると言っても、広げてある布を外すだけだ。それよりも、グリードの言った“弁当”が気になった。ターシャは認めないだろうが、すっかり胃袋を掴まれている。その証拠に、ターシャは、いそいそと布を外して綺麗に畳んだ。
「おい、お前一体何者だ? 最近ターシャの周りに、やけに男前なやつがうろついてるとは聞いたが……」
「ああ、それは俺だね。男前だなんて、照れるなぁ。……で? それを知ってるのに、まだターシャにちょっかいかけてんの? 懲りないな。しつこい男は嫌われるぞ?」
「う、うるせえ! そんなのは、単なる噂で、誰かが面白がって流したと思ってたんだ。第一、この村では俺に歯向かう男なんかいないからな!」
「あー、それで、ターシャに近づくなって他の男を牽制してた口か」
「な! なんでそれを……!」
「ターシャがあまりにも無防備で、全然自分の魅力に気づいてないからね。勿体ないな~って思って。でもまあ、礼を言うよ。俺の代わりに、他の男を遠ざけててくれて、ありがとう」
「お前のためじゃねえ! お、お前も近づくな! 大体、お前なんなんだよ!」
やけに落ち着いていて、脅しともとれる言葉にも微笑みを返すグリードに、堪忍袋の緒が切れたアジルが、胸倉を掴んだ。だが、グリードはビクともしない。人狼にしては細いその身体も、ただの人間と較べようがないくらい、筋力が発達している。
掴みかかられていながらも、落ち着いた静かな視線で見下ろすグリードに、アジルはゴクリと喉を鳴らした。
「俺? 俺はねえ、人狼だよ」
「は?」
「人狼。つまり、狼男だ。……お前さぁ、最近この辺りで、狼を見なかったか?」
グリードは大きく口を開けて、ニッコリ笑う。
グリードの言葉が信用できず、アジルは胡乱気な目を向ける。だがその目の前で、グリードの口の中に変化が起きた。
綺麗に並んだ歯が、にょっきりと伸び、立派な犬歯が現れたのだ。
「ヒッ……」
アジルは湖で遭遇した大きな黒い狼を思い出し、力が抜けたように手を離した。そして、じり、じりと後ずさる。
「ガゥゥゥ!」
大げさに吠えてみせると、アジルは尻もちをついてしまった。前に投げ出した両足は、ブルブルと震えている。
情けないやつだ。こんなのがターシャを狙っていたかと思うと、反吐が出る。
心底軽蔑したような、冷たい目で見下ろす。
すっかり怯えたアジルは、泣きだしそうな目でグリードを見上げた。
「ターシャから離れるのは、お前の方だ。覗き魔アジル」
「ヒィィィィ!」
アジルは真っ青になると、震える足をもつれさせ、転びそうになりながらも、なんとか通りを走って行った。
「ばいば~い」
グリードはアジルの後ろ姿に手を振ると、「さてと」と掴まれた胸倉を直した。
歯はもう元に戻っている。
「あ~あ、これターシャが気に入ってくれてるシャツだぞ。クシャクシャじゃないか。まったく、野蛮なやつだな」
「あれ? アジルは?」
ドアを開けて顔を覗かせたターシャが尋ねた。
「帰ったよ。ターシャが迷惑がってるから、金輪際近づくな~!って言っといたぞ」
「ええっ? そんなんで帰ってくれたの?」
「ああ。案外、話のわかる男だった」
「ええ~。私の今までの苦労はなんだったのよ……」
ターシャは不満げに頬を膨らませる。よほど困っていたのだろう。
「それにさ、今日は弁当があるし、わざわざ隣町なんて、次の客が来るまでに食事が終わらないじゃないか」
「あ、そうそう! ねえ、弁当ってなに? そんなのいつの間に用意したの?」
アジルがいなくなった今、ターシャにとっては彼の誘いなどどうでもいいらしい。
ターシャの頭は、グリードが持ってきたという弁当のことでいっぱいだ。
「朝詰めて来た。ほら、分厚いハムのサンドウィッチと、こっちはスライスしたイモを焼いたヤツだ。それとこっちはサラダに、木苺のジュース」
バスケットから次々出される食べ物に、ターシャは目を輝かせた。
「すごい! 美味しそう。食べていい?」
「ああ。食え食え」
「美味しい~!!」
ターシャは嬉しそうに口いっぱいに頬張っている。そんなターシャの様子に目を細めると、グリードも大きな口でサンドウィッチを頬張った。