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1.狼が落ちていました

 ターシャが住むのは、いくつかの大きな王国に囲まれた小国だ。

 資源も多くなく国力は強くはないが、大国に挟まれていることで、貿易国家としてそれなりに潤っている。

 隣接する国はいずれも、代々公正で優秀な国王によって治められ、長く繁栄している。その上、互いが同盟を結んでいて争いもないことから、人々は皆、この一帯を『おとぎの国』と呼んでいた。

 ターシャはそんな恩恵をあずかった小国の片隅で、占い屋を営んでいる。

 当たると評判のターシャの店には、その噂を聞きつけ、国境を越えてやって来る客も多い。話し込む客も多く、今日の客のようにすっかり遅い時間になってしまうこともよくあった。

 家に着いたターシャは、テーブルの上に乱雑に乗った物を腕で乱暴に寄せると、中央に客の女性からもらったバスケットを置いた。バスケットに押され、いくつか物が落ちたが気にしない。まずは食事だ。

 皿とグラス、そしてナイフは必要だろう。

 台所に向かうが、戸棚には皿の一枚も入っていなかった。仕方なく流し台に積みあがった中から、比較的きれいな皿とグラスを選ぶと、軽く洗ってテーブルに戻る。


「あ、ナイフ忘れた」


 イスに座ったところで気が付いたが、また取りに行くのも面倒だ。

 結局、パンは手でちぎり、リンゴにはそのまま齧り付く。干し肉は、今日は食べるのを諦めることにした。

 食事を終えると、服についたパンくずはそのまま払い落す。流し台に皿とグラスを置くと、空の戸棚を見て洗い物を片付けようかどうしようか一瞬迷ったが、結局そのままにして、鞄を持って寝室に向かった。

 今日は長い一日だった。洗い物くらいサボっても、死にはしない。ターシャは自分にそう言い聞かせた。


(明日やろう……)


 明日やろう、明日やろう、と毎日のように掃除や洗い物を翌日にまわしているのだが、今はそんなことよりも休みたかった。

 さすがにベッドにたどり着くまでに散乱した荷物を避けて行くのは面倒だが、一人暮らしという、誰にも咎められない気楽さで、ついつい後回しにしてしまう。


(ルーシアが見てたら、絶対怒られるわね)


 そう心の中で反省しながらも、鞄の中から今日の売り上げを取り出すと、ベッドの下に置いてある箱に無造作に突っ込む。そしてそのまま布団に潜り込むと、丸くなってすぐに眠りに落ちた。



 * * *



 久しぶりにお客が少なかったある日、ターシャは仕事帰りに、商店街で食材を買い込んでいた。


「う~ん……。果物も買ったけど……野菜も欲しいなぁ……」


 既にパンが入った袋と果物が入った袋で、両手が塞がっている状態で、店の前であれこれ考えていると、馴れ馴れしい腕がターシャの肩に乗った。


「ターシャ! なんだよ。買い物か?」

「……アジル。ちょっと、この手を寄せてくれない?」

「なんだよ。荷物持ってやるって。野菜も買いたいんだろ? ひとりで持てないじゃないか」


 この男は、一体いつからこちらの様子を窺っていたのだろう。

 独り言をしっかりと聞かれ、ターシャは顔をしかめた。だが、そんなターシャにもアジルは怯む様子を見せない。


「なんだったら、家からロバを連れてくるか? 俺が買ってやってもいいぜ? ホラ、この時期、隣村の葡萄がうまいんだ」

「いらないわよ。もう、いいから手を離して」


 村長の息子であるアジルは、いつもターシャを見かけるとこんな風にちょっかいをかけてくる。それが、いつも金持ち自慢なものだから、鼻につくといったらないのだが、本人には自覚がないらしく、直る気配がない。


「なんだよ。お前、隣村の葡萄食べたことないだろ。なあ、仕事が早く終わったんなら、行ってみないか? 帰り送るからさ」

「いらないって言ってるでしょ」


 葡萄には惹かれるが、アジルと一緒に行くなどまっぴらごめんだ。それに、この村よりも栄えている隣村へと誘うものだから、商店街の店主の視線が痛い。ターシャは昔馴染みのここの商店街が好きだし、同族と見られては困る。


「アジル。お前、この前もロバを勝手に拝借して、村長に大目玉くらってたろ。今日だって、出歩いていいのか? 昼間、村長が探してたぞ?」

「えっ? あっ、やべっ! あああああ、ターシャ、じゃあ、またな! 約束だぞ!」


 そんな一方的に約束されても困る。

 ターシャは、追い払ってくれた八百屋の店主に礼を言った。


「いいってことよ。アイツ、最近村長の代理で街に出ることも増えたもんだから、やけに都会人ぶりやがる。まったく、あれじゃ先が思いやられるよ。さて、なにを買うんだい?」

「ジャガイモと、ニンジンと……あとは……」


 両手に袋を提げていてもなお買い物を続けるターシャを、店の主人が苦笑しつつ、次々と商品を袋に詰めていく。


「ターシャ。そんなに買って、また腐らせちまうぞ?」

「今回は……気を付けるわ」


 決して、使いきれずに腐らせてしまったわけではない。

 たまたまニンジンを置いていた場所に他の物を置いてしまい、それが発掘されることもなく異臭を放っただけだ。

 やはり面倒でも、食材は台所の定位置に置いておかなくては。

 あの時は大変だった。

 黒くなり、ぬるぬるとした謎の物体に変わり果てたニンジンは、その上に置いていた書物にまで被害を拡大させたのだ。


「ちゃんと掃除してんのかい? ルーシアが知ったら悲しむぞ」


 ルーシアの名を出され、ターシャはしおらしく頷く。

 ターシャは記憶を失い、森にいたところを、ルーシアに拾われた。

 十六歳という年齢も、ターシャという名前も、全てルーシアが与えてくれた。

 誕生日は、ルーシアが森でターシャを見つけた日。

 その頃、五歳くらいに見えたからという理由で、その一年後、ルーシアは六歳の誕生日をしてくれた。

 どこの誰とも分からぬターシャを、本当の母のように愛情深く育ててくれたルーシアだったが、自分の家と、営んでいた小さな仕立て屋の店舗をターシャに遺して、去年亡くなった。

 風邪の悪化が原因だった。

 ルーシアが、古いながらも綺麗に使っていた自宅だが、今は物で溢れかえり、足の踏み場もない状態だ。

 掃除をしなければ、という気持ちはある。だが、仕事以外のことになると、どうにも面倒くさくてならない。

 こんな性格は幼い頃からだ。

 記憶がなかったターシャは、物に執着がなかった。それが、何なのかも分からなかったからだ。

 それが食べるものなのか、着るものなのか、ターシャにはなんの意味があるのかもわからなかった。幼かったため、ルーシアが教えてくれたものはすぐに覚えたが、だからといって執着するわけでもない。

 呆れたルーシアが、生きていく上で最低限必要な物だと、お金と仕事の大切さを厳しく教えてくれた。

 今のターシャがこうして生きていられるのも、そのおかげだろう。そのため、ルーシアの残した店舗と、仕事道具のペンダント、そしお金は大切にするようになった。

 要するに、それ以外は、どうでも良かった。


「さて、と」


 それでも、生きていくためには、食べなければならない。

 両腕にはそれぞれパンの袋と果物の袋を引っ掛け、さらにその両腕で野菜の袋を胸に抱える。自然と歩く速度も遅くなった。

 途中、肉屋の前を通りがかり、足が止まったが、日持ちしないため諦めた。


「日持ちするって重要よね。今度いつ商店街で買い物できるかわからない……ん?」


 たくさんの荷物を抱え、ようやくたどり着いた家の前に、大きな黒い塊が落ちているではないか。

 恐る恐るゆっくりと近づくと、ターシャはそれが大きな狼であることに気づいた。

 目を瞑り、鼻をピクピクさせ、呼吸は浅い。だいぶ弱っているようだった。


「どこかで飼われていたのかしら?」


 そう思うくらい、少し汚れているものの、豊かで素晴らしい毛並みだ。

 恐怖よりも好奇心が勝ち、ターシャは荷物をドアの横に置くと、上から狼の顔を覗き込んだ。

 更に誘惑に負け、そっと脇腹を撫でると、その毛は、艶やかな手触りでたまらなくモフモフだ。だが、そのすぐ下は骨ばっていて、思った以上にガリガリに痩せていることが分かった。


「どうしよう……。ねえ、おなかすいているの?」


 当然のことながら、言葉は通じず、狼はただ鼻をピスピスとさせるだけだ。

 ただ、人の気配は感じたのか、グルルとうなり声を上げ、顔を上げようとする。


「起きあがれる? ごはん食べられる?」


 すると、その言葉に反応したのか、狼はムクリと身体を起こすと、ふらつく足で立ち上がった。


「おっ! 立てた! ごはんは魔法の言葉ね! ええっと、とりあえずあたたまった方がいいよね、さ~入って入って」


 ターシャがお尻を押すと、狼はヨロヨロと歩きだす。


「よーしよし。そのままそのまま。まっすぐ前だよ~」


 言葉が通じないのは分かっているが、ついつい話しかけてしまう。これも、昔ルーシアが根気強くターシャに話しかけてくれたことが大きい。

 気持ちを言葉にして相手に送ること、これが大事なのだと、ルーシアは教えてくれた。ターシャはそれを信じている。

 ターシャは時折足が重くなる狼に、「がんばれ~。もう少し~」と声をかけ続けた。

 なんとか隙間風の届かない部屋の奥にたどり着くと、狼はそのままドサリと倒れ込んでしまった。

 思った以上に弱っているらしい。これでは、固形物は食べられないかもしれない。

 

「野菜はあるけど……今からスープ作るんじゃ、随分と遅くなっちゃうものね。どうしよう……。あ、そうだわ。ねぇ、待っていて。今からヴァンスおじさんの牧場に行って、牛乳を分けてもらってくるわ」


 考えた結果、ターシャは近所の牧場を訪ねてみることにした。

 ヴァンスとは、近くの丘で牧場を営んでいる気のいい親父のことだ。

 牧場は仕事が終わるのが早い。だが、自宅の方を訪ねたら、もしかしたら余っている牛乳を分けてもらえるかもしれない。

 ヴァンスは、毎朝ミルク缶を乗せた荷車を引き、近所を回っている。

 ターシャもいつも利用しているのだが、毎日一杯分しか買わないため、家には残っていないのだ。

 そうろなれば、早く行かなければ。

 狼の返事を待たず、ポケットの中に今日の売り上げが残っていることを確認すると、急いでミルクパンを洗い、それを持って牧場へと向かった。

 朝早いヴァンス一家は、もう夕飯を終えていたが、運よく余っていた牛乳を分けてもらうことができた。

 こぼさないようにと気を付けながら、小走りで帰ってきたターシャは、まだそこに狼がいるのを確認して、ホッとした。だが、同時に部屋の中に異変を感じた。

 なにやらいい匂いがターシャの鼻孔をくすぐる。

 不思議に思ったターシャがミルクパンを台所に置き、クンクンと鼻を動かしながら匂いの出所を探した。すると、倒れている狼の近くに、千切れた干し肉の小さな欠片が落ちているではないか。


「あっ! これ、あの時の!」


 それは、少し前に店にやって来た、客の女性から差し入れとしてもらったものだった。

 そういえば、その日はナイフを用意するのを忘れたため、後で食べようと置いていたのを思い出す。慌てて拾ったが、残っている欠片は指先でようやく摘まめる程しかなかった。


「ひどい! ちょっと! これ、食べちゃったの!?」


 忘れていたくせに、勝手に食べられると腹立たしい。

 狼を強く揺さぶってみるも、狼は久しぶりの食事に満足したのか、先ほどより穏やかな表情で眠っていた。




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