表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/18

最終話:はじまりのキス

 彼は今、顔が赤くなっているに違いない。それが見られないのが惜しい。

 対するターシャは、やっと頭が働き、グリードの言っている意味が分かって顔が緩みっぱなしだ。


「なんだよ、もう! ニヤニヤするな!」


 グリードはガウガウ吠えるが、そんなことは無理な話だ。

 失恋は決定的だと思っていたのだ。

 狼の生態に詳しくないターシャは、グリードの行動にそのような深い意味があったとは知る由もない。


「えっ!? でも待って! 赤ずきんはどうなるの?」

「は? なんでそこで赤ずきんが出てくるんだよ」


 怪訝そうな声を出すが、ターシャにとっては大問題だ。

 占いで視た、あの光景は一体なんだったというのか。


「だって……赤ずきんは、あなたと結ばれる運命だったのよ? 私の占いでそう出たんだもの!」

「へぇ~。ターシャの占いも、はずれることがあるんだな」

「失礼ね! そんなことないんだから!」


 自慢ではないが、ターシャが占いを外したことなど、これまで一度もなかった。

 だからグリードを送り出す決意をしたのだし、今日だってこうしてひとり裏山を登ってきたのだ。


「ちゃんと、見たのよ。グリードと、赤ずきんが抱き合っていたの……。きっちりくっきり、この目で見たんだから!」

「抱き合って? 俺、再会したその時、思い切りビンタされたけど」


 赤ずきんは、グリードを見るなり、悪魔のような形相になると、もの凄い勢いで近づいてきて、思い切り右手を振った。それは、成人した人狼であるグリードが、一瞬目の前に火花が飛び、意識を失いかけたほどの威力だった。そして、「こんな時にどこほっつき歩いてたんだ! 薄情もの!」と、大きな雷を落とされたのだ。それが、どこをどう見たら抱き合ってることになっているのだ。

 大体、グリードと赤ずきんは兄妹のように育った。お互いを思いやることはあっても、その情は、決して恋情ではない。

 ターシャはまだ納得がいかないのか、「おかしいなぁ」と首を傾げている。

 その時、グリードはある事に思い至った。


「それ、本当に俺だったか?」

「え? 勿論よ。間違えるはずないわ。癖のある豊かな黒髪を無造作に後ろで結んでる、長身で逞しい背中。私がよくキッチンで見ていた背中だったもの」

「背中……背中ねぇ……。なあ、ターシャ。占いでそれを視た時、俺の顔をちゃんと見たか?」

「顔……?」


 ハッと顔を上げる。

 そういえば、見ていない。

 力なく首を振ったターシャに、グリードは「おいおい」と苦笑する。

 グリードを占った時、赤ずきんと抱き合っていたり、腕を組んで寄り添っていた場面は、どちらも背中しか見ていない。

 けれど、その後ろ姿はグリードそのものだったのだが――。


「それ、シャリグ叔父さんだ。ちゃんと顔を見ていたら、一発で俺とは別人だと分かったはずだ。シャリグ叔父さんは、確かに俺と同じ癖の強い黒毛だけど、目から頬にかけて、大きな古傷を持っている。シャリグの見た目はそんな感じでいかついから、群れでも一目置かれてるんだけど――」

「だけど?」


 オウム返しに問うと、グリードは可笑しそうに笑った。


「赤ずきんに押しに押されて、赤ずきんとの結婚に同意させられた」

「えっ!?」


 親子ほどに年が離れたふたりだが、赤ずきんは幼いころからシャリグ一筋だった。それは大きくなってからも変わらなかった。

 言い寄られては、のらりくらりとかわしていたシャリグだったが、今回のこの一件で赤ずきんの本気を見ることになり、とうとう陥落したのだった。


「なんだ。ターシャ、シャリグ叔父さんの後ろ姿を俺と勘違いして、俺を森に送り出したのか? じゃあ、ヨダアンが言っていたのはそれだな」

「え? なにを?」

「ヨダアンが言ってた。『自分に関わることを占うと、真実が歪む』って。なんのことかと思ってたけど、そうか……このことだったんだな」

「私が関わってるってこと? それって……」

「俺の人生には、その時点でもうターシャが関わってたってことだ。だから、ちゃんとした占いができなかった。あのなぁ、俺は問題が解決したら、戻って来るつもりだったぞ? だからターシャになにも言わずに出ていったし、あの日ターシャに印を残したんだ」

「印……?」


 問い返した唇は、あっという間にグリードのそれに塞がれた。

 急なことに、ターシャの心臓が飛び跳ねる。

 唇はすぐに外されたが、ターシャが驚いて目を真ん丸に見開いていると、グリードが優しく指で瞼を閉じさせた。


「そんなに真ん丸な目で俺を見るな。……照れる」


 そう言われたところで、ターシャには暗闇でグリードの顔は見えない。そう文句を言おうとすると、今度は先ほどよりも強く、唇を奪われた。

 何度も角度を変え、ターシャの下唇を軽く食むと、ちゅっと小さな音を立てて、ゆっくりと離す。


「やっぱり、人間のキスの方がいいな。ターシャの唇は甘くて柔らかい」

「……グリード……」

「これが、印。俺の番いだって印。お前は俺ので、俺は、お前のだ」

「……うん」


 ふたりはピッタリと寄り添いながら、何度もキスを交わす。それを、空いっぱいに散らばった星たちが見守っていた。



 * * *



 久しぶりにターシャの家にふたりが揃ったが、その空気は冷たかった。


「……で? これは一体、どういうことだ?」

「ええっと……だから……そのう……」


 先ほどまでの甘い雰囲気はどこへやら。

 グリードの追及に、ターシャは視線を彷徨わせている。

 今、グリードは仁王立ちしてターシャを見降ろしていた。


「ちょっと……忙しかったかなぁ……って」

「ちょっと? ちょっとで、こうなるか? こんな短期間で?」

「ま、まあまあ。長旅で疲れただろうし、落ち着いて座ったら?」

「座る? 座るって言ったか? この足場もない散らかった部屋で、一体どこに座れって言うんだよ!」


 グリードが驚くのも無理はない。

 彼が一日がかりで片付け、綺麗に掃除した部屋は、あっという間に元の物が溢れた部屋に戻っていたのだ。

 ターシャとしても、まさかグリードが戻ってくるとは思っていなかったので、つい、こうなってしまったのだ。

 戻ってくると知っていたら、こうならないように努力した。

 できるかどうかはともかく……努力はした。


「戻るなら戻るって言ってくれたら……」


 小さな声で反論するが、グリードがすぐに切り捨てる。


「事前に言わなきゃいけないって問題でもないだろ。それに、戻って来ないなんて、俺は一言も言ってないからな!」

「はい……」


 しゅん、と項垂れるターシャに、グリードもため息をつく。

 結局、グリードはターシャに甘いのだ。

 きっと、グリードと離れていた寂しさもあったのだと思うと、これ以上はなにも言えなかった。


「こんなんじゃ、ロクな食事もしてないんだろう」

「ううう……ごめんなさい……」

「そんなことかと思ったよ……」


 徐に、肩からかけていた袋に手を突っ込むと、なにかを取り出した。


「ウルフ工房の、羊肉の燻製ハムだ。それにこっちは、ママウフル商会のバケット。それとオオカミ印の葡萄酒」


 次々とテーブルに置かれるのは、都会の大きな商店で売られているような、高級品ばかりだった。

 たちまち、ターシャの目が輝く。


「す、すごいっ!」

「だろ? すぐに飯作るから、テーブルだけ拭いておいてくれ」

「うんっ」


 笑顔で頷くターシャに、グリードは小さなキスを落とした。

 もう、このキスの意味を間違えることはない。

 これは、挨拶のキスでもさよならのキスでもない。

 好きだよ、のキス。

 そして、ふたりが恋人として一緒に過ごす、はじまりのキスだ。



                                   《完》

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ