15.ターシャは日常に戻る
ターシャの日常は、驚くほど単調に過ぎていった。
同じ時間に起き、カウベルの音で牛乳を買いに行き、毎日忙しく働く。
変わったことといえば、そこにグリードがいない事と、暦も新月も関係なく働くようになった事だ。
グリードを送り出してから、今日が何度目かの新月だ。
グリードに新月の星空を教えてもらって以来、ターシャにとって新月は、怖いものではなく、特別楽しみな夜となっていた。
(今日は雲ひとつない晴天だったし、きっと星空がよく見えるわ)
そう考えていたところに、客がやって来た。
まずは仕事を無事終わらせなければ、星空観賞も楽しめない。
気持ちを切り替え、笑顔で客を迎え入れた。
「いらっしゃいませ。おとぎの国の占い屋へようこそ」
「は、はい……」
おどおどした様子で入ってきた客は、伏し目がちに挨拶をする。
「……あの……。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。では、早速ですが、座ってください」
手を差し出して向かいの椅子を示すと、客はビクリと身体を震わせた。
(神経質な性格なのかしら……)
客は頷いたものの、まだ羽織ったマントを脱ぐのに手間取っている。
これは、長くなりそうだわ……。ターシャは、長期戦の覚悟を決めて、我慢強く客を待った。
「あ、あの。すみません……。改めて、よろしくお願い致します……」
みすぼらしいマントを着ていたが、それを脱ぐと、客はとても美しい女性だという事がわかった。
輝くような金髪に、今日の空のような真っ青な大きな瞳、そしてシミひとつない滑らかな白い肌。なかなかお目にかかることのない、輝くばかりの美貌の持ち主だった。
だが、その美しい顔には悲壮感がただよい、頬や額には煤のような汚れがついている。手も荒れており、恵まれた生活を送っていないことは明らかだった。
(こんなに気品のある女性が、どうしてかしら?)
ターシャは、まじまじと女性を見つめる。すると、女性は居心地悪そうに身体をモジモジさせた。
堂々としていれば、どこぞのご令嬢と言っても過言ではない女性が、おどおどしてることで、だいぶ印象が変わるものだ。
「では、あなたの相談事を聞かせてください」
「は、はい……。あ、あの……」
チラチラと視線を彷徨わせ、モジモジと身体を動かす。
緊張するのはわかるが、これでは話が先に進まない。
「あの……秘密は守りますよ? どうか、お話を聞かせてもらえませんか? そうでなければ、私はあなたのお手伝いができません」
できるだけゆっくりと、優しく伝えたのだが、女性は飛び上がらんばかりに、ビクリと身体を震わせた。
「は、はははい。ご、ごめんなさい」
「ああ……ええと……。怖がらせるつもりはないんです。あなたのお力になりたいんです。ゆっくりとで構いません。お話できるところから、お願いします。まずは、お名前からお願いできますか?」
「は、はい。シンデレラ、です」
「シンデレラ――。ご相談は、なんですか?」
「じ、実は……継母と、ふたりの義姉に、毎日酷い扱いを受けているのです……」
視線を落として、そう告白するシンデレラは、悲し気に声を震わせた。
「まあ。それは毎日お辛いですね。お話するのは大変でしょうが、もう少し詳しく聞かせてくれますか?」
おどおど話すシンデレラの話は、まとまりがなく、理解するのに結構な時間と、根気が必要だった。
ターシャが、なんとか頭の中でまとめた話は、こうだった。
裕福な貴族の娘だったシンデレラは、少し前に愛する母を亡くしてしまった。
悲しみ、嘆く彼女を見て、父親はシンデレラの今後が心配になった。
だが、父親は仕事の都合で、遠方に出かけることが多く、大半を海外で過ごしていた。
そこで、彼が考え付いたのが、シンデレラのために、新しい家族を作ることだった。
つまり、再婚し、新しい母を紹介したのだ。
ターシャには、なぜシンデレラの父親がそれを最善としたのかが疑問だったが、それはもう実行されてしまっていた。
新しい母は、娘がふたりいた。
父親に伴われ、継母とふたりの義姉がやって来た。
父親に娘をよろしくと言われていた継母は、優しかった。
――父が家にいる間は。
紹介を済ませ、数日間新しい家族との時間を屋敷で過ごすと、父親はまた仕事で遠方に出かけてしまった。
その日から、シンデレラの地獄は始まる。
ドレスを取り上げられ、メイド部屋への移動を命じられた。
毎日、屋敷の掃除や継母たちの世話に明け暮れる日々。
夜、やっと休めるが、それも明け方までの数時間。
「一体私は……どうしたらいいのでしょう」
長い時間をかけてやっと話を終えたシンデレラは、シクシクと泣き出した。
「それは、お辛いでしょうね……。解決できる方法がないか、私もできる限り、お手伝いします。それで、具体的にはなにを占いましょう?」
「……え?」
途端にまた困ったように視線を彷徨わせる。さすがのターシャも、「こっちが困る」と言いたいくらいだった。
これまで時間をかけてシンデレラがしたことは、彼女が現状をどれだけ憂いているかという事だった。つまりは、愚痴である。
どんな未来を望んでいるか……それを話してもらわない限り、占いの方向性は見いだせない。
占いは、あくまで望んだ未来への後押しである。
選択しやすいように、導くことなのだ。丸投げでは困る。
それでもなんとか、言葉を選んで話を進める。
「ええと……そうですね。例えば、あなたは、継母や義姉たちを、屋敷から追い出したい、とお考えですか?」
その問いに、シンデレラは弾かれたように首を振った。
「い、いいえ! それでは……私はまた、あの大きなお屋敷にひとりになってしまいます……。追い出したいなどと、そんな事は考えていません」
「そうですか。……それでは、このまま彼女たちと一緒に暮らすつもりではいるのですね。それでは、父親に、留守が多い仕事は辞めて、家にいるようにしてほしい、とお考えですか?」
シンデレラは、それにも首を横に振った。
「……い、いいえ! とんでもありません。 父は……自分の仕事を誇りに思っております。それに、先祖代々、長く続く家業でもあります。その仕事を父に辞めて欲しいなどと、そんなことは思っておりません」
となると、だいぶ絞り込める。
ターシャは指をこめかみに当て、考えた。
「では、このまま父親抜きの暮らしの中、継母たちとの関係を改善し、いびられないようにするには、どうしたらいいか。という事でよろしいですか?」
「は、はい。それで構いません……」
ここまで長かった……。
ため息を押し殺し、手のひらをペンダントに押し当てる。
窓から見える景色は、すっかり夜だった。
目を閉じて、集中する。
じんわりとした熱を感じると、ターシャを包み込む空気が歪むのがわかった。
目を開けると、そこは石造りの重厚な屋敷の中だった。
そこには、着飾った三人の女性と、みすぼらしい恰好をしたシンデレラがいる。
ターシャはそれをじっと見つめる。
シンデレラは、そんなターシャを祈るような気持ちで見ていた。
四人の人物は、次々と場面を変え、段々関係性をも変えていく。それを見ながら、ターシャは頭を抱えたくなっていた。
(――どうしよう、一番やり辛いパターンだわ……)
ペンダントから視線を上げると、目を潤ませながらこちらを見ているシンデレラと目が合った。
「ええと……ですね。占いというのは、心持ちで変わります。良い方向にいくことも可能ですよ。ただ、それにはご自身の努力も必要になります。もしかしたら、私がこれから伝えることで、耳が痛いと思うことがあるかもしれません。そのお覚悟はできていますか?」
「……は、はい。できております。今の生活に較べたら、どんな努力もできます……!」
「そうですか……。では、まずは、人の目をしっかり見て、ハキハキと明るくお話するように、なさってください」
「……え?」
シンデレラが、ポカンとした顔でターシャを見つめる。
それもそうだろう。彼女は、継母や義姉が自分をいびられないようにするには、どうしたらいいかと聞きたいのだ。つまり、彼女たち側を、変えたいのだ。だが、残念なことに、ターシャが意識を飛ばし、視たことでわかったことがある。それは、シンデレラと継母や義姉たちは、同じ未来を夢見ているということだ。
継母も義姉も、最初はとても友好的だった。
確かに、継母も義姉も父親がいる間、猫をかぶっていたと考えているようだが、それはシンデレラもだった。
父親がいた時、継母たちは上流貴族のように優雅に振る舞おうとしていたし、シンデレラも笑顔で明るく振る舞おうとしていた。だが、それも父親がいた間だけだ。
それでも、継母たちはシンデレラに対して気を使っていたし、新しい環境に慣れようと努めていた。
だが、当のシンデレラは、父親が出かけた途端、彼女たちに目を合わせず、言葉をかければオドオドするようになった。屋敷や領地について聞いても、教えてくれず、亡くなった母の話をしては嘆く。
シンデレラの気持ちも分かる。それにきっと、シンデレラは元々かなり引っ込み思案な性格なのだろう。
だが、いつまでもそれを続けられていては、やられた方もたまったものではない。
継母は、裕福ではあったが貴族の出ではなかった。
そのため、貴族としてのしきたりや、領地での勤め、貴族同士の付き合いなど、シンデレラに教わりたいことは沢山あったはずだ。それなのに、いちいち亡き母の事を出されては、母として認められていないと思っても仕方がない。
義姉たちもそうだ。
仲良くしようにも、話しかけると過剰に反応し、目を合わせずにオドオドするシンデレラに対して、ずっと友好的な態度を取り続けるのは難しい。
今のこの現状は、シンデレラの態度や発言に、不満が爆発した結果、起こったことだったのだ。
しかも、どうやらこの先おこなわれる舞踏会で、シンデレラが王子に見初められるようだった。
舞踏会に置いて行かれたシンデレラを、颯爽と現れた魔法使いが助け、シンデレラは無事舞踏会へと向かう。そこで王子と出会い、ふたりは恋に落ちる。
そう、シンデレラ本人には、幸せが待っている。だが、本来分かり合えるはずだった継母たちは、このまま悪者になってしまって良いのだろうか?
「あなたに優しくしようにも、いつもあなたが逃げていたようです。それで、彼女たちは傷ついてしまったのです。それが歪んだ行動に出させてしまったのですね。勿論、これは許されることではありません。でも、いつもオドオドして目を合わせず、お母様と較べられることは、彼女たちにとっても、辛いのではないでしょうか。あなたが一言謝って、そして、お継母様やお義姉様を立てつつ、立派な貴族になるよう導いてください。それが、できれば、あなたがいびられることはありません」
現に、ひどい言葉をぶつけた後は、継母たちはとても後悔していた。
すぐ、明日にでも関係が改善する方法というのは、それこそ魔法使いでなければ無理だろう。だが、シンデレラの努力で、確執はどうにでもなるものだった。
「お継母さまたちも、今のあなたと同じように悩んでいます。これからは、目をしっかりと見て、明るい笑顔で接するよう、ご自分を変えることはできますか?」
シンデレラは、ようやく自分の間違いに気がついたらしい。
ポロポロと泣きながら、何度も大きく頷く。
「早く仲良くなれる、とっておきの方法があります。知りたいですか?」
「知りたいです」
「とにかく、褒めることです。あまり大げさでも、嘘でもいけません。少しでも良いと思ったところがあれば、褒めて持ち上げてみてください。女性は褒められて嫌な人間などいません。それに、褒めてくれた人間に、冷たく接することもできません」
「は、はい!」
「それと、“貴族として……”とか“貴族なら”と、添えてみてください」
「どういう意味ですか?」
「彼女たちは、貴族出身ではないことが、コンプレックスなのですよ。身近で、貴族としての振る舞いや勤めを教えられるのは、あなただけです。家のことを取り仕切り、下働きのメイドまでをしっかり管理するのは執事の役目です。ご令嬢であるあなたに下働きをさせているのは、貴族的ではありませんよね? それでは執事のプライドをも傷つけます。その辺りを匂わせれば、あなたは下働きからすぐに解放されるでしょう」
「……確かに! 執事がいつも私を心配して手助けしようとするのです。それがまた面白くないのか、より大変な仕事を言いつけられることもあります」
徐々にシンデレラの言葉にも、力が蘇る。
新しい家族に対する緊張や不安と、貴族になるというプレッシャーがお互いをギクシャクさせていたのだ。
おそらく、執事がシンデレラを手伝えば手伝うほど、彼女たちは屋敷に受け入れられていないと感じて頑なになっていたのだろう。
原因がわかれば、あっという間に雪解けを迎えることもある。そのきっかけさえ手にいれれば、シンデレラの希望する未来も、遠くはない。
思った以上に時間がかかったが、最後の最後で、シンデレラは美しい笑顔を見せてくれた。努力が空回りしていたことで、自分に自信が持てなかったシンデレラは、これからは心からの笑顔を取り戻すことができるだろう。
やっと、今日の予約がすべてが終わり、ターシャは急いで店を閉めた。




