11.赤ずきんの恋占い
危ない!――思わず強く目を瞑ると、身体を包む空気が動いたのを感じた。
恐る恐る目を開けると、ターシャの意識は占い屋に戻っていた。
ハァ、ハァ、と荒い息を整えようとして、ペンダントを握った手が小刻みに震えていることに気づいた。
やばい。
これはやばい。
思わず眉を顰めると、少女が心配そうに声をかけた。
「あのぅ……。何か見えたんですか?」
その声に、ターシャがハッと顔を上げる。
さて、どうしたものか……。
人狼族にも彼らなりの苦悩があれば、希望もあるだろう。だが、暴力に訴えるというのは許されることではない。
この事態は、なんとか避けなければならない。
「そうですね……。とりあえず、おばあさまには家の鍵をきちんとかけるように言ってください」
「はぁ……。それと……どうすれば?」
「それだけです」
「えっ?」
「それだけです。あとは家を訪ねてきた人をきちんと確認してから、ドアを開けるようにと」
虚を突かれたように素っ頓狂な声をあげた少女に、ターシャが同じことをもう一度伝えた。少女の瞳に疑念の色が浮かぶ。
仕方がないと思う。
視たままを彼女に伝えることはできない。言えば、彼女は力ずくにでも、祖母を引退させるだろう。けれど、それでは根本的な解決にはならない。
視たところ、少女の祖母はかなりの高齢だと分かった。それは、森の守り人を続けるのを、勧めるのもためらわれるほどだった。
少女の祖母も、鍵をかけ、人狼族に対して警戒していると見せる事態になってもなお、彼らと分かり合えると思うだろうか?
長も代替わりし、もはや約束は反故となったのだと、少女の祖母も知るのではないだろうか。それで身を引くかどうかは、彼女自身が決めることだ。
すべてを洗いざらい話して、この少女の不安を煽ったら、事はもっと大きくなりそうだった。
そもそも、少女はこれからのことを、どう考えているのだろう?
少女の疑念を払うため、コホンとひとつ咳払いすると、ターシャは出来る限り堂々と問いかけた。
「おばあさまも、かなりのご高齢とお見受けいたします。この先、自由を求める人狼族と対等に渡り合うには、厳しいかと思いますが……。その点について、あなたはどのように、お考えですか?」
少女が驚いたように顔を上げた。
巷の噂で店に来たはいいものの、ペンダントに真実が映るということを、信用しない人間も多い。
ターシャとしては、結論から言ってしまいたいところだが、大抵の客は、そこに何が視えたかも説明しないと、納得しないのだ。
物心ついた時からこの力を持つターシャとしては、視えない方が不思議なのだが、向かい側に座る客にはただその辺によくあるような、鑑が埋められたペンダントにしか見えないというのだから、仕方がない。
「すべてはこのペンダントが見ております。どうやら、おばあさまは床に臥せっておられることが、多くなっているようです。彼ら人狼族も、それを知っていて、自分たちの将来を不安に思っているようですが……」
うまくできた自信はない。それでも目の前の少女はピンと背筋を伸ばしたからきっと成功したのだろう。
少女は真剣な目でじっとターシャを見つめ、何度もコクコクと頷いた。
「そうです。それで、人狼族としても、今後も人狼の森が守られる場所なのか、人間との契約は継続するものなのか、心配する声があるようで……」
「正直……視る限り、今のおばあさまに、守り人としての役割は負担が大きいようにに思えます。ですが、ここからが問題なのです。それは、あなたがどうしたいと思っているのか、です」
「両親からは、反対されているんですが……、実は、私が祖母の跡を継ぎたいと思っているんです」
「あなたが?」
ターシャは驚いた。
だが、目の前の少女は、強い意思を持った瞳で見返してくる。
「本気です。ですが、実は祖母もあまりいい返事をしてくれません。でも祖母も心配ですし、屋敷に同居して跡継ぎとして勉強したいのです」
そこには強い覚悟が感じられた。
それにしても、なぜ彼女はこうも強く守り人になることを望むのだろう。
今の話を聞くと、彼女の祖母の時代とは違って、人狼族の中には既に人間社会に馴染んでいる者もいるようだ。
それなら、たったひとりの少女が守り人になったところで、対応しきれるものではないのではないか。
ターシャがそれを問うと、少女はなぜかはにかんだような微笑みを見せた。
「亡くなった人狼族の長は……おばあさまが一生をかけて愛した人なんです。私は、ふたりが築いたものを守りたい。それに――」
言葉を途切れさせると、頬を赤らめる。
「私にも、愛する人がいるのです。その方を、私の一生をかけて、おばあさまのように守りたいのです」
そう語る少女の強い眼差しは、同性のターシャですら、ドキリとするほど女の目をしていた。
彼女もまた、祖母と同じ険しい道を選ぼうとしていると知ったら、彼女の家族が反対するのも頷ける。しかも、人狼族の長が保守派か、革新派かでも、また違うのだろう。
「視てみますか?」
ターシャの言葉に戸惑いを見せた少女だったが、やはり恋のゆくえは気になるのだろう。恐々と頷いた。その様子に、ターシャもまた、良い結果が出ますようにと心の中で祈った。
少し緊張しながら、ペンダントを撫でる。
緊張した面持ちのターシャが映っていた鏡の表面がゆらりと蠢くと、ターシャは自分の周りの空気が変わるのを感じて目を閉じた。
目を開けると、そこは木々が青々とした深い森の中だった。
少女が赤いマントを翻し、森の中を走っている。
息をきらし、時折草地に足を取られながらも、まっすぐ前を向いていた。
慌ててターシャも後を追う。少女はなかなか足が速かったが、見失うことなく、なんとかついて行った。
目的のものを見つけたのだろうか。少女は大きく腕を広げると、そのままの勢いでひとりの男性に飛びついた。
彼女の体当たりのような抱擁を、軽々と受け止めたのは、彼女よりも頭ひとつ以上大きい、長身で黒髪の男性だった。
男は愛おしそうに少女を抱きしめる。すると、周りにいた人々が取り囲み、ふたりをはやし立てた。
これは……ハッピーエンドということではないだろうか。
ターシャはほっと胸をなで下ろした。
残念ながらターシャが追い付くのが遅くて相手の顔までは確認できなかったが、少女のあの様子を見ると、彼が想い人で間違いないだろう。
どうやら、良い報告ができそうだ。
人々の騒ぎを後に、ターシャは目を閉じる。
再び目を開けると、少女が先ほど以上に真剣に、ターシャを見ている。そんな彼女に、ターシャはとびきりの笑顔を返した。
「あなたが想いを寄せているのは、黒髪の男性ですか?」
弾かれたように目と口を大きく開け、少女は頷いた。
「そうです! 少し長めで、癖が強めの黒髪です。大体、いつも後ろで無造作に結っています」
「あー、はいはい。そうですね。そして、背が高い?」
手を胸の前でぎゅっと握り、少女は力強く頷いた。
「想いは通じますよ。お相手も、あなたに好意があるようです」
「ほ、本当ですか!」
一気に表情が明るくなる。
この顔を見ると、占いの結果が良くて良かったと、ターシャもホッとする。
占いは、いつも相談者の希望に沿う答えが出るわけではない。辛い選択を迫ることもあり、それを告げる時は、ターシャも心が痛むものだ。
恋愛の相談事も多いが、今回は異種間ということもあり、ターシャ自身、祈るような気持ちで占った。結果が良くて、心底ホッとした。
「ええ。周囲にもふたりを祝福する人々が視えます」
「嬉しい! 彼は、亡くなった長の一族の者なんです。祖母も私も、彼が新しい長にふさわしいと考えているんです」
では、長の件も守り人の件も、そして恋愛の件も、少女の願う通りの未来が待っているということだ。
だが、これはあくまでも占いだ。ターシャは未来を視た時には、必ず一言付け加えることにしていた。
「これは、ペンダントが視た“現在の未来”です。明日視る未来とは、また違います。未来とは、とても不安定なものです。小さな選択で大きく変わる可能性もあります。それだけは、心に留めておいてください。ですが、あなたが迷わず、まっすぐに進めば、望む未来が待っているでしょう」
少女は、もうすっかりターシャの言葉を信じているようだ。
少女は唇をきゅっと結び、真面目な表情で頷く。だが、恋愛成就の喜びは相当なようで、ここにやって来た時の不安気な瞳はなく、目はキラキラと輝いていた。
「あの、本当にありがとうございました! 私、頑張ります!」
少女の真っすぐな瞳に射抜かれ、同性であるにも関わらず、ドキリとした。
こんな風に素直になれたらいいのに。
気持ちとは裏腹に、そっけなく接してしまう自分が恨めしい。
ターシャはなんとか笑顔を取り繕い、少女を見送った。
真っ赤なマントのフードを深々とかぶり、ランプを手に遠ざかる少女の後ろ姿を見ながら、先ほど視た映像を思い出した。
人狼の森は、彼女たち守り人の手で守られてきたのだ。
それは、少女の祖母と人狼の長との愛が始まりだった。
異種間――それも、種族の絆が強く、プライドの高い人狼には難しかっただろう。同時に、人間側もまた、受け入れられなかったはずだ。
少女の祖母の想いは、叶わなかった。けれども、お互いを想う気持ちは続いた。それ故の守り人であり、人狼の森の存続なのだろう。
異種間の恋愛か……。
客の相談事に自分を重ねることはないが、今回は別だ。
弱り果てて倒れていたグリード。
このタイミングでの人狼の森に関する相談。
これは、なにを意味することだろうか……。
いや、きっと別の群れの話だろう。
ふと思い浮かんだ考えを振り切るかのように、ターシャは家を目指した。
だが、家のドアを開けた瞬間、目の飛び込んできた光景に胸が鋭く傷んだ。
「おかえり。遅かったな」
キッチンでは、グリードが料理をしている。
今日のメニューは牛乳煮だろうか。まろやかないい香りがした。それは、いつもの光景だった。
だが、ひとつだけ、違うことがあった。
「――グリード。そんなに、髪長かったっけ……」
「え? ああ、これか。思っていた以上に伸びてたみたいだ。作業中、どうにも邪魔くさくてさ、括ってみた」
グリードは、緩やかにうねる豊かな黒髪を、無造作に後ろで結んでいた。
だが、変化はそれだけではなかった。
そういえば、ここに来た当初は、何日も食べていなかったこともあって、グリードはかなり痩せていた。それが今では、ちゃんとした食事を三食たべ、しっかり眠り、よく身体を動かし、すっかり逞しくなっていた。
それは、今日占いで視た、赤いマントの少女を抱きしめた男の後ろ姿にそっくりだった。




