10.赤ずきんの相談事
新月の星空を見てからというもの、ターシャは、まともにグリードを見ることができなくなってしまった。
視線はグリードを追うのに、それに彼が気づくと、思わず目を逸らしてしまう。
水浴びも、グリードに会わないように、共同浴場に通うようになった。
仕事について来ようとするグリードを断ることはしないが、前にも増して客の予約を受けるようになり、ひっきりなしに客が訪れる。
仕事中、店に入れないグリードは、ターシャの様子を心配しながらも、店の外で仕事をしていた。
やることならたくさんあった。
外壁を洗って塗り直したり、小さかった看板を作り直したり、やってみるとこれが面白くて、どんどん手を加えていく。
結果、色あせて目立たなかった小さな占い屋が、看板も立派になり、外観もピカピカになった。これに驚いたのは、周囲の店主たちだ。グリードの腕を見込んで、うちの店もやってくれと、改修依頼が多数舞い込んだ。
どうしようかと迷ったが、ターシャが仕事中、特にやることがないのは事実だ。
グリードは、あの出来事以降も、変わらず接してくれる村人への恩返しも兼ねて、店舗や小屋の改修を請け負うようになった。
「ターシャ、今日はパン屋のセシルの作業小屋を直してくる」
「そう、行ってらっしゃい」
店の前でグリードがそう言うと、ターシャは少しホッとしたような顔を見せた。それに少し寂しく感じながらも、グリードはなにも言わず背を向ける。
切ない想いを胸にグリードを見送る。そしてドアを閉めて椅子に座ると、ターシャはテーブルに突っ伏した。
「ああ! もう、私ってば、何やってるの!?」
頭を抱えるが、時間は戻せない。そんなことは分かっているのに、どう接したらいいのかわからないのだ。
意識する前は、とても自然でいられたのに。
今は、向かい合って食事をしているだけで、ドキドキが止まらない。正直、なにを食べているのかもわからない時がある。
そっけなく送り出した時、グリードの瞳は悲しそうだった。
これが、もしも狼の姿だったら、尻尾が垂れ下がっていただろうと思える程、しゅんとしていた。
「グリードは私を頼ってくれているのに、私が冷たくしてどうするのよ~」
はぁ、とため息をつくも、やってしまったことは仕方がない。
すると、ドアを叩く音がした。
今日も予約はいっぱいだ。気を取り直して働かなければ。
幸い、仕事をしている間は、こんな不甲斐ない自分のことも、グリードのことも考えずに済む。
ターシャは立ち上がって、今日最初の客を迎え入れた。
「いらっしゃいませ。おとぎの国の占い屋へようこそ」
ニッコリと笑いかけると、それだけで相手はホッとしたように息をつく。
相談事が重ければ重いほど、最初の挨拶が大事なのだ。
今日の最初の客は、質の良い流行りのドレスに身を包んだ淑女だった。
なにやら思い悩んだ様子で、顔色が良くない。占い師としての評判はあっても、ターシャのような小娘を頼るほどだ。余程悩みが大きいのだろう。
ターシャは大きく息を吸うと、安心させるように、客の目を見ながらゆっくりと問いかけた。
「では、あなたの相談を、教えてください。勿論、秘密は守ります」
* * *
昼の休憩をはさみ、七人の相談事を終えると、やっと一日の仕事が終わった。
「終わった~! お腹すいたぁ」
立ち上がり、外に吊るしておいたランプにふぅっと息を吹きかけて、灯りを消す。
グリードが作ってくれた立派な看板も、忘れずに裏返しにする。
今日は、人数は多くないものの、なかなか内容の濃い相談事が多かった。
中には恋愛の相談もあり、ターシャは心の中で「私にも教えて欲しいよ!」と思ったものだ。
ターシャの占いは、よく当たると評判だ。それなのに、自分に関することは占えないのだ。一度、自分の過去を視てみようと思ったことがある。だが、自分自身のことは濃い霧に囲まれてしまい、なにも視えなかった。
「視えてたら、もっと楽なのに」
ペンダントを持ち、思わず口にする。
「――ん?」
ペンダントに、小さな曇りが現れたのだ。
「……お客さん……」
曇りはみるみるうちに人型をとり、小柄な少女の姿になった。
ターシャの店が閉店していることを知ったのか、少女は店の前で困ったように立ち尽くしていた。
「ん~~~~~。ま、いいか」
少し迷ったものの、この可愛らしい少女をなにがこんなにも困らせているのかが、ターシャには気になった。
営業時間はとっくに過ぎていたが、こうなっては帰宅が何時になっても一緒だ。そう思い、テーブルの布を整えると、立ち上がった。
「いらっしゃいませ。おとぎの国の占い屋へようこそ」
「あの……お店、閉店したんじゃないんですか?」
「そうですけど……。構いませんよ。とてもお困りのようですし」
十六歳のターシャとさほど変わらない年頃の少女が、思いつめた表情やって来た理由が気になった。
当の少女は、ターシャの言葉にホッとしたように表情を緩める。
「ありがとうございます」
「どうぞ。座ってください」
「はい」
少女は育ちがいいのか、着ていたフード付きの真っ赤なマントを脱ぐと、丁寧な手つきで畳んだ。
だが、促されて座ったものの、ターシャにどう切り出そうか迷っている様子だ。
「秘密は守ります。どうぞ、あなたの悩みを全て話してください」
「……ありがとうございます。あの、信じてもらえるかわかりませんが、私の祖母は人狼族と付き合いがあるんです」
人狼族――その言葉を聞き、ターシャの手が止まった。
勿論、浮かんだのはグリードだ。けれど、今は仕事中だ。なんとかグリードを頭の隅に追いやると、落ち着いた声で応えた。
「――信じますよ。相談事は、そのおばあさまのことですか?」
「はい。実は、祖母は昔、人狼族の長と、とある約束を交わしました。人間を襲わない代わりに、人狼族の住処に人を寄せ付けないという約束です。祖母は、人狼族の森の入口に居を構える森の守り人の一族の末裔なのです」
その約束が破られそうになる出来事があったのだと、少女は続けた。
「人狼の森というのは、そんなに人間の住まいの近くにあるものなんですか?」
「いいえ。通常は違います。人狼は群れで生活をします。長は絶対で、直系が後を継ぎます。プライドが高く、群れの絆はとても強い種族で、他の群れとは離れて生活しています。通常は、と申しましたが、大体の群れは人が簡単に近づけない山奥の森に、縄張りを作っています。人間社会に近い場所で縄張りを作っているのは、珍しいと思います」
でも、だからでしょうか……。と、少女は憂い顔で続けた。
「人間社会との距離が近いせいか、人狼族の中には、人間に姿で人間社会に溶け込む者が現れました。森の掟を知らずに、人間社会で育った者もいて、昔ははっきりとしていた境界線が、今では曖昧になっているのです」
そんな時に、人狼族の長が亡くなった。そこで、人狼の森では、新しい長に誰が就くか、問題になっているのだと言う。
「本来、人狼族とは血筋をとても重んじます。ですが、自由を求める一部の人狼たちが、新しい長の座を狙い、祖母に森の守り人を引退して、人狼族を自由にするよう迫っているのです……」
元々、人狼族は人間に従おうとはしない、自由を愛する種族だ。守り人である彼女の祖母が、特別な存在なのだろう。
ターシャは大きく頷くと、胸のペンダントを持ち上げ、その中心に手の平でするりと触れた。
瞼を閉じ、優しく撫でるようにゆっくりと動かす。それを何度か繰り返すと、手のひらにじんわりと熱を感じた。
頬に触れる空気が変わったのを感じ、ターシャはそっと目を開ける。
ターシャがいたのは、小さな部屋だ。だが、部屋の中を確認するより先に、目に飛び込んできた光景に、壁に貼りつかんばかりに驚いた。大声を出しそうになって、慌てて自分の口を塞ぐ。
なんと、華奢な身体の老女が、白銀の髪の大柄な青年に詰め寄られているではないか。周りの景色や、老女の恰好からして、早朝、家に押しかけられと見える。
青年は、何かに気づいたように動きを止め、振り返る。そして、ターシャのいる方を見ると、険しい顔をずいっと前に出し、鼻をヒクヒクと動かした。
(え? 気づいた? う、嘘でしょ!?)
バクバクと早く打つ心臓が、とてもうるさく感じる。口を覆う手が震え、声が出そうになるがなんとかこらえると、青年の行動をじっと観察した。
青年はターシャのすぐ近くまでやって来たが、気になったのは外の様子だったようだ。
チラリと窓の外を確認すると、チッと舌打ちし、また老女に向き合い、すばやい動きで老女の鳩尾を殴った。ターシャは驚きに声を出しそうになるが、なんとか押さえ込む。この部屋にあるのはターシャの意識だけだ。声を出しても相手には聞こえないはずだが、今までも、感覚の鋭い相手はいた。用心するに越したことはない。
老女は一体、どうなってしまうのだろう。
ターシャは文字通り、息を潜めてじっと様子を窺った。すると、青年はぐったりと意識を失った老女をベッドの下に押し込み、自らは布団の中に潜り込もうとした。だが、体格が大きすぎて、ベッドからはみ出してしまう。そこで、青年は狼の姿になり、布団の中で身体を丸めることで、なんとかベッドに収まった。そこに、ドアを叩く音がする。
先ほど、青年が外の様子を気にしていたのは、訪問者の存在だったようだ。
そこに現れたのは、フードを目深に被った赤いマントの少女――占いの、依頼者だった。
ベッドの中が人狼族の青年に入れ替わっているとは知らずに、少女は笑顔でベッドに近づく――。
『おばあさま。ご機嫌いかが?』
すると、ガバリと布団を跳ね除けて姿を現した狼は、少女に向かって大きな口を開けて威嚇した――。




