B-13. 無のタグ その2
ちょい役で出る筈のなかった古代魔法書がしゃべってるの楽しいです。
森へ入って十数分後。セイジは、逃げていた。
木々のへし折られる音がセイジを捕らえようと迫っていく。本が焦った様な声を出す。
『そちよ、先ほどの獣と何が違う!』
セイジは魔化と思わしき化け物を三体ほど、すでに倒していた。だが、今セイジの背を追いかける化け物を見た瞬間、セイジが逃げ出したのだ。その化け物は白く巨大な獣の姿をしていた。その体躯は狼を彷彿させる。低木よりも、セイジよりも高く、しかし空を覆う木々よりは大分低い化け物は、力が強いのか木をなぎ倒しながら進んできていた。
「私はアレを倒すことは出来ない」
『なぜだ!』
「アレはヒトだ。私はヒトを害することができない」
『――どこがヒトだっ』
魔化の能力的には、セイジが倒せないものではなかった。そもそも倒せないのならば、依頼することはないだろうとセイジは考えている。セイジは人間ではなく神殺しと呼ばれる道具だ。後期に作成された神殺しは一律で『ヒトを害する』ように出来ていない。それはセイジも例外ではなかった。
「他の魔化ならともかく、アレは無理だ」
『そちが見た魔化は、どういう存在なのだ』
古代魔法書がセイジに問う。あの化け物はどう見てもヒトには見えない。深淵を見ることができるセイジだから、別のものに見えているのではないかと、本はそう考えたのだ。
「姿は巨大な獣だ。存在が変質し、姿が変わってしまっている」
『ぬぅ、知った事を儂に教えよ』
どうやら古代魔法書の知識欲を刺激してしまったらしい。そういう場合ではないのだがと思いつつセイジは古代魔法書へ見たものを話す。
神が世界を作る際に、無から有を生み出す。それはゼロをプラスとマイナスに分けることを指す。プラスは『有』であり世界である。残ったマイナスは世界の外へ捨てる。そのマイナスを『魔』と呼ばれ、魔に浸食されると『魔化』が発生する。
『その魔というものが、この世界へ入ってきていると?』
「ああ。最も自然な状態が『無』だから、神が管理しなければ無に戻ろうとするようだ」
『……セイジよ。それはヒトが知ってはならない情報じゃ。他の者に言ってはならぬ。知ると狂うぞ』
「わかった」
そう答えて、セイジは首を傾げた。セイジは人間ではないが、ヒトの範疇に入る存在だ。知ると狂う情報を古代魔法書に教えた。
(……これも考えないで置こうか)
セイジは頭の片隅に追いやり、どう逃げ切るべきかと今のピンチに目を向けることにした。このまま走り続けるよりも、一度死んで出直した方が早いような気がしてきた。本に死ぬから引っ込んでくれと言おうと口を開いたが、古代魔法書が話し始めるのが先であった。
『ヒトを害するのが駄目で、魔化を倒すのが出来ないわけではないのだな』
「ああ」
『魔化になってしまったヒトを助けるために、魔化を倒すのも駄目か?』
その言葉を聞いたセイジは魔化に意識を向ける。自身の魔力を広げ、存在を探っていく。セイジの本能が『アレは害してはならないものだ』と叫ぶ。害さない事よりも、優先順位が高いものがないか探って行き、ついにセイジは見つけた。
「存在の修復の許可が降りた。魔化を終わらせることが可能だ」
古代魔法書へそう答え、セイジは振り向き足を止める。障害となる木が多い場所を選んだため、ほんの僅かだがセイジは魔化から距離を取ることが出来ていた。だがセイジが止まれば急速に距離は縮まるだろう。
セイジは魔化を見て、本来どんな存在であったかを見る。魔力の配置を、変わってしまう前へと矯正していく。セイジは片膝をつく。古代魔法――代償魔法を使っているからだ。自身の魔力を捧げ、セイジはその魔化の元の姿を捕らえた。
「これより、存在の再構成を始める。歪められしモノよ、あるべき姿であれ」
紅く紅く周囲は染まる。『地』を司る色に。そのまぶしさにセイジは手で目元を隠した。しかし、視力ではなく別のもので『視て』いるセイジには意味のない事だ。
光が消え、倒れたそれの姿があらわになる。古代魔法書が『魔化だったもの』を見て――叫んだ。
『どこがヒトなのだっ』
大分縮んだそれは、狼の姿をしていた。セイジは首を傾げ本へ告げる。
「ヒトだろう? 人種ではないが」
ピクリと目の前にいる狼の手が動く。その様子に気づいたセイジと古代魔法書は、狼の元へ駆け寄った。狼はゆっくりと目を開ける。体は震え、力が入らないのかまぶたが痙攣する。声も出せないらしい狼は「感謝する。死神よ」と、そう言ったような気がした。セイジが手を取るころには、もう狼は動くことはなかった。それはもうヒトではなく、ただのモノになった。セイジにはそれが分かった。モノならば、いくらでも害することが出来る。
「存在の修復は『害する』ことにはならない。本人が望むなら――すでに死んでいて、その状態に戻すことも可能、か」
セイジはゲームの死亡イベントが好きではない。分岐次第で死なずに済むのならば、リセットして何度もやり直すほどに。
『セイジよ。終わりも救いとなることがある』
沈んだ様子のセイジを慰めようと、古代魔法書が声をかける。更に言葉を重ねようとしたが、いくつもの気配が近づいて来るのを感じ、一度黙った。
セイジもその存在に気づいたのか立ち上がる。振り返れば、死んでいる狼に酷似した者たちが、そこにいた。狼を二足歩行にした、そう表現するのが適切だろうか。体つきは人間とは違い、やや猫背気味だ。五体の狼の中で、最も大きな個体がその大きな口を開いた。
「我々の同胞を救っていただき、感謝する」
『話しただと?』
「ヒトだから、話してもおかしくないだろう」
そう答えたのはセイジだ。害せるかどうかで、ヒトかどうかを判断出来るセイジは、ヒトの見た目を考慮していない。人種から大きく外れた姿をした彼らは、どう見ても化け物だと古代魔法書は感じたのだった。




