2.日常からの落とし穴
昨日のできごとを思い出しながらシュウはジャージに着替え、顔を洗ってから、家の庭へ向かった。
そこには、同じようにジャージ姿のシュウの兄鳴上隼(なるかみジュン)が待っていた。
2人は毎朝庭で体を動かしているのだ。
「兄さんおはよう」
いつも先に起きて待っている兄に向かっていつも通りの挨拶をした。
「おはよう。シュウ」
ジュンも挨拶を返してきたので、シュウは縁側から庭に降りた。
「ごめんよ。ゲーム楽しみにしてたのに」
ジュンに、昨日のできごとを話しており、その際1度謝っておいたのだが、再度謝った。
「楽しみにしていたのはシュウだろ。それに宿題も大事だしな。
早く終わらせて、その分遊んだほうがいいだろ」
と、言って微笑んだ。
「今日中には終わると思う。そうしたら、思う存分遊ぶぜ!」
気合を入れるシュウに、
「今日で終わるのか・・・
たしかまだ夏休みに入って1週間ぐらいだよな・・・」
と、あきれた様子のジュンだった。
「委員長がうるさくてさ。本当は、集中してやって今日までには終わらせたかったけど、思ったより量があって終わらなかった」
「シュウの集中力はすごいからな。
琴美さんに感謝しないとだな。去年のことを思って、声かけてくれたんだろうし」
琴美っていうのが何度も出てきている委員長のことだ。
2人は会話をしながら、準備運動から柔軟体操をして寝起きの体を解していく。
「シュウ」
腕立て伏せを終え、次の運動の準備をしようとしていたシュウにジュンが呼びかけた。
「何?兄さん」
手を止めてジュンに返した。
「朝飯食った後でいいんだけど、オレが借りてきた本を図書館に返してきてくれないか?
今日も図書館には行くだろうと思って頼もうと思ってたんだ。
けど、宿題はうちでするってことだし、オレは大学へレポートだけ提出に行かなきゃいけないんだ。
琴美さんは何時に来るんだい?」
「10時に来るかな。
ま、いいよ。9時に図書館開くから、返してすぐ帰ってきたら間に合うでしょ」
図書館はシュウ達の家から歩きで30分程の所にあり、間に合うとシュウは考えた。
結局、図書館には行くんだな・・・と考えていると、
「悪いな。レポート出したら、ゲーム屋寄って、後は、どこかで昼飯買ってくるわ。
琴美さんも食べるよな」
「ああ、そうだね。よろしくお願い」
それから2人は7時過ぎまで体を動かし、朝食を食べるため家に入っていった。
朝食を食べた後、普段着に着替えたシュウはジュンから図書館に返却する本を受け取った。
見るからに難しそうな医学系の本と何か図鑑の様な本とあと1冊は何語で書かれているのかもわからない本だった。
分厚い本3冊を布製の手提げ鞄に入れ玄関に向かった。
「オレもなるべく早く帰ってくるけど、シュウも気をつけてな」
玄関まで出てきたジュンはシュウに言った。
「毎日通ってる所だし大丈夫だよ。車の通る所はあんまり通らないし。
兄さんも気をつけて。昼飯よろしくね。
じゃ、行ってきます」
そう言って、シュウは玄関から出て行った。
「行ってらっしゃい。
・・・シュウ。よろしく頼む」
見送ったジュンは、俯いて手だけ振っていた。
家を出たシュウは通いなれた道をゆっくりと歩いていた。
気温はまだ暑くなかったが、重い本を3冊も持ち、1度引いた汗を再度かきたくなかった。
住宅地を抜け、森林公園の道に入った。
この公園は小さい山にあり、公園の中には神社もあって、いつも神聖な雰囲気がして、シュウは好きだった。
夏でも涼しく、春には道の両脇に植えられた桜がアーチを作り、とてもきれいだった。
今はまだ、陽が昇りきっていないため、少し肌寒いが、この道を通るつもりだったシュウはTシャツの上に半袖のパーカーを着ていた。他では暑いが、図書館への行程の半分を占めるこの公園の道は、冷房が効いているかのごとく涼しかった。
公園の道は何本かあり、図書館へ向かう道は階段になっていた。
緩い階段を下っていると、ジョギング中の男性や1人で散歩中の長い髪の女性、犬を散歩させている女性など様々な人とすれ違った。
この公園はジョギングや散歩にも人気のコースだった。
階段を下っていき、木々の向こうに図書館が見え始め、シュウが心の中で「よしっ。あと少し」と気合を入れなおした時、
ザーーーーッ
と風が吹いた。
周りの木も大きく揺れて音を立てている。
この公園は風もよく通るがここまでは初めてだとシュウは思った。
木々を見上げながら階段を下っていくシュウ。
あと少しで階段が終わるだろうと視線を戻そうとしたその時ー
次の段へ下ろした足が空を切った。
「えっ?」
突然の出来事に咄嗟に反応できないシュウ。
階段がなくなり、突然できた真っ暗な穴に落ちていった。
耳元で風が鳴る中、上を向くと遠くなっていく木々とその間から見える青い空。
そして、シュウは微かに聞いた。
「・・・行ってらっしゃい・・・」
自分の身に何が起きているのか、何がどうなっているのかわからないまま、シュウは暗闇の中に落ちていった。