焦燥
夕焼け色の水彩絵の具が、街全体に塗りたくられている。
そしてそれは、僕の部屋にも侵入してきていた。
無造作に床に放り出された皺くちゃの制服。
クローゼットを開くのも億劫になり、あちこちに無理やりかけられたハンガー。
シーツが捲れたベッドの上には、たたまれる事を忘れた掛け布団。
淡いオレンジに染められたそれらには目もくれず、何処かからか聞こえてくるカラスの声をBGMに、僕は机の上の原稿用紙とにらめっこをしていた。
『ここは真っ直ぐな台詞を…』
『いやでもまて、こいつそんな素直なキャラじゃないし…』
『…ギャップ狙ってみるか……?』
「あああああああああああ!くそっ!!」
髪を掻き乱しながら背もたれに寄りかかると、そこに掛けてあった数枚の上着の重さが手助けしたのか、そのまま真後ろにひっくり返った。
そのひっくり返った振動はこのボロい家には地震並みの破壊力を持つらしく、絶妙なバランスでかけられていたハンガーは地面に落ち、棚においてあった写真立ては音を立てて棚から落ちた。
確かこの前の震度三の地震でもこんな状況になっていた気がする。
「…最悪」
低い声でボソリと呟くと、片手で自分の目を覆った。
暫く苛立ちでひっくり返ったその体勢から動けなかったが、下から聞こえてきた母親の声にやっと立ち上がるまでの気力を起こした。
心配するような声に軽く「大丈夫」と返すと、大きな溜息と共にハンガー等を元に戻しにかかった。
こうした小さな苛つきの連続は処理に苦労するもので、暫くは手が上手く動かずに何度もハンガーを落とした。
物にあたりたくなるようなジリジリとする苛立ちを押さえつけながら、ふと原稿用紙を見た。
すると今度は、──ただの被害妄想だろうに──原稿用紙に嘲笑われているような気がして一層気分が悪くなる。
「ああああ…もう………」
今すぐにでもガラスやら何やら割れそうなものを壁に思いきり投げつけたい。
しかしそんな都合の良い物はないし、ましてや投げる場所が無い。
「くそっ………」
舌打ちしたくなる気分を必死に押さえつけながら、床に打ち捨てられていた冴えないPコートを雑な動作で手に取った。
そのまま、まるでドラマの刑事がやるような大袈裟な動作でそれを羽織ると、そのまま部屋を出る。
階段を降りると、そこには母がいた。
「また外に行くの?もう夜遅いじゃない」
「………」
母の問いかけなど耳に入れるわけもなく、──寧ろ、目を合わせることもなく───そのまま足を玄関に向けた。
「ねぇ、まだ部活に顔を出してないの?今日も翔馬くんが来たわよ?」
『翔馬』という名に一瞬だけ動きを止めた僕だったが、それでも尚、母のほうを見る気にはなれなかった。
「來菜ちゃんがあんなことになったから、ショックなのは解るわよ?でもね、あなた、高校生でしょう?ましてやもう三年生になるのよ?辞めるなりなんなり、いい加減そろそろ───」
訳のわからない方向に話を持ってきた母親に、何かがプツリと音を立てて切れた。
「うるっさいな!!!何も分かってねぇくせに勝手なこと言うんじゃねぇよ!!!」
激昂した僕はそのまま家を壊すのではないかと思えるほどの勢いで扉を閉めた後、全速力で薄暗くなりかけている住宅街を駆け抜けた。
その時後ろから聞こえてきた母親の声なんて、僕は、知らない。